第10話 それぞれの役目


 ほんの少し前までは多くの買い物客で賑わっていた店内が、今や一転、パニック状態に陥っていた。

 その原因は、あの爆発音だ。叫び声と悲鳴を上げながら、人々が出口に向かって押し寄せている。

 爆発がまた起きるかもしれない。そう思えば、一刻も早くこの場から避難しようとするのは至極当然だと思った。

 だけど、俺は人流に逆らって爆発が起きた場所へと向かった。

 逃げるという選択肢は浮かばなくて、自分の身以上に爆発に巻き込まれた人々が心配だった。危険だとは思ったけれど、見て見ぬふりをしてここを立ち去ることができなかったのだ。

 つい先日うちに来たばかりの彼女も、俺と同じ考えを抱いたようだ。


「こんな……!」


 爆発が起きた現場を間近で見て、俺は目を見張った。

 俺とルキアがいた場所からほど遠くないそこは、爆発であちらこちらが焼け焦げ、周囲には商品だったと思しき物の残骸が散乱していた。

 スーパーの一角を吹き飛ばす程度だから、そこまで威力は強くなかったのかもしれない。

 それでも、人を殺傷するには十分だった。


「うぐっ、う……熱い……!」


 爆発の被害を受けた人々――そのひとり、手近に倒れていた男性の呻き声を聞いて、俺は我に返った。

 その人は衣服に火が付いていた、爆発の炎が引火したのだろう。

 消防に通報しようと思ったが、それ以上にあの人を助けることが優先だと判断した。

 天井に備え付けられた火災警報器が爆発を感知し、スプリンクラーも作動していた。警報機が作動すれば、自動で消防への通報も行われるかは分からない。だが店員さんが通報しているのが見えた。

 今やるべきことは、負傷した人々の救護だと判断した。


「この炎、ただの炎じゃない。ドラゴンの炎……!」


 服が燃えている男性に駆け寄ったルキアが、それまで片手に提げていたレジ袋をその場に置いて、火を消してあげようとしていた。

 しかし炎は消えなくて、刻一刻と大きくなっていく。このままではあの人が大火傷を負ってしまう……!

 俺も駆け寄りたかったが、燃え盛る炎に阻まれて近づけない。


「ちょっと待ってろ、消火器をどこかから……!」


 ルキアでも、何の道具もなしに火を消すのは不可能なのだろう。

 そう思った俺は視線を巡らせて、すぐに『FIRE EXTINGUISHER』と書かれた赤い標識を見つけた。消火器は店内のあちこちに設置されているから、見つけるのは難しくなかった。

 駆け出そうとしたその時、


「いいえ、消火器ではダメです。専用の消火剤でもない限り、ドラゴンの炎は簡単には消せませんから」


 少女の声に制されて足を止めた。

 振り返り、俺は思わずその子を見つめる。

 俺を引き留めたのは、水色の髪を左側頭部で結い上げ、青色がかった緑色の瞳を持つ女の子だった。黄緑色のノースリーブに水色のショートパンツ、黒のオーバーニーソックス、それにスニーカーという出で立ちで、いかにも涼しげで活発な印象を漂わせているその子。彼女の首には、貝殻の洒落たペンダントが提げられていた。

 君は? そう尋ねるより先に、その子は俺の前に歩み出た。


「私に任せてください」


 大きく息を吸い込んだと思った次の瞬間、彼女はその口から水のブレスを吹き出した。

 それは水鉄砲みたいな生易しい威力ではなく、さながら水のレーザーで……燃え盛る炎がみるみる消火されていく。

 火が完全に消し止められるまでに要した時間、ものの十数秒。

 水を操る力を持つ女の子……紛れもなく、この子もドラゴンなのだと分かった。そもそも、どことなくそんな気がしていたんだ。人の姿に変身できるドラゴンは少なくないが、雰囲気というか……とにかく、普通の人とは違う何かを感じさせるのだ。

 水のブレスを止めると、彼女はルキアの元へ駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


 ルキアが少女と目を合わせた。


「この人、服の火は消えたけど火傷を負っているみたいで……それに、他の人達も助けないと……!」


 ルキアが応じると、少女は手近にいたスーパーの店員を振り返った。


「救急への通報はもう済んでいますか?」


「ええ、まもなく来てくれるそうです!」


 もうすぐ助けが来る、それを確認した少女が、爆発の被害を受けた男性に向き直った。

 そして焼けた衣服の袖越しに、腕の火傷の痕を見つめた。そして彼女は再び水のブレス……といってもさっきのような威力はなく、蛇口から出る流水程度のそれを吹きかけた。


「うっ……」


 男性が呻き声を上げたが、その表情に浮かんでいた苦悶の色が少し和らいだ気がする。


「もう少しで助けが来ますから、安心してください。大丈夫ですよ」


 安心させるように男性に言うと、少女が俺を振り返る。


「火傷の応急処置は、とにかく冷やすこと。この人数を私ひとりで手当てするのは難しいです、ご協力いただけませんか?」


 俺はすかさず、首を縦に振った


「ああ、それじゃ俺、どっかから氷を……!」


 少女が首を横に振る、結われた水色の髪が揺れた。


「いえ、氷はダメです! 冷たすぎて逆に皮膚を傷つけてしまいます。冷えていなくても大丈夫ですから、とにかく水を!」


 すごい知識だな、と思った。

 この惨状を目の当たりにしても、冷静で適切な指示を出すことといい……このドラゴンの子、人の命に携わる仕事でもしているのではなかろうか。

 俺は頷いた。 


「すぐに探してくる!」


 とにかく、今俺がすべきは彼女のサポートだった。

 駆け出した俺の隣に、ルキアが追いつく。


「手伝う!」


 すぐに俺達は飲料水売り場に向かい、ペットボトル入りのミネラルウォーターを買い物かごに詰め始めた。

 商品に手を出すのは、万引きをしているようで気が引けた。しかし今は緊急事態だし、店員の許可も得ていた。

 よし、これだけあれば……! 一度向こうに戻ろうと、ルキアに提案した時だった。


「あっ……!?」


 突然、ルキアが何かに気づいたように声を発した。

 

「どうした?」


 俺が訊いたが、ルキアは答えなかった。

 彼女はただ、どこか遠くを見つめていて、思わず俺もその視線の先を追った。

 ――物陰から、爆発が起きた場所のほうを見つめている男がいた。

 遠くなので人相までは視認できないが、髪が長くて、眼鏡を掛けていて……何となく、陰キャっぽい感じの、俺と同い年くらいの少年だ。

 その男はこっちを向いたかと思うと、一目散にどこかへと駆け出していった。

 何だあいつ、怪しいな……そう言おうとした時だった。


「ごめん、ちょっと私……行ってくる!」


 次の瞬間、ルキアはもう背中にドラゴンの翼を出現させていた。

 

「えっ、ちょ、どこに……! わっ!」


 返事の代わりに、凄まじい風圧が俺に叩き付けられた。

 思わず目を逸らした俺は、今一度視線を戻したものの――もう、ルキアの姿はなかった。



 ◇ ◇ ◇



 複合スーパーから逃げるように飛び出し、男は駐車場で足を止めた。

 

(やってやったぞ、ざまあみろ、下等生物どもが……!)


 動揺、達成感、そして歪んだ自尊心に、男は顔を歪めて笑った。

 ほんの数分前に目の当たりにした、あの惨状――焼け焦げたスーパーの一角や、倒れ伏した人々を思い出し、優越感に浸る。

 不安や心の痛みがなかったわけではなかったが、それもすぐに塗り潰された。


(大丈夫だ、だってもう……)


 復讐を成し遂げた。

 その事実を噛み締め、男は屋上駐車場を見上げた。あそこには、彼が拘束した女性とその娘がいて……ふたりが親子仲良く木っ端微塵になるまでのカウントダウンは、刻一刻と減少し続けているのだ。

 そのカウントダウンがゼロになった時こそ、彼は勝つ。スーパーの一角を吹き飛ばした時とは比べ物にならない、大規模な爆発が起きるだろう。それはいわば、勝利を祝う特大の花火だ。

 あとは、それを見届けるのみだった。


「ふふ……くくく……!」


 笑みをこぼした、その時だった。

 男に立ちはだかるように、ひとりの少女が降り立ったのだ。


「っ!」


 思わず息をのんだ男に、銀色の髪にチョーカーを付けた彼女は険阻な眼差しを向けてきた。


「なっ、何だお前……!?」


 その青い瞳に彼の顔を映しながら、少女は口を開いた。


「ちょっと訊きたいことがあるのよ。用件は……分かってるわよね?」





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