第2章 爆弾魔ドラゴンとの対決

第7話 天敵はピーマン


「ちょっと、いつまで寝てんのよ。起きなさいってば」


 聞き慣れない声に呼ばれて、俺は目を覚ます。

 母さんの声じゃない、一体誰だ……? と疑いつつ視線を向けると、白いワンピースを着た少女がこちらを睨んでいた。

 見知らぬ女の子が俺の部屋にいる――寝起きで意識が混濁していて目を丸くしちまったけど、すぐに思い出した。

 彼女は、ルキア。

 ドラゴンステイという制度に倣い、紆余曲折を経てうちの家族となったドラゴンだ。

 今の世の中、人の姿になれるドラゴンは数多く人間社会に溶け込んでいる。人間の姿になっているルキアも、一見すると華奢でスタイルの良い少女だが、俺も彼女の戦いぶり、それに強さを目の当たりにした。

 三体ものドラゴンを単独で相手取り、瞬く間に戦闘不能に追い込んだルキア。

 最強のドラゴン娘……彼女を称するに、それほど適した語は存在しないだろう。


「朝ごはん、もうできてるわよ。片付かないから、早く食べちゃってよね」


 よく見ると、ルキアはエプロンをしたままだった。

 母さんに頼まれて、俺を起こしに来たのだろうと思った。


「ふあ……分かったよ」


 欠伸交じりに応じると、ルキアは部屋から出て行こうとする。


「なあ、あのさ……」


 俺は思わず、彼女の後ろ姿を呼び止めた。

 今一度ルキアがこっちを振り向いた、チョーカーに付けられた銀色のプレートが揺れた。


「何?」


 忙しいから手短に、とでも言いたげな様子で、ルキアが応じる。


「お前って……どうしてあんなに強いんだ?」


 相手のドラゴン達は大人だったし、制空能力に長けたワイバーンが二体もいた。だがそれをものともせず、一方的に翻弄するように蹴散らしてしまったルキアの強さ……疑問に思わずにはいられなかったのだ。

 少しのあいだ、ルキアは俺と視線を重ねていた。

 何も言わなかったが、やがて彼女は呆れた表情を浮かべた。


「私が強いんじゃなくて、あいつらが弱すぎるのよ」


「えっと、そうなのか……?」


 正直、ドラゴンの強さの基準なんて俺には分からないから、それ以上は問い詰めようがなかった。

 まあ、一応は理屈が通っている……のか?


「何でもいいけど、早く下りてきて。ご飯が冷めるわよ」


 そう言い残して、ルキアは部屋から出て行ってしまった。

 何となく頭に引っ掛かるものはあったけど、まあ気にする必要はないだろう。

 俺はパジャマを着替え、部屋を出て居間に向かった。ドアを開けるといいにおいが漂ってきて、台所から母さんが顔を覗かせた。


「おはよう智」


「おはよう母さん」


 母さんに応じて、顔を洗おうと洗面所に向かおうとした。

 その最中で、台所にいるルキアが目に留まる。彼女は冷蔵庫のキッチンタイマーを見つめていた。IHクッキングヒーターに乗った鍋の中で、卵が茹でられているのが見えた。

 

「そろそろ頃合いね……」


 そう呟いたルキアが鍋に向き直った。

 すると何を血迷ったのか、彼女は今まさに沸騰している熱湯に手を突っ込んで、直接卵を取り出し始めたのだ。


「わああああっ!?」


 驚いた俺が思わず叫ぶと、ルキアは俺を振り返った。


「何、どうしたの?」


 熱湯に手を突っ込んだまま、しれっとして言うルキア。


「どうしたのってお前、そんなことしたら火傷……!」


「は? あんた何言ってんの? 私はドラゴンよ、こんなお湯なら飲むことだってできるわよ」


 ジト目でそう言うルキア。

 熱湯を『お湯』と言い切ってしまったことから、彼女にとってそれは常温より温めた水に過ぎないらしい。

 ああ、そうか……人間の姿でいても、ルキアはドラゴン。

 体の丈夫さも、ドラゴンの姿でいる時と変わらないのだ。


「あ、そうだった……」


 思えば、人間の姿でいるルキアを見ている時間が長いせいで、彼女がドラゴンであるという実感が湧きづらいのかもしれない。

 と、その時……母さんが笑みを浮かべてこっちを見ていた。


「優しいのね智、本気で焦っちゃって……ルキアちゃんのこと、心配してあげたの?」


「んなっ!?」


 図星を指されたと思った次の瞬間、


「えー、そうなのー?」


 からかうような笑みを浮かべて、ルキアに追撃される。

 

「ち、違う! 絶対違うっ!」


 赤面しつつ、俺は洗面所に逃げ込んだ。

 母さんとルキアの笑い声が聞こえてくる、ったく、ふたりして俺をいじりやがって……!

 ぶつくさ文句を言いつつ洗顔と歯磨きをを済ませて、俺は椅子に腰を下ろした。

 ダイニングテーブルには、ルキアが用意してくれたという朝食が並べられていた。献立はご飯に味噌汁に野菜炒め、それにタクアンだった。

 

「いただきます」


 食べながら、俺はふとテレビを見つめた。

 画面には、見慣れた人物が映っていた。

 長い金髪に、切れ長の瞳が印象的な年若い男性――誰もが名前を知るであろう、ドラゴンの長だ。


『十五年前に起きた、かの『業火の鳥籠』が世間を騒がせて以来、ドラゴンの安全性について皆様が疑問を抱くのは至極当然のことと存じております。しかし、これだけは申し上げておきたく……我々ドラゴンは、決して皆様の敵ではない。今後とも皆様と、我々ドラゴンが手を取り合い、ともに生きていける世の中の実現、それにドラゴン犯罪の根絶を目指し……誠心誠意、努力してまいる所存です』


 記者や報道陣の前で毅然として語る彼、名は『オスヴァルト』。

 龍界最高議長たる彼は、日本でいうところの総理大臣、アメリカでいうところの大統領……つまり、龍界で一番偉い人ってことだ。

 もちろん彼もドラゴン……それもとてつもなく強大なドラゴンらしいのだが、彼がドラゴンの姿になったところを見た人は誰もいないらしい。


「『業火の鳥籠』、か……」


 俺は思わず、呟いた。

 オスヴァルト議長が口にした『業火の鳥籠』、それは十五年前――俺が産まれてほんの数か月後に勃発した、龍界最悪と称される事件のことだ。

 俺が知っているところによると、ある一体のドラゴンが反旗を翻し、その圧倒的な火力を以て龍界に壊滅的な被害を与えたと聞いている。実行犯のドラゴンは捕らえられ、龍界の掟に従って処罰されたと報じられているようだが、記録の大部分が消失、あるいは秘匿されているとのことだ。

 そのドラゴンが、何故龍界に牙を剥いたのか。どんなドラゴンだったのか。そして、そのドラゴンはどんな罰を受けたのか。多くは明かされておらず、真相は謎のままらしい。ただ明確なのは、そのドラゴンは人間界における核兵器と同等か、それ以上の破壊力を有していて……『姿を持つ悪夢』と称される、あまりにも強大な恐怖の存在ということだ。

 オスヴァルト議長は、報道陣から『業火の鳥籠』について問われると、『かのドラゴンは捕らえられ、相応の罰を受けた。このドラゴンによって同じ悲劇が繰り返されることは絶対にありえない』としか語らなかった。

 それはどことなく曖昧で、消化不良感が残る説明な気もするが……それでもオスヴァルト議長の全ドラゴンの長としての責任感、それにドラゴンと人間の共存を第一に掲げた政策方針が一定の支持を得ているのもまた、揺るがぬ事実だ。

 テレビを見ながら、俺はご飯も味噌汁も、野菜炒めも平らげた。

 ルキアが作った朝食は母さんとは違う味がして、とても美味しかった。美味しかったのだが……ひとつだけ問題があった。


「ごちそうさま」


 俺は箸を置いて、部屋に戻ろうとした。


「ねえ、ちょっと」


 すると、ルキアに呼び止められる。


「あんた、何でピーマンだけ全部残してんのよ?」


 皿の端に追いやられたピーマンを指差しつつ、ルキアが問うてくる。

 それこそが、ルキアの料理のただひとつの問題点だった。

 

「言い忘れてたわ。ルキアちゃん、智は小さい頃からピーマンが食べられないのよ」


 台所で洗い物をしていた母さんが言った。

 俺は昔から、苦くてえぐいピーマンが大嫌いだった。

 

「どうしてよ、ピーマン美味しいじゃない。食べてみなさいよ」


 ルキアの言っていることが、俺には到底理解できなかった。

 初めて食った時の衝撃が未だに忘れられなくて、人間が口にするものではないとすら思っていた。


「嫌いなんだよ」


「そんなこと言わないで、食べてみなさいってば!」


 なおも食い下がってくるルキアに、俺は痺れを切らした。


「嫌いなんだってば。とにかくもう、ピーマンは使わないでくれよな」


 強めの口調で言った。

 しかしその俺の言葉が、破滅への引き金となってしまった。


「何ですって……!?」


 ドスの効いた声に振り返ると、ルキアが地鳴りでも響かせそうな足取りで近づいてきた。


「いっ……!?」


 その威圧感に気圧され、身動きが取れなくなる。

 ルキアは俺の手首を掴むと、強引に俺を引っ張っていった。


「ちょっ、何すんだよ……!?」


 抵抗しようとするが、相手はドラゴンだ。まるで歯が立たない。

 

「人があんたのために作ったご飯にケチつけた挙句、残すってどういうことよ!」


 ルキアは突き飛ばすようにして、俺を再び椅子に座らせた。


「『人が作った』って、お前は人じゃなくてドラゴン……!」


「そんなことはどうでもいい!」


 俺の言葉を遮断すると、ルキアはさっきまで俺が使っていた箸を手に取り、ピーマンを器用に全部掴み上げた。

 これから何をさせられるのかを悟った俺は、凄まじい恐怖に表情を強張らせた。


「このピーマン全部食べるまで、そこから立たせないわよ!」


 空いた左手で、まるでプロレス技のアイアンクロ―がごとく、ルキアは俺の頭をがっちりと掴んだ。

 そして、俺が残したピーマンが目の前に突き出される。


「はい、あーん!」


 逃げることなどできなかった、俺にできたのは、口を固く閉じてピーマンを食わされないよう抵抗することだけだった。


「んんっ、んんんーっ!」


 悶えるように声を発しながら、必死の抵抗を試みる俺。

 そこに母さんが近づいてきた。助けてくれるのかと思った次の瞬間、


「えい!」


 何を考えたのか、母さんは笑い交じりに人差し指で俺の脇腹をつついたのだ。


「ぶほっ!?」


 吹き出してしまい、閉ざしていた口を開けてしまう――その隙を逃さず、ルキアが俺の口にピーマンを突っ込んだ。


「ぎゃあああああ――ッ!!!!!」


 俺の絶叫が響き渡る。

 結局俺は吐き出すことも許されず、天敵たるピーマンをじっくりと味わわされてしまった。

 小さい頃からずっと避け続けてきたピーマンを、まさかこんな形で食わされることになろうとは……!


「よかったわね智、いい『お姉ちゃん』ができて」


 口の中に充満する苦みを取り去ろうと、何杯も水を飲む俺の隣で、母さんが笑みを浮かべつつ呑気に言った。





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