3.どの世界でも
「……ったく。さっさと消えやがってあの野郎」
彼は一人、酒場の席で悪態をついていた。ジルクが一言、『待っててくれ』と言っていなくなった現在、彼は大人しく待っているしかない。
面倒ならば一人で動けばいいではないか、という話だが事はそう簡単ではない。彼は、ジルクが同行する事でこの都市内で自由に行動できる。つまり、彼はこの場で待っていなければならない。ジルクにとっては建前であろうとも、彼にとってはそうではない。
「……」
彼は酒場の喧騒の中、窓の外を眺めた。晴れた空、そして相変わらずこの都市の真ん中に佇む評議会の建物。
視線を評議会から外し、一人の人物へと彼は目を向けた。
「……なあ、聞いてもいいか?」
「へ?あ、私ですか?」
「ああ」
先ほど彼とジルクに酒を運んできた女性に彼は声をかけた。女性は一瞬、驚いたような様子を見せた。
「うーん……ちょっと待ってもらってもいいですか?ちょうど休憩なので、タイミングいいですし」
ーー◆ーー
「待たせちゃってすみませんね」
「いや、俺から声をかけたんだ。気にするな」
エプロンを外して彼の対面に座った女性。慣れた様子で店主へと注文をし、彼へと向き直った。
「えっと、まずは自己紹介からかな?私の名前はリネ。よろしくね。貴方は?」
「……すまん、名前を覚えていなくてな」
「……訳あり、ってわけね。まあいいわ。それで、聞きたいことって何?」
あまり興味が無さそうに。リネは水を飲んだ。
「この都市について、いくつか質問が……」
「ッ!!もしかして、新入りさん!?」
そこまで彼が言った途端、興味の無さそうな態度から一転。リネは、目を輝かせて彼に詰め寄ったが、彼はやんわりと押し返しながら今し方の呼び方に疑問を持った。
「……新入り?」
「あ、ごめんなさい!その呼び方は、私が勝手にしてるだけよ。……まあ、みんなそう呼ぶけどね」
椅子に座り直したリネは、尚も嬉しそうな表情を浮かべていた。
「新入り、って呼ばれるのはこの世界に新しく来た人のことよ。まさかとは思ってたけど、本当だったね。ここ最近新人さんは来たことなかったから、少し嬉しくなっちゃった」
なるほど、と彼は理解した。ジルクにせよリネにせよ、自身と接する時の好意の類に近い感情にようやく納得がいった。
「やけに好意的だと思ったがそういう事か……」
「えへへっ、まあね。……あ、何か質問があるんだったよね?何から聞きたい?」
再び詰め寄りかねないリネを抑えるように彼は質問を口にした。
「ある程度はジルクから聞いてるが……まずは、そうだな。何で、この都市には城壁があるんだ?」
その問いに、リネは言葉を詰まらせた。完全に予想外の質問。そもそも、最初に質問する内容としてあまりにも常識外れの内容だったからだ。
「……貴方、元軍人さんだったりする?」
その問いに、彼は眉を顰めるだけだった。
「記憶に無いから分からん」
「あー、名前分かんないって言ってたわね……。とりあえず、何でそんな質問をしたの?城壁がある理由なんて、一つしかなくない?」
城壁。それがある目的など、一つ。
外部の脅威から、内部を守るための防衛設備。当たり前のことではあるが、彼は疑問を持った。
その理由を、彼は確信を持って言葉にした。
「この世界の五人の英雄の話。そして、俺は城壁の外を通ってきた」
人伝の話ゆえの誇張が入っている事を承知しても、あまりにも規格外の五人。城壁の存在意義が揺らぐほど。更に言えば、城壁の外にその五人を超越するような存在はいなかったはずだ。
「城壁が必要とは思えない。説明を聞く限り五人の英雄の力量ならば、この世界の脅威に対して充分対処できるだろう。ましてや、魔術師が存在しているのなら、結界の類でも……いや、決めつけは良くないか」
「いえ、合ってるわ。……理由は、二つ、ある」
「……歯切れが悪いな」
あはは、と誤魔化すようにリネは笑う。
都合の悪い事実でも隠そうとしているのでは、と彼が勘ぐった。が、その時両の手を打ち合わせる音に気づいて意識を戻した。
その音を出した本人、リネは微笑みながら語り出す。
「一つずつ、説明してあげる。まずは、簡単な方。この都市から少し離れた場所に、遺跡があるのはご存知かしら?」
その問いに彼は、
「ああ、知っている」
即答した。
彼がこの世界に訪れてすぐに遺跡は目撃している。更に言えば、遺跡内部を見てもいる。
「じゃあ、続けてもう一つ。魔物の姿は見た?よく来るのだと……スライム、兎の見た目のやつ、狼みたいなの、かな」
「狼らしいやつは見たな……」
彼は思い出しつつ答えながらある違和感に気づいた。リネの言葉の一部。引っかかったような感覚に従い、今し方の言葉を思い出して彼は独り言のように呟いた。
「……来る?」
『居る』のではなく、『来る』。彼が引っかかったのは、その言葉の言い回しだった。話の流れから、『城壁に』ではなく、何処かから『来る』という意味に捉えられた。
その彼の憶測に正解、というようにリネは説明を続けた。
「そう。『来る』。遺跡を通って、別の世界から魔物が『来る』の。これが、一つ目の理由。基本的にはいわゆる低ランクの魔物しか現れないんだけど……稀に、五人の英雄ですら手に負えなくなるほどの魔物が現れる事がある」
英雄達ですら手に負えない可能性の対策として、城壁が構えられている。
「……なるほど。なら、もう一つの理由は?」
もう一つの理由。
リネは、僅かに言い淀んだ。
「それはーー」
言いづらそうに、しかしハッキリと声に出そうとした、その時。
「そこからは、俺が説明する」
いつの間にかリネの後ろに立っていたジルクが言った。リネは驚いて立ち上がりかけ、彼は僅かな驚きを持って目を見開いていた。
完全に気配を消していたジルクを彼は睨む。かなり長い間席を外していたジルクへ、彼は皮肉を言った。
「……随分と長い用事だったな。何だ、世界でも救ってきたのか?」
「いやぁ、悪い悪い。て、馬鹿野郎。何が世界を救う、だ。友人に会っただけだ。……まあ、おかげさまで予想してた三倍ぐらい時間がかかったが」
ーー◆ーー
「サンキューな、リネ。俺のいない間、こんな怪しい奴の話し相手になってくれて助かったぜ」
「誰が怪しい奴だ……」
「怪しい奴、ね。ふふっ」
苦々しく言う彼の様子に笑いながら、リネは仕事に戻るために厨房の奥へと消えていった。
「んじゃ、話の続きするか。遺跡の話は……してたか。なら、もう一つの方か」
「お前も微妙な顔をするのか」
「まあ、あんまりいい話じゃねえから、な。身内の恥を晒すような真似だ」
「……恥?」
リネと同じような表情を浮かべたジルクは、ゆっくりと話し始めた。声を抑え、周囲に聞こえないよう意識しながら。
「この都市からそこそこ離れた場所に
ーー牢獄がある」
今日一日で、何度疑問を浮かべないといけないんだ。
口から出そうなため息を抑え、心の中で呟きながら彼は疑問を口にした。
「『牢獄』……か。この場所の話を聞いた後だと、まるで矛盾するような場所の名前に聞こえるな」
「ああ。恥、っつーのはそう言った理由だ。本当なら、そんな場所、この世界には要らねえ」
酒を飲みながら。辛辣な言葉遣いとは裏腹に、何処か悲し気な様子でジルクは呟く。
「……けどな、必要なんだよなあ、やっぱり。どうしようもない連中ってのは、どんな世界にも必ず居る。だから、仕方ねえ」
「具体的に、どんな連中が?」
「あー、うん……分かりやすい奴だとな……」
うん、と悩んだ末にジルクは言った。
「快楽殺人鬼」
「おっけ分かった」
思わず彼の口調が崩れるほどに、納得できる理由だった。
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