世界の調停者

黒奏白歌

一章・虚実の楽園

op.夢から覚めて

 まるで幻想の中のような、曖昧な空間に二つの人影が現れる。

 一人は、白のローブで全身を隠した、女性のようなシルエットを持つ人物。薄いベールをいくつも重ねたような、神秘的な姿をしていた。

 もう一人は、左手に長刀を携えた、男性と思われる黒髪の人物。口元をボロボロ、とは言い難いが、使い込まれた白のマフラーで隠し、鋭い瞳が開いた瞼から覗くその姿は、狩人のようにも見える。

 女性が立っているのに対し、男性は跪く。まるで主人を敬う従者のように姿勢を低くし、頭を下げている。


『……』

「……」


 お互いに何か言葉を発する事はなく。

 ただ静かに時間が過ぎていく。


『……次の、準備は?』

「……既に」


 ようやく言葉を発したローブ姿の女性へ、男性は端的に答えた。

 短く、鋭く。

 まるで、女性との対話を拒むかのよう。

 しかしながらその態度、言動に一切の悪感情は感じられない。

 言うなれば、自分には彼女と話すような資格が無いといったような。

 敬遠に近い感情を彼は彼女に持っていた。


『では、行きなさい。……あの』

「感謝します」


 無理矢理会話を終わらせて、彼は立ち上がる。

 体ごと逸らすように振り返り、歩を進めていく彼を、彼女は静かに見つめていた。

 ローブの下の、悲しげな瞳。

 静かに彼は歩いていく。

 彼女に背を向けて。

 常に一歩引いた姿勢で常に彼は彼女に接する。

 それは彼が己へと課した、一つの規則であった。



ーー◆ーー



 どこまでも続く、黒く、暗い、静寂の空間。

 立ち止まった彼は、右半身だけを前に出す。

 右腕を前に。

 5本の指を真っ直ぐに揃え、左から右へと薙ぐようにして静かに振り抜いた。


 黒の空間に、一筋の線が走る。


 彼は右腕を下ろし足を踏み出す。

 流麗。

 一切無駄のない、所作。

 武器を扱う者としての、才覚。

 途方もない時間を費やした、鍛錬。

 数え切れないほどの、経験。

 精密で、鮮やかで、自然な動き。

 その動作から生み出された軌跡が、空間を断った。暗闇の中に直線が走り、そこから迸るように色が溢れ出す。

 真っ黒な空間の中に、鮮やかな色が付き、形が現れ、風景が出来上がる。

 空が、地面が、太陽が、風が。

 草木が、動物が。

 まるでそこから絵画を描いたかのように、一気に現れ、彩られる。

 その鮮やかな場へ、彼が足を踏み込むと、色鮮やかに広がった景色が黒い空間を塗り潰していく。

 彼が足を進めるたびに黒が彩られていき、そしてついには消えていった。

 彼が振り返って歩もうとも、二度とあの空間は現れない。


「……」


 頬を撫でる風が、彼の髪を揺らす。

 静かに動き出す。

 まるで氷のように冷え、固まった表情を少しも変えず。

 この世界での、最初の一歩を踏み出した。

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