第9話 ドラゴン三原則


「んんっ、んんんっ……!」


 松浦美希(まつうらみき)を、男は笑みを浮かべて見下ろしていた。

 手足を縛られ、さらに猿轡までされているので、彼女は抵抗はおろか助けを呼ぶことすらできない。いや、仮に抵抗されたとしても、男は彼女を易々と取り押さえる自信があった。

 ――何故なら、彼はドラゴンであるから。

 たとえ彼女が包丁を持ってきても、銃を所持していたとしても……おそらく、男の力には敵わないだろう。


「無駄さ、誰も助けになんか来ないよ」


 言い放つと、男は近くにあったパーキングブロックの一部を素手で抉り取った。

 そこは総合スーパーの屋上駐車場だった。照明設備や消火栓があちこちに点在し、数百台の車を収容できるスペースだ。男はその一角に、美希を拘束していた、

 大きな貯水タンクの物陰に位置するその場所は、あえて覗き込もうとしない限り人目には触れないだろう。だが、絶対に見つからないわけではない。

 しかし当然ながら、男はここに美希を永久に放置しておくつもりなどなかった。

 抉り取ったパーキングブロックの一部を、男は強く握った。すると彼の手が淡いオレンジ色の光を放ち……その光が、パーキングブロックの残骸へと移っていた。

 美希の目の前に、男はそれをゴトリと音を立てて落とした。


「感謝するんだな、お前を木っ端微塵にする前に、大事な娘が車ごと落下するのを、しっかり見届けさせてやる」


 そう言って男は、駐車場の一番端に位置する場所に停められた一台の車を指差した。

 購入してから間もない軽自動車、薄いピンク色で、お洒落さと可愛らしさを兼ね備えたデザインの、女性に人気のある車種だった。

 ウィンドウ越しに、ひとりの女の子の姿が見えた。

 後部座席に座り、美希と同じように手足を縛られて猿轡をされた、幼い少女だった。


「んんんっ、んんっ!」


 男を視線に捉えたまま、美希は凄絶に身動きする。

 猿轡のせいで、何と言おうとしたのかは分からない。『縄を解いて』と言おうとしたか、それとも『娘だけは助けて』と言おうとしたのかも知れなかった。

 しかしどっちだったにせよ、男は彼女の頼みを聞き入れるつもりなどなかった。美希もその娘も、男にとっては死刑囚。つまり、殺害を確定したターゲットに他ならなかったのだ。

 男はその場にしゃがみ込むと、茶色く染められた美希の髪を乱暴に掴み上げた。


「よくも俺のプライドを傷付けてくれたな、これはその報いだ」


 恐怖に染まった美希の顔を見つめながら、男は言った。

 美希はなおも声を発し続けたが、男はもはや、それを意に介することすらなかった。


「人間……いや、この『下等生物』が」



 ◇ ◇ ◇



「えっと、お醤油にごま油、それにお砂糖……ちょっとあんた、ちゃんと印付けてる?」


「あ、ああ……」


 次々と商品を買い物かごに放り込んでいくルキア。

 ショッピングカートを使わないのかと提案したが、『必要ないわよそんなの、戻すの面倒でしょ』と却下されてしまった。

 ついでに言うと、買い物の主導権も彼女に奪われてしまった。俺はチラシを見て、ルキアに商品の種類と個数を伝える係を問答無用で任されてしまったのだ。

 すでに買い物かごは満杯になりつつある。見るからに重そうなのだが、ルキアはまったく気にする様子も見せない。ドラゴンの強さって、こんな場でも役に立つんだな。

 

「調味料はこれで全部?」


 俺はチラシを見つめ直して、母さんが指定した調味料系統の商品全部に『済』マークが付いていることを確認した。

 

「ああ、これで全部だ」


「それじゃ、次は青果行くわよ。ピーマン五袋だったわね、確か」


 俺は耳を疑った。


「は? ピーマンなんて指定されてないだろ!」


「何言ってんのよあんた、チラシを見てみなさいよ。お母様、ちゃんとマークしてるわよ」


 そんなわけあるかと思った俺は、チラシの青果物の欄を見て目を疑った。

 ルキアの言った通り、俺の天敵たる緑色の拷問器具に、しっかりと赤マジックで印が付けられていたのだ。しかも、『×5』という表記まで添えて。

 つまり母さんは、ピーマンを五袋も買ってくるよう指示していたのだ。

 どうなってんだ、俺がピーマン嫌いなのは百も承知のはずなのに……!

 しかし、そんなことを考えている余裕はなかった。

 この場での最優先事項は、ピーマンを買われることをどうやって阻止するかだったのだ。


「ほら、マークしてあるでしょ?」


 ルキアの言葉は質問ではなく、確信を得ていることに関しての俺への確認だった。


「いや……してない」


 俺はチラシを後ろ手に隠して視線を逸らし、否定した。それが、俺にできる唯一にして最後の悪あがきだった。

 ピーマンを買われようものなら、今朝のような惨劇が繰り返されることは目に見えている。

 しかし、俺の抵抗はいとも簡単に崩れ去ることとなった。


「ほいっと」


 ルキアが、俺の手からチラシをひったくったのだ。

 

「あ、ちょっと……!」


「ほらここ、ちゃんとマークしてあるわね。ピーマン五袋」


 チラシが投げ返される。


「ていうか当然でしょ? ピーマンを買うようにお母様に提案したの、私なんだから」


 明かされた事実に、俺は仰天した。


「なっ!? なんつーことを……! このメ……」


「あ!?」


 危うく『メスドラゴン』と言うところだった。

 が、それを察知したルキアに睨まれて言葉が止まる。いや、止められる。


「あ、いや、その……このメロン、美味しそうだなーって……」


 チラシにデカデカと載っていた赤肉メロンを指差して、俺は苦し紛れに誤魔化した。

 

「ほら、さっさと買い物済ませるわよ」


 溜め息をつき、踵を返しながらルキアが言った。

 どうやら、俺が『禁句』を口走ろうとしたことは見抜かれていたらしい。でも、特に何も言ってはこなかった。

 慌ててルキアの背中を追い、野菜売り場へ向かう。

 俺は何も言えず、買い物かごに放り込まれていくピーマンの袋を眺めていることしかできなかった。


「あんたのご飯、これからしばらくはピーマン料理ね」


 俺にとっては、死刑宣告に等しい言葉だった。


「はああっ!?」


 ルキアは俺のほうを見ることもなく、


「お母様と約束したのよ。私が責任もって、あんたのピーマン嫌いを矯正するって」


 母さん、何考えてんだ……俺を殺す気か。

 いや、ていうか。

 

「無理やり俺にピーマンを食わせるのって、『ドラゴン三原則』に反するんじゃないのかよ?」


「何言ってんだか」


 俺の反論を、ルキアは鼻で笑い飛ばした。

 買い物かごに入れられたピーマン……見ているだけでも寒気がしてきた。これからこれを食わされる日々が続くと思うと、おぞましさに体が震えそうだ。

 ただ買うのではなく、ルキアは袋越しにピーマンをじっと見つめ、選別していた。母さんも野菜を買う際はやるのだが、物の良し悪しを判別して選んでいるらしい。

 五袋目のピーマンを買い物かごに放り込むと、ルキアは俺に向き直った。


「『ドラゴンは常に勤勉・実直にあり、人間の良き仲間とならなければならない。』それが第一の原則。つまり私はあんたの仲間として、あんたがピーマンを食べられるようにしてあげなきゃならないってこと。大体、ホストファミリーがピーマンも食べられない『お子ちゃま』だなんて、恥ずかしくて仕方がないわよ」


 お、お子ちゃまだと……!


「けど、第二の原則じゃ『ドラゴンは、その力を人間を傷つけるために振るってはならない。』ってあるだろ?」


 他の野菜を買いに向かう最中で、俺はルキアに訊いた。


「それは、闇雲に力を振りかざして人に危害を加えるバカなドラゴンを取り締まるための原則。ほら、こないだのドレイクやワイバーンみたいなね。そういう制限がなかったら、好き放題に暴れ回るドラゴンが後を絶たなくなるでしょ? 『ピーマンを食べさせる』のは、『人間を傷つける』という行為にはまず含まれないわよ」


 すらすらと説明するルキア。理にかなっているし、筋も通っているので反論の余地はなかった。

 ドラゴンの力は、人間のそれとは比べ物にならない。

 力を悪用すれば、いくらでも悪事が働ける。完全とは言い切れないが、ドラゴン犯罪の抑止力の役割を担っているのが『ドラゴン三原則』だ。

 ドラゴンに関する法律は事細かに定められているが、その中でもすべてのドラゴンが順守すべき社会規範とされているのがこれで、違反すればもちろん罰則を科せられるそうだ。 


「それに、第三の原則には『ドラゴンは人間の奴隷となってはならない。』ってあるでしょ? つまりこれは、私達も自己の権利を主張できるってこと。つまり、あんたの言い分を何から何まで聞き入れる必要はないってことよ」


「う……」 


 何となく、ドラゴン三原則の意味を都合よく解釈しているだけのようにも感じられるのだが……歯切れのいい反論を、俺は見出すことができなかった。

 そんなこんなで、結局ピーマンを買うのを阻止することはできず……俺は今日の晩飯にどんな恐ろしいピーマン料理が出されるのかを想像しながら、買い物を続けた。

 ルキアが好物だというマスカットもしっかり購入して(マスカットのパックを手に取った時、ルキアはもう、それはそれは嬉しそうな顔をしていた)、会計を済ませ、サッカー台でレジ袋に商品を詰め替え終えた、まさにその時だった。

 ――突如、どこからか爆発音が轟いたのだ。


「っ!」


 地震のごとき振動が、身の内にまで伝わってきた。

 驚きとともに振り返り、そこに広がる惨状に目を奪われた。

 青果売り場から程遠くない場所の一角が焼け焦げ、煙とともに燃え盛る炎に包まれていたのだ。

 そして、その近くには……数人の人が倒れ伏していた。


「これは……!?」


 ルキアもまた、驚きに表情を染め上げていた。

 俺と彼女は視線を合わせ、言葉を交わすこともなく――ほぼ同時に、駆け出した。





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