第13話 リヴァイアサン


  爆発音が聞こえたほうに向かえばいいだけだったので、場所の特定は難しくはなかった。

 あんな爆発を起こすような相手だ、たとえルキアが規格外の強さを持つドラゴンであっても、危険なのではないだろうか――それがまったく無用な心配だと思い知ったのは、駐車場に出てすぐのことだった。

 ルキアの身を案じている余裕があるのなら、あのまま救護活動を手伝っていたほうが有意義だったかもしれない。とはいえ、あの水を操るドラゴンの女の子と一緒に、あの場でできる応急手当は行った。あとはもう、救急隊に任せるしかなかっただろう。

 俺がそこで目にしたのは、ルキアがゴツゴツした岩のようなドラゴン(状況から考えて、爆弾騒ぎを起こしたドラゴンだろう)と戦う様子だった。

 ルキアは、ドラゴンの姿にすらなっていなかった。どうしてなのかと思ったが、その答えはすぐ理解できた。

 至極簡単なこと、本来の姿になる必要すらなかったのだ。

 人の姿のまま、ルキアは相手を一方的にぶちのめしていた。

 尻尾を掴んで地面に叩き付け、さらに追撃として再び尻尾を掴み、ぶん回して放り投げる……ドラゴンとはいえ、華奢な女の子が自分の体格の何倍もの大きさがあるドラゴンを倒すその様子は、とにかくインパクトがあった。

 力の差は圧倒的だった、もはや勝負にすらなっていなかったのだ。

 呆気にとられた俺は、思わずその場に立ち尽くしてしまった。というか、下手に近寄ると巻き込まれそうだと思ったのだ。

 ルキアと岩石ドラゴンが何かを話し――そして最後に、ルキアが強烈なパンチを見舞った。

 そこで、俺はようやく彼女に駆け寄った。


「ルキア!」


 ルキアは俺を向くと、


「怪我をした人達の手当ては?」 


 何より先に、そう問うてきた。

 俺は頷き、


「応急手当はした、あとは救急隊に任せるしかない」


「そう」


 安心したように言うと、ルキアは岩石ドラゴンに向き直った。


「さあ、他にも爆弾を仕掛けているんでしょ、場所を言いなさい!」


「はっ、そんなの教えるわけが……!」


 ふてぶてしい言葉の直後に、轟音が響き渡った。

 岩石ドラゴンの顔面すぐ横のアスファルトに、ルキアの拳がめり込んだのだ。

 

「もう一度だけ訊くわよ、他に爆弾を仕掛けた場所は! 余計なことを喋ったら、今の一撃をあんたの顔面に喰らわせるわよ!」


「あ、ああ、あ……!」


 岩石ドラゴンが、意味のない声を漏らす。

 こ、怖え……。

 いや、ルキアの尋問を受けているあいつは、俺以上に怖がっているに違いなかった。


「お、屋上の貯水タンクの裏……へっ、だけどもう手遅れだ。もうじきあのクソ女は、俺の爆弾でバラバラに……!」


 クソ女だと……?

 その言葉が何を意味するかは、すぐに分かった。恐ろしい予感が浮かんだ。


「まさか、そこに誰かを監禁して爆死させようと……!?」


 ルキアが、弾かれたようにスーパーの屋上を見上げた。あそこは屋上駐車場になっていたはずだ。

 話が本当なら、あそこに誰かが捕らわれている。助けなければ、爆発に巻き込まれて……! 岩石ドラゴンの口ぶりから、もう猶予は少ないはずだった。

 同じことを考えたらしく、ルキアが背中に翼を出現させていた。

 

「ぐっ!」

 

 忌々しげな声を発する彼女。

 こんな卑劣なことをやってのける岩石ドラゴンを罵りたかったのだろうが、今はその女性を助けることが第一だったのだ。

 しかしそこで、俺はあることに気づく。


「ルキア!」


 屋上に向かって飛び立とうとしたルキアが、足を止めて振り返った。


「何よ!」


 切迫感に駆られているのは、彼女の表情を見れば明らかだった。

 はっきり言って、俺だって止めたくなかったが、それでも……!


「ルキアが目を放したら、こいつ、何をするか……!」


 俺は、岩石ドラゴンを指差した。

 ここにはまだ、警察が到着していない。つまり、ルキア以外に太刀打ちできる者はいない。

 ルキアが屋上へ向かえば、この場からいなくなれば、こいつは何をしでかすか分からない。逃げられる可能性は大いにあるし、巨大な爆弾を作り上げてスーパーを丸ごと吹っ飛ばすだなんてことも、誇張抜きで十分に考えられた。

 爆弾で市民を無差別に狙うような頭のイカれた奴なんだ。そんな奴を野放しにすれば、何をされるか分かったもんじゃない。


「いいえ、大丈夫です」


 不意に、俺の懸念を誰かがやんわりと否定した。

 大いに聞き覚えのある声に、まさかと思いつつ振り返る。

 いつの間にここに来たのか、あの水を操るドラゴンの女の子がいた。その水色の髪や、貝殻のペンダントが風に揺られているのが見えた。

 俺が何かを言うより先に、


「時間がないんでしょう? この場は私に任せて、早く行ってください!」


 彼女はそう促してくる。

 しかし、簡単には同意できなかった。それはルキアも同じだったようで、


「でも、ここに残ったらあなたが危険に……!」


 彼女の身を案じ、そう言った。

 確かに彼女は、燃え盛る炎をものの数秒で消し止める水ブレスを吐けるし、救護に関して秀でた知識を持ち合わせていた。ああいった現場に慣れていて、人に的確な指示を与えるリーダーシップを有しているのも分かる。

 しかし、この状況では彼女の能力は役に立たない。この岩石ドラゴンが再び暴れ出せば、彼女にそれを制する力があるとは思えなかった。

 ルキア以上に華奢で体の小さい彼女は、どう見ても非戦闘員だったのだ。


「大丈夫ですよ、私ひとりで十分です」


 彼女は即答した。


「言ってくれるな、このアマが……!」


 ルキアに叩き伏せられ、戦闘不能になっていたと思っていた岩石ドラゴンが、起き上がっていた。

 あれほどの猛攻を受けながら、まだ動けたのかと思った。しかし、かなりのダメージを負っていることに間違いはないようで、その動きは緩慢なものだった。

 だが次の瞬間、岩石ドラゴンは一直線に突っ込むようにして襲い掛かった。

 標的となったのは俺でもルキアでもなく、あの水のドラゴンの子だった。

 この場に現れたばかりで面識もなかっただろうが、あの子の発言がよほど癇に障ったようだ。


「危ない!」


 ルキアが叫んだ。

 見た目にも重たげな岩石ドラゴンの突進、喰らえば致命傷は免れないだろう。

 しかし、水のドラゴンの子は恐れることも、悲鳴を上げることもなく、ただ横に飛び退き、慣れた様子で突進をかわした。

 目標を失った岩石ドラゴンが、方向転換して再び襲い掛かろうとする。

 しかしその時にはもう、あの子は岩石ドラゴンの数メートル先にまで迫っていた。

 助走をつけて飛び上がり、その足を振りかぶる。蹴りを繰り出すつもりなのかと思った次の瞬間、それは起こった。


「っ……!」


 思わず、俺は息をのんだ。

 水のドラゴンの子の下半身が淡い光に包まれ、大きなヒレを有する魚類のそれに変じたのだ。

 目も覚めるような深い青色で、すらりと美しいラインを持ち……その姿はさながら、童話に出てくるような人魚、つまりマーメイドだ。

 ルキアが背中に翼を出現させることができるように、人の姿になれるドラゴンは、多くがその身の一部を本来の姿に変じさせる能力を有していると聞いている。

 あの子も例外ではなかった。彼女は下半身を、本来の姿に変じさせることが可能なのだ。 


「やっぱりあの子、リヴァイアサン……!」


 ルキアが言った。

 リヴァイアサンとは、水中での活動に特化したドラゴンだ。

 ワイバーンやドレイクと違って翼はなく、空は飛べない。しかし驚異的な肺活量によって、一呼吸でほぼ丸一日水中で活動することが可能だそうだ。

 加えてその口から放たれる水のブレスは、鉄板をも両断する威力らしい。魚類を思わせる外見といい、その能力といい……まさに『大海の王者』と呼ぶにふさわしいドラゴンである。

 リヴァイアサンのあの子は、ヒレで強烈な一撃を見舞った。


「えごっ!」


 重い直撃音が響き渡る。

 顔側面をまともに捉えた、ヒレでのビンタ。地上よりも遥かに抵抗がある水中を進むために発達したヒレは、それ自体が強力な武器だ。

 見た目であの子を判断し、侮っていたのだろう。岩石ドラゴンは再び、アスファルトの地面に伏すこととなった。

 どうやら、気を失ったらしい。

 クジラのヒレといい、ペンギンのフリッパーといい、海洋生物の攻撃は人間の骨を粉砕するほどの威力だと聞いている。ましてや、リヴァイアサンの力はそれ以上だろう。聞くところによると、真の姿になればヒレで自動車をも叩き潰せるらしい。

 岩石ドラゴンを一蹴した彼女は、地上に降り立って俺とルキアを振り返った。

 その時にはもう、彼女の下半身は人間のそれに戻っていた。ヒレでの一撃を繰り出すために、一時的に変身させただけのようだ。


「ほら、こう見えて私、結構強いんですよ?」


 彼女の胸元で、貝殻のペンダントが煌めいた。 





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