1.この世界の都市
世界に降り立った彼は、広大な草原から静かに歩き出した。
周囲には遺跡のような、ボロボロの崩れかけた柱や建物が散見される。
放置されてから数年どころではなく、数十年、数百年は経過しているであろう事が分かる、貴重な場所。
誰が見ようとも、思わず圧倒されてしまうような年代物。
しかしながら彼は遺跡に目を向けることもなくある方向を見つめていた。
「……あそこか」
遥か遠くに見える、町を守るための城壁と、城門。
彼の、目的地。
しかし彼はそのまま進むことなく振り向き、刀を抜いた。
遺跡の跡地の影から密かに覗く、複数の視線。
彼に気づかれたことを察したのか、堂々と姿を晒したのは牙が異常に発達した、狼のような何か達。
その瞳には、殺意。
口の端からは涎が絶え間なく垂れ続けている。
普通の人間ならば、恐怖で足がすくむようなその外見を、しかし彼は静かに見つめてただ一言。
「……来い」
飛びかかる異形の狼たちへと。
静かに、刀が振り抜かれた。
ーーー◆ーーー
彼は見つけた都市へと速やかに向かった。都市の中の調査が本題。
ただし、すぐに一つの問題に直面した。
「お前、名前は?」
「……」
都市の入り口、城門の前で門番に止められた彼は名前を問われても答えられなかった。
普通の人間であれば名前はあるはず。ただ、彼は答える事が出来ず、無言で立ち竦むだけ。ひたすら時間が経過していた。
「おい、名前は?」
「……」
「訳アリか?……ちッ、面倒臭えな。少し待ってろ」
舌打ちの後、詰め所に入って行った門番が一人の男を連れて戻ってきた。
無精髭を生やした、中年ぐらいの男。
朗らかな顔つきだが、反対に視線が鋭い。
そんなことを思っていると中年の男の瞳が彼に向いた。
「コイツか?」
「そうです。どうします?ジルクさん」
「まあ落ち着けよ、ナユ。……ん〜?」
ジルクと呼ばれた男は、面倒くさそうに門番、ナユに言いながら彼を見た。怪しい部分を探すようにとでも言うべきか。表情こそ笑っているがその瞳は鋭く彼を捉えていた。
頭の上から足の先まで。
そして、ふとある物に目を止めた。それは彼が左手に持つ長大な刀だ。黒塗りの鞘に収められた、見るからに業物と分かる逸品。この世界で武器を持っていること自体はおかしくは無い。
が、ジルクには不思議と目が止まる品であった。
「なあ、お前。喋れないのか?」
「……いや」
「何だ、ちゃんと声出せるじゃねえか。名前は?無いのか?」
「……」
「はあ……ったく。門は通してやるがな……」
「な!?駄目ですよ、ジルクさん!せめて、武器は没収しないと!」
「いや、分かってるっての。それにな、そんなに警戒しなくたって……」
「規則でしょう!?おい、お前!その武器をこちらに渡せ!」
おそらくは、彼が無口である事に苛立っていたのだろう。乱暴な言動と、強引な動作でもってナユは彼の持つ刀を無理矢理にでも取り上げようとした。
刀へと手を伸ばし、掴もうとする、まさにその瞬間。
「触るな」
ナユは彼の一言で動きを止めた。
いや、止めざるを得なかった。
「……ッ!?」
異常な、まるで相手を確実に殺そうとするかのような殺意。先ほどまで落ち着いていたとは信じられない、戦場にいるかのような敵意。
彼の体中に一瞬で満ちたその死の気配に、ナユは息も出来ずに後退りした。膝から崩れ落ちなかったのは奇跡と言えるだろう。それほどの恐怖が彼の体から発せられていた。
「おいおい、落ち着けよ」
後ずさるナユを庇うようにジルクは一歩前に踏み出す。その姿に怯えは見えなかった。ナユとは異なり、全く気押されていない。
面倒臭い、と言わんばかりの態度から一転、ジルクは彼を見据えて静かに告げた。
「そんな殺意剥き出しにされるんなら俺もそれなりの対応するぞ?どうする?」
「…分かった」
だが欠片も気にする様子無く。彼は刀の柄に手を触れた。その何も理解していない行動に、ついにジルクの堪忍袋の尾が切れた。
「かぁーっ!お前、冗談も通じねえな!本気じゃねえよ、殺気を抑えてくれ!門を通りたいってんなら多少は譲歩してくれや!俺らだって誰とも分からない、保証もできない奴を通すわけにはいかんのだ!だから、せめて名前を教えてくれ、な?」
額を抑え、大声を上げ、喚き散らすようにジルクは彼に怒鳴った。しかし、彼の反応は芳しくなく。首を傾げるような仕草をしながら彼は呟くように言った。
「分からん」
「……は?」
「名前が分からん」
「……」
思わずジルクはは頭を抱えた。この類の相手は何人もいるが面倒になるのは確定だ。とはいえこのままこの場で見逃すことも出来ない。
正式な手続きをする場合、この都市の中で最高権力を保持している評議会へと書類を送り、その後いくつかの審査が必要になる。
その中で問題なのが、使用される魔道具だ。
真偽を見抜く、ありふれた物。
ただし、この魔道具の使用は手続き含めて使用可能になるまで何日もかかる。審査を無視するなら最低限、武器は一時的に預かる必要がある。
「……だったら何日かは待たねえと無理だ。しばらくはここの側にある留置所で大人しくしてろ。もしくは、大人しくソイツを差し出してくれ。名前が分からねえんなら、武器は一時預かりにしねえと流石に通せねえよ」
「………………分かった」
「…ったく。話せば分かるってんなら話してくれ。お前、いつもそうなのか?」
「初対面相手は緊張する」
「……あのな、緊張したからって殺意を撒き散らしていい理由は無いからな?」
「…それもそうだな」
彼は未だに怯えているナユに目を向けて頭を下げた。
「な、何だよ!?」
「思わず、殺気をぶつけてしまった。すまなかった」
「……え?お、おう、こっちこそ勝手に触ろうとしてすまなかった」
「この刀を頼む。大切な物なんだ」
「…ああ、分かった。責任を持って管理させてもらう」
素直に謝った彼に、ナユは狼狽えつつも謝罪を受け入れてその手から刀を受け取った。しかし、受け取った直後、再び困惑することとなった。
その刀は、見た目よりも遥かに重量のある物だった。落とさないように持つだけで両手を使わざるを得ないほどに。
普段、門番として重量のある武器を持つ事には慣れている。両手用の槍や、ハルバート、戦斧の類を持った事もある。
それらよりも重く感じてしまうほど、異常な重量の刀を、目の前の彼は平然と片手で持っていた事実にナユは驚愕した。
「ジルクさ……」
「っと、悪いな。申請してくっから少し待っててくれ。まあ……多分すぐに終わる」
「分かった」
困惑するナユを連れてジルクは詰め所に戻る。数分後、再び彼の前に現れた二人。ジルクはその手に一枚のカードを持っていた。
「ほらよ、これがお前の仮証明書だ」
「……仮証明書?」
受け取ったカードを手に、彼は呟く。
「詳しい説明は省くが……そいつがあればこの都市内の施設やら何やらは余所者でも使える。ただまあ、重要な施設やら評議会の連中がいる場所には入れない。ここまではいいか?」
「ああ」
「で、だ。今のお前は自分の名前が分からない、謂わば要注意人物なわけだ。この都市で問題を起こせば一発でその仮証明書は効力を失ってただの紙クズに変わる。同時に、持ち主は問答無用で捕まる。他に質問は?」
「これを無くした場合は?」
「問題起こした時と同じく、即座に捕まる」
「理解した。これで通ってもいいんだな?」
当然の質問を、彼はしたはずだった。
しかし、ジルクは首を振る。
「通ってもいい。条件付きで、な」
「その条件は?」
「俺が付き添う事だ。お前この都市に来たのは初めてだろ?案内役として俺がついて行く」
「……建前は案内役だが、実際は監視役としての役割も含んでるのか」
「おいおい、言うなよ」
「……あとはサボり目的ですよ」
「おい?」
ヘラヘラと笑うジルクの後ろ、いつの間にか詰所から戻ってきていたナユは冷めた目をして皮肉を言った。
ナユが門番として働き始めて十年近く経つが、未だジルクが仕事を完全にこなした様子を見たことはなかった。時々姿を消し、戻ってきた時も軽く謝るだけ。
とはいえ、仕方がないと見逃してはいた。この世界での門番としての仕事は九割がた暇、といっても差し支えないほどだったからだ。
が、今回は別。
目の前で堂々とサボろうとしている人間を流石に見逃す事はできなかった。
「はあ……まあ、いいですけど。最低限の事務連絡は済ませてから行ってくださいよ」
「分かってるって。そんなに怒るなよ」
「怒ってません」
「今度、酒奢ってやるから」
長い沈黙の後、ナユはため息を吐いた。
「…………………はぁ。今回だけですよ」
「よっしゃ!!」
心の底から嬉しそうにジルクは喜び、ナユのジトりとした目に大慌てで「冗談だ」と言った。飄々とした様子のルイグと、長い沈黙を挟んだナユの答えに、彼は二人の関係を察した。
かなり長い付き合いなのだろう。
一見情け無さそうに見えるジルクと、仕方なさそうに受け入れているナユ。信頼関係が出来ているが故の二人のやり取りだ。
そしてそのやり取りを眺めていた彼はぽつりと言った。
「……で、俺は通っていいのか?」
「もちろん。ただし、俺の目の届く範囲に必ずいろ。偶然だろうが故意だろうが、勝手に離れる事は許さん」
「ああ、分かった」
「……早速なんだが。お前、酒飲めるか?」
「……記憶力ゼロかアンタ。名前すら分からねえのに、んなこと分かるか」
「だよなぁ……」
呆れたような表情を浮かべる彼に、ジルクは落胆したような仕草を見せる。
門番としての勤務時間は長い。開門時間である早朝から、閉門時間の夜中まで。そんな生活で唯一の楽しみは仕事をサボって飲む酒のみ。罪悪感など最早雀の涙ほども無いものと化していた。
「まあいいか。とりあえず、町を案内する。その後酒飲もうぜ」
「いや、だから……」
「記憶がねえんだろ?だから、とりあえず飲んでみれば良いだろ。食べ物食って記憶戻るやつだっているしな」
「……はあ、分かった」
「よし、んじゃあ、改めて」
ジルクは大仰に、しかし、丁寧に。大きな音を立てて開いていく城門。その先に見える、人々の賑わう街道を背に、彼の前で笑った。
「ようこそ、この世界唯一の都市へ。
ーー歓迎するぜ、記憶喪失の誰かさん」
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