4.対価無き労働と通貨制度

「甘っ……相変わらずここの串焼きは美味えな!!」


 薄茶色半透明のタレがたっぷりとかかった肉の刺さった串。それを手にジルクは嬉しさ全開といった様子でがっついていた。

 うるさい声だ、と。彼は顔には出さないが不満を持った。耳元でいちいち大声を出されると心底迷惑だといい加減理解してほしい。そんな考えを喉の底へと押し返しながら彼はジルクと同じように串焼きに口をつけた。無論、マフラーを下げて汚れないよう、慎重に。


「……甘っ」

「あっはっは!!」


 思わずジルクと同じ反応をしてしまった彼は、爆笑する隣の人物の腹に容赦の無い裏拳を打ち込んだ。


「ごほっ!?」


 ジルグの腹への不意打ちはしっかりと胃腸、ついでに肝臓にダメージを与えた。ズン、と音が聞こえるような重い一撃。食べたばかりの肉はなんとか吐き出さなかったものの、ジルクは恨めしそうに彼を睨んだ。


「笑っただけだろ……」

「いい加減、喧しい。立ち食いしてる時ぐらい静かにしてくれ」


 串に刺さった肉を飲み込んだ彼は、そのまま視線を大通りへと向ける。

 視界に映る、大勢の人々が行き交う繁栄を示すような繁盛具合。今まさに、彼の側を数人が過ぎていくが、皆一様に笑顔を浮かべていた。


「……【剣聖】の偉業は、大したものだな」


 思わず彼は呟いた。数多の人々に、第二の生と幸福を与える。並大抵の覚悟で出来るような真似ではない。


「そうだな。……と、言いたいところだが、それは違う。【剣聖】本人に言ったところで、同じように否定するだろうな」

「何が違う?」

「んんっ、こんな感じか?――『【剣聖】のおかげ?まさか。俺だけの力ではない。【天魔】、【真影】、【極藝】、【護心】。五人、全員の力で成し遂げた事だからな』――って、言うはずだ」

「なるほど、な」


 本当に似ているかどうか分からないが、彼は【剣聖】という人物の在り方を少しずつ理解し始めた。驕らず、謙虚に。世界を救った事ですら、【剣聖】を除く四人の英雄の助力によって成り立っていると考える。まさに、英雄と呼ぶに相応しい人物だろう。


「……話を変えて悪いが、聞きたい事がある」


 そう言って彼はジルクに視線を向けた。当のジルクは分かっているぞと言わんばかりに頷き、


「もしかしてトイレの場所か?」

「ああ。って、そんなわけあるか。冗談はやめろ」


 盛大に予想を外した。


「俺が聞きたいのは、通貨の話だ。いつあの串屋の店主に対価を払ったんだ」

「んなもんねえよ」


 完全に予想外。動きを止めた彼は、ジルクへと問いかけた。


「……どういうことだ?」

「あのな、通貨ってそもそも何だよ」


 通貨が無いとはどういった意味かと頭を悩ませながら彼は答えを口にした。


「価値のある金属を加工した物、だろ。ついでに言えば、信用通貨は大雑把に見ればその価値のある物の代理品だ」

「この都市では要らない、そういう話だ。二度目の生を受けても、生前と同じ仕事をしたいって連中は一定数いる」

「つまり、無賃金で働いている、と?苦労と釣り合ってないだろ」


 そう言った彼へジルクは首を振る。


「感謝されるだけでも嬉しい、って奴もいる。働く事で自己欲求を満たしている奴もいる。様々だ」

「仕事なら、理不尽な目に遭うこともあるだろ」

「【剣聖】が目を光らせているこの街で、か?乱雑な接客態度ばかりの店はすぐさま評議会に潰される。店員に滅茶苦茶な要求を行うような客がいれば、すぐさま【天魔】が対応する。何の問題もない」

「……そうか」


 何処か納得できない思いを抱えながらも、彼は理解する事にした。

 通貨のない経済体系。

 見返りを求めない労働。

 それらを可能にする、英雄達の身を粉にした行動。


「本当に、英雄達は凄いな」

「この都市に住んでいるものとして、その賞賛はとても嬉しい言葉だ。ありがとう」


 ジルクは、実に嬉しそうな笑顔を浮かべていた。



ーー◆ーー



 太陽が頂点に達する前、昼時には少し早い時間帯。街道にも更に大勢の人が溢れて人の波が出来始めた頃。

 彼は続けて案内を買って出たジルクに従い、屋台の並ぶ街道の真ん中を進んでいた。


「そろそろ、この都市に慣れてきたんじゃないか?」


 街並みを眺め歩きながらジルクは笑いながら言った。変わらないジルクの大声に慣れた彼は静かに答えを返した。


「……まあ、そこそこな」

「ははっ、そうか」

「それはそうと、門番の仕事は?いつまで俺の案内をする気だ」

「今日はずっとだな」

「馬鹿かお前」


 コイツに門番を任せたのは誰だ、と彼は心の中で毒づいた。ここまで酒好きで、サボり魔な人間をよくも門番として起用しようと考える者がいるとは、と。

 ただし、案内は上手だ。いきなり彼を酒屋に連れて行った事以外は。


「門番の仕事に戻れ。案内は十分だ」

「いや、まだ半分も案内してねえ」


 押し除けて行こうとした彼に、しかしジルクは追いかけるようにしてついていく。


「帰れ」


 立ち止まり振り返って彼は言った。口元はマフラーで見えないが、その眼は苛立ちを隠せないほど釣り上がっていた。しかしジルクは心底嫌そうに顔を歪めてみせるだけ。欠片も帰ろうとは考えていない事は彼もすぐに理解した。


「嫌だね。まだサボり足りねえ」

「お前……」


 飛び出しかけたため息を抑え彼が苦言を呈そうとした、その時だった。


「だ、誰か!!」


 二人の進行方向、おおよそ十メートルほど先で一人の男性が声を上げた。真ん中を境に一気に割れる、人々の波。

 そちらへと視線を向けた二人の目に入ったのは大声を上げたと思わしき転びかけている男性と、その男性から逃げ出すように走り出したもう一人の男だった。走ってくる男の右手には、何処で手に入れたのか刃渡り50センチほどのナイフ。左手には奪ったであろう鞄を掴んでいた。


「……犯罪は、ほとんど無いんじゃなかったのか?」

「いやまあ、珍しいとは言ったが……」


 彼の問いにジルクは言い淀んだ。確かに、この都市では犯罪は全くと言っていいほど起こらない。それは、【剣聖】の名による抑止力が大きい。逆に言えばこの世界に来たばかりの者や、【剣聖】を知っていても大した事ないと考えているものなど、理解していない者もいる。

 思わずジルクはため息をついた。


「はあ……仕事だな」


 彼の前へと動いたジルクは後頭部を掻きながらぼやいた。その目線の先には、件の男。

 走る先。避けようともしない二人見つけた男は怒鳴った。


「そこを退け!!」


 ナイフを握る男の手に力が籠る。

 怒気と殺意。その言葉を聞いたジルクは、『避けなければ殺す』という殺しの動機であると解釈し。



 両手を構えた。



「……って言われて退くわけねえだろ」


 左手を引き、右手を前に。相手の武器を捌き、一撃を入れる体術の構え。その姿はまさに守護者。普段の姿を知っている者が見れば、ふざけて酒を飲む姿とは似ても似つかないと答えただろう。


「……ちッ!!」


 ジルクが引く様子を見せなかったためか、男は舌打ちをして手に持つナイフをもう一度強く握り直す。

 二人の距離が縮まっていく。ナイフを持った男がジルクへと迫っていく。最早衝突まで秒読みといったその最中。



 構えたジルクを尻目に、彼は一歩前へと踏み出した。



「ーーッ!?馬鹿、下がれ!!」


 一瞬の硬直の後。彼に怒鳴るように言った。

 男の視線は、ジルクから彼へと移る。当然だ。より自身に近い位置にいるのだから。その上、彼は構えてすらいない。

 彼の肩を抉らんと振り下ろされる男のナイフ。

 無表情のままの、彼。焦るジルク。息を呑む、周辺の人々。

 

 それは、一瞬の出来事だった。



 バキィッ!!


 

 激しい音と共に、ナイフを握っていたはずの腕が天を向く。彼の右手が、いつの間にか男の腕を跳ね上げるように動いていた。硬質な物が割れたようなそれは、骨の折れる音。彼の行動は男の腕を跳ね上げるのみならずその速度で骨折させるに至ったのだ。

 それだけでは終わらない。

 跳ね上げた手を回して首を掴み足払いをかけ、男を仰向けに地面に叩きつける。流れるような行動。不自然な動き、ズレは一切無い。

 人々が唖然とする中、ジルクは気づいた。空中から回転して落下する、それに。


「……おい待て待て、それは駄目だ!!」

 

 跳ね上げられたナイフ。日光を反射し銀色を目立たせながら、彼の手の中に。落下位置、回転の状態を完全に把握していなければ出来ない芸当。彼はナイフの落下位置を見てすらいなかった。空中で持ち手を逆手に掴み、男の首筋を狙い、突き立てようとされる刃。ジルクは怒鳴るように静止を呼びかけた。


「待て!!それ以上はーー!!」


 銀の刃が寸分の狂いもなく男の喉元へと向かう。ジルクの懇願も虚しく、男の命を奪おうと空間を突き進んだ銀の軌跡。



 だが、男の首にナイフは届かなかった。



「少し、落ち着いてくれないか」



 独り言のような声。甲高い音と共に、彼の手にあったナイフは弾き飛ばされた。今まさに男の喉に突き刺さる直前にあったそれは、彼の腕の動きを阻害する事なく。

 そこで、彼は気づいた。

 刃だけが斬られていたことに。正確な斬撃によって刃だけが斬られたことで彼の腕には一切の抵抗がなく、彼自身の行動には何の影響も及ぼしていなかったのだ。

 異常な練度による剣速。

 そして、ナイフの刃だけを斬り飛ばす正確性。

 どちらも声の持ち主が尋常ならざる実力の持ち主であると示していた。


「……」


 柄だけになってしまったナイフを捨てた彼は、刃だけを斬った人物へと目を向ける。

 鍛えられた身体。その手に握られているのは微光を放つ、厳かな雰囲気を纏う長剣。瞳は銀色。短く切り揃えられた髪も同じ輝きを放っていた。

 鋭い瞳が、彼を射抜く。

 同様に、彼もまた突然現れた人物へと鋭い視線を向けた。


「まずは、初めましてだな。俺は、【剣聖】と呼ばれている者だ。ようこそ、この都市へ」


 【剣聖】。

 この世界の英雄が、ついに彼と出会った。

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