2.世界の守り手

 門をくぐり抜けた彼の目に、大勢の人間が映る。両肩に木箱を乗せて運ぶ屈強な男性。エプロンをつけ、宿屋と思わしき建物の前で人を呼び込む若い女性。道の端で屋台を開く若い男性や老婆。見せ物としてだろうか、詩人の格好をした中性的な人物が、ハープのような楽器を手に弾き語りを。

 老若男女、多種多様な人々が、その都市にはいた。

 まさに、大都市。しかし同時に違和感もあった。中世程度の都市の発展具合に対して、あまりにも平和すぎる。


「……」

「すげえだろ?……ま、こんだけここが栄えてんのには理由があるけどな」

「その理由とやらを教えてもらいたいところだが……」

「まずは案内をしてからな。酒飲みながら教えてやるよ」


 歩き出したジルクに続いて、彼も歩き出す。夢を詰め込んだかのような理想都市の中へと。



ーー◆ーー



「お待たせしました!!」


 向かい合って座る彼とジルクの前に置かれたのは、ジョッキに入った度数の高い酒。黄金色の液体からふつふつと泡が上り、ジョッキから溢れ出さんばかりに膨れ上がる。その様子をぼんやりと眺めていた彼に、ジルクは問いかけた。


「で、感想は?」


 笑いながら言う目の前の門番へ、彼は最大限の賞賛の言葉を使った。


「実に素晴らしいな。どこを見ても平和そのもの。ここで暮らす奴は幸せだろうな」

「ははっ、そこまで言うか。……否定はしない。俺もそう思ったからな」


 笑いながら、ジルクは酒を煽る。

喉を焼くような、そして駆け抜ける爽快感。思わず声を出したくなる旨味と苦味の混じった味。仕事のストレスを洗い流す、薬のようにすら感じられるその感覚にジルクは。


「かあーっ、美味い!やっぱ酒は百薬の長って言われるだけあるな!」


 満面の笑みを浮かべていた。


「……関係あるか、それ?」

「知らん。つか、お前も飲めよ。……飲めないか?」

「いや、多分……」


 ゆっくりと彼はジョッキを口元に傾ける。小麦色の液体を軽く口に含んだ後、飲み込む。


「……飲める」

「なら良かった」


 確認もそこそこに、二人は話し始める。

 とはいえ実際はジルクが一方的に話しているだけにも見えた。一方が饒舌に話し、一方はひたすら話に耳を傾ける。

 彼は黙って話を聞いていたが、突然話が途切れた。


「……?」


 怪訝そうに顔を上げた彼へ、ジルクは胡乱げに声をかけた。


「……おい」

「どうした?」

「お前も何か話してくれよ。名前わからないのは仕方ねえが何か話題くらい出せや」

「……話題、ね」

「ほら、何かあるだろ?好きな物とか、楽しいこととかさ。記憶喪失つったって名前以外なんか覚えてる事ねえのか?」


 好きな物。

 ジルクにとってはただ話題として出しただけの一言。



 彼にとってはそうではなかった。



「……」


 目を細め、瞳に暗がりがさしたかのような。ただでさえ無表情だった顔が氷のような冷徹さを纏う。見えていないマフラーの裏で歯軋りをしかけた彼はふと我に返り感情を鎮めた。


「……おい?」


 酷く顔を歪めた彼に、ジルクは動揺した。

 ただの問いかけ、それがここまで見事に彼の情緒を揺さぶることになるとは。それも、好きな物という問いかけなのにも関わらず、悪感情を露わにするという、狙いとは真逆の結果となってしまった。


「どうした?」

「……いや、気のせいならいいんだ」


 ただ、それは一瞬。

 瞬きをする間に消えてしまうほど、僅かな時間だけ晒された彼の本性。気のせいかと思ってしまう程度。

 だが、確実に表れた彼の心だった。


「好きな物、だったな?すまないが、特に覚えがない」

「はあ?今更だがお前、どの程度まで記憶あるんだ?」

「さあな。確かめようがない。無い記憶は分かるのだが……逆は分からない」

「ああ、まあそうだよな。順番に聞いてみるか」


 名前、家族、出身。

 知識、記憶。

 質問に彼は淡々とした様子で答え続けた。単純な知識は即答。

 固有名詞の類は全く答えられなかった。

 

「……なるほどなあ。典型的な記憶喪失タイプか。俺の友人も似たような状態になった事があるぜ」

「へえ」

「ちなみにそいつは男だ」

「だから何だ」

「しかもよくモテるんだわ」

「で?」

「自称彼女が死ぬほど現れた」

「……いや、だから、本当に何が言いたいんだ?」

「殺意湧いたよな、って話」

「は?」


 彼は疑問符を浮かべる。その事に、ジルクは頷いた。

 彼、への理解が深まったからだ。


「お前、恋人でも居たんだろうな。そうでもなければ今の話聞いて殺意湧かないわけがない」

「偏見だぞ」

「いいや?殺意湧かないのは、恋人がいるか、恋愛経験が無いか、同じ立場の奴か、鈍感な奴だけだ」

「偏見だな?」


 そして、話はこの街の詳細へと移っていく。


「で、お前はこの街の事を聞きたいんだったよな。特別だ。俺が直接教えてやるよ」



ーー◆ーー



 【剣聖】

 ありきたりな名前の、剣士。ただし、これ以上ないほど単純かつ明確にその人間の強さを示す呼び名とも言える。この世界に初めて足を踏み入れた五人のうちの一人。

 当時不安定であったこの世界を、残り四人と協力し安定化させた。

 その後は世界からこぼれ落ちた者達を拾い上げ、この世界へと招き、大勢の命を救済した。

 天才だろうと、凡人だろうと。

 特に剣聖は人命に重きを置き、人を助ける事を徹底した。善人には優しく、悪人には厳しく道を正すように、と。

 多種多様な性格の人間が数千単位で集まったのだ、最初は協調性もなくぶつかり合っていただろう事は想像に難くない。

 だが、それを剣聖が纏め上げた。

 結果として出来上がったのが、この優しい世界。二度目の人生を与え、永遠に等しい命を授けた。

 無論、終わりを望めば終えることも可能。

 限定的な不老不死をこの世界では叶えている。


「いい話だな」

「そうだろう。実際、この都市で犯罪なんか十年近く起こってない」


 彼は酒を片手にジルクの話に相槌を打つ。

 都市が出来るまで、そして今現在の治世についても。文句の付け所がない。


「……外部の人間に対してあまり警戒心が無いのも、【剣聖】のおかげということか」


 納得したように彼が言う。その言葉、『外部の人間』と言い表した相手が彼自身である事にジルクは気づき、思わず浮かんだ笑みと共にまるで褒めるかのように彼に言った。


「お見事、正解だ。外部の人間がどんな極悪人だろうと【剣聖】には敵わない。人物として存在そのものが、この都市の安心の源なんだ」

「だが、不在の時や事情があって現れない時もあるはずだろう。確実に【剣聖】が現れる、助けてくれる、なんて保証があるのか?」

「その通りだ。そこで、初めてこの世界に来た五人の話に戻るわけだ。【剣聖】は話した通りの傑物だ。だからといって残りの四人が凡人の類か、そんな訳がない。

【剣聖】【天魔】【真影】【護心】【極藝】

【剣聖】は剣術。【天魔】は魔術。【真影】は、暗殺術。【護心】は体術。そして、【極藝】は錬金術。五人とも天才の域だ。五人は常にこの都市を守っている。それぞれのやり方で、な」


 ジルクの手で示された窓の外へ、彼は視線を向ける。視界に映るのは都市の中央にある巨大な建築物。

 『評議会』と呼ばれている権力者の建物。

 豪華、とは言えないが決して質素というわけでもない。誰が見ても分かる、この都市の治世者達が居るべき居場所。


「一人、【剣聖】以外に例えを挙げてみるか。そうだな……【天魔】のやり方を、教えておこう」

「魔術の天才、だったな」

「ああ、そうだ。魔術については知ってるか?」

「大雑把には。術式を通して魔力を扱い、現象として『魔術』を発生させる。その程度の知識ならある」


 ふむ、と再びジルクは笑みを浮かべて彼の言葉を補足した。


「魔術の何たるか、はその説明で十分だな。なら、何故【天魔】が天才と呼ばれているのか、それを説明してやろう」

「ああ、ご教授願おうか」

「おっ?ノリがいいな!んんっ……では、まずは【天魔】の才能を説明しよう。ずばりそれは、膨大な魔力とそれを運用する人外レベルの演算能力、という二点。それだけで、【天魔】は魔術界のトップに君臨した」

「……それだけか?」

「逆に言えば、専用の魔術を使わず、特性を持たず、一芸特化では無く、ただそれだけで天才の領域に辿り着いた、ということでもある」


 魔術。それを扱う者として、必ず突き当たる問題がある。

 魔力と、適正。

 魔力が無ければ術式を描くことが出来ず、適性が無ければ術式を起動出来ない。

 【天魔】は、その縛りが存在しない。

 魔力がある。適性がある。

 それだけで十分な才能足り得るのだ。


「話が逸れたな。とにかく、【天魔】のやり方は魔術を行使したこの都市の完全掌握、その一言に尽きる」

「……は?」

「物理的な意味合いでも、情報的な意味合いでもこの都市内で起こる全ては【天魔】に把握されるって話だ」


 例えば、とジルクは続けて床を脚で叩く。


「今ここで俺が足を鳴らした、っつー情報を【天魔】は把握してる。実際に、誰が、何時、何処で、どうしたのか。全て知られている」

「……」


 彼は思わず言葉を失った。

 この都市全体を完全に支配するなど、人間一人が持つ能力の範疇を著しく逸脱している。

 しかしながら、それと同時に理解した。だからこそ、【剣聖】や【天魔】が天才と評されるのだと。


「……なるほどな」


 酒を飲む手を止め、彼は呟くように言った。

 この都市を守る五人の英雄的存在。

 そのうちの一人ですら人知を超えるような真似をしでかしている。

 まさに伝説。


 彼は、何も知らない。


 だが、それゆえに警戒される存在でもあるのだと理解した。


「問題起こすなよ?ま、起こしたところで、って話だけどな」


 そう言って笑うジルクに彼は目を向ける。

 余裕。

 安堵。

 様々な感情を目の前の相手の態度から感じた彼は、しかし相手の心奥底で正反対の感情を読み取っていた。


 自身に対する警戒心。


 それを知りつつも、彼は何も言わない。

 グラスの中の酒は静かに減っていった。

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