第6話 よろしく
ドラゴンの姿に変じたルキアは、その翼を羽ばたかせて一気に空へと舞い上がった。
彼女と相対する二体のワイバーン、それにドレイクも後を追う。
「へへ、バカな奴だ。空中で俺達相手に敵うとでも思ってやがんのか?」
ワイバーンの一体が、そう言った。
ドラゴンの中でも二本脚で、前脚と翼が一体化したタイプが『ワイバーン』だ。『飛竜』とも称され、小柄であれどもその制空能力は高く、空中を俊敏に飛び回ることが可能である。
しかもそれが二体、さらにはドレイクまでいるのだ。三対一という状況だけでも圧倒的不利であるのに、あえて空中戦を挑んだルキアの選択は、相手からすれば無為無策に他ならないだろう。
しかし、
「その質問の答えは、三分後にはあんた達が身をもって知ることになるでしょうね」
やはり、彼女の気丈さは揺らぐことはなかった。
翼を羽ばたかせて滞空しつつ、ルキアはその青い瞳で三体のドラゴン達を見据えていた。
「御託はいいわ、さっさとかかってきなさいよ」
挑戦的な言葉を受け、二体のワイバーンがルキアに同時に襲い掛かった。
「てめえ、二度と喋れなくしてやる!」
「やっちまえ!」
挟み撃ちにするように迫ってきたワイバーン達、しかしルキアはその攻撃を、舞い上がる動作だけでいとも容易く避けてしまった。
もちろん、それで終わりはしない。体勢を立て直した二体のワイバーンは、今一度ルキアに接近して攻撃を仕掛けてくる、その鋭い爪と牙を活かした引っ掻きや噛みつきを繰り出してきた。
しかし、彼らの攻撃は届かない。不意を突いても、死角から迫っても、まるでそれらを読み切っているかのように、ルキアは攻撃をすべてかわしてしまう。
「何だこいつ、全然当たらねえ!」
「制空能力でワイバーンの俺達を上回るなんて、ありえねえぞ……!」
攻撃の手を止め、しびれを切らしたようにワイバーン達が言う。
すでに彼らは息を乱し始めていた。対して、ルキアはまだ余裕の表情だ。戦闘というよりも、ルキアが二体のワイバーンを一方的に翻弄し続けている状況だった。
「何、もう終わりなの?」
格の違いを思い知らされ、ワイバーン達はルキアの言葉に何も言い返せなかった。
「それじゃ……今度はこっちから行かせてもらうわ!」
滞空したまま、ルキアは天を仰いで咆哮を上げた。
街中なので音量は抑えていたが、それでも目の前の敵を怯ませる迫力を帯びたそれには、反撃開始を告げる合図の意味も込められていた。
その迫力に、ワイバーン達はだじろいだ。女性は発したとは思えないほどに、ルキアの咆哮には迫力が溢れていたのだ。
「お前ら何ビビってんだ、『アレ』を使え!」
戦いを傍観しているドレイクが叫ぶ。
我に返ったように、ワイバーン達がその尻尾を構えた。その先には槍のように発達した突起が付いていて、そこから透明な液体が染み出ていた。
「毒棘だ、一撃でお陀仏だぞ!」
「死ねえ!」
自身の切り札といえる武器の存在を思い出し、戦意を取り戻したらしい。
尻尾の突起の切っ先を向けたまま、二体のワイバーンが再びルキアへと迫ってきた。
彼らが言う通り、あの毒棘で一ミリでも傷付けられれば致命傷に繋がりかねないだろう。飛ぶことに特化し、近接戦闘を得意とするワイバーンの特徴と合わさった、まさに彼らにはうってつけの武器だった。
しかし、
「そんなの、当たらなければ何の意味もないわよ」
ルキアは恐れるどころか、ワイバーン達に向かって一気に迫り、間合いを詰めた。
ワイバーン二体の攻撃を軽くあしらう制空能力に加え、彼女は一瞬で最高速度に達する加速力を備えていたのだ。
毒棘を繰り出せば、多少の牽制になると思い込んでいたに違いない。しかしルキアはそれを意に介することすらなく、ワイバーン達は狼狽を隠せない。
迎撃しようと、毒棘を備えた尻尾が突き出される。
だが、半ば不意を突かれた状態で繰り出されたそんな攻撃は、窮鼠が猫を噛んだと言うにはほど遠い結果に終わった。
ほんの少し、身を横へ動かす。ルキアのたったそれだけの動作で、ワイバーン達の攻撃は目標を失い、無意味に空を切ったのだ。
そして宣言通り、ルキアは今度は反撃を繰り出した。
攻撃をかわされて隙だらけになった二体のワイバーン、まずは手近にいた一体に狙いを定め、体勢を立て直す猶予も与えず、ルキアはその腹部に尻尾の一撃を命中させた。
「がはッ……!」
回避も防御もできなかったワイバーンは、そのまま地面へと墜落していった。
ルキアの攻撃は終わらない。離れた位置にいたもう一体のワイバーンを、再度尻尾を振るって打ち払ったのだ。
回転動作の勢いも載せた、まるで鞭のごとき一撃。先のワイバーンと違い、苦悶の声を発する猶予すら与えなかった。
ルキアの強さの前に、成す術なく蹴散らされた二体のワイバーン。道路に叩き落とされ、気を失った彼らが戦闘を続行できるかなど、確認するまでもなかった。
「三分もいらなかったわね」
そう言い放ち、ルキアは最後の敵を向いた。
恐らく、放火犯達のリーダー格であるドレイクと、視線が重なる。
「それで、残るはあんただけだけど」
ドレイクは翼を一定間隔で羽ばたかせながら、腕を組んでルキアを見つめていた。
今のところは、襲い掛かってくる気配はなかった。
「見た感じ、あんたがリーダー格みたいだから訊いておくけど……どうしてあんなことをしたの? 人を傷付けてはいけない、それは私達ドラゴンの原則で定められていることでしょう?」
燃え盛る家や、あそこに取り残された女の子のことを思い出しながら、ルキアは言った。
「貴様に話す筋合いはない」
威圧感を帯びた声で、ドレイクは言った。
「そう、だったら裁判の場で話すのね。どんな理由があるにせよ、火を付けて女の子を危ない目に遭わせたことは赦されないわ!」
「生憎だが、裁判にかけられる気も、捕まるつもりもない……!」
これ以上の会話は不要だと言わんばかりに、ドレイクはルキアに向かって炎を吐き出した。
ルキアもまた炎を吐き返し、お互いが放ったオレンジ色のそれが、真正面から押し合う形となる。
当初は互角に見えた炎の鍔迫り合いだったが、力の差はすぐに表面化した。
十数秒が経過した頃だった。ドレイクはすでにその顔に疲れを滲ませ始めていたが、対するルキアは余裕の表情だった。
決着の時は、すぐに訪れた。
ドレイクが炎を切らせ、押し留めていたルキアの炎が一気に襲い掛かったのだ。
「がっ!」
ルキアの炎は、ドレイクであれど無傷ではいられない熱量を帯びていた。
炎を振り払おうと足掻く彼目掛けて、いつの間にか接近していたルキアの尻尾が迫る。
さっきのワイバーンと同様、ドレイクは鞭のごとく強烈な一撃を喰らわされ、道路へと墜落した。
「ぐっ、まさか……!」
アスファルトの地面が抉られるほどの勢いで叩きつけられたが、ドレイクは気を失わなかった。
しかし負ったダメージは軽くなく、その場で身を起こすのがやっとのようだ。
「さっきのブレス、私は本来の出力の半分も出してないわよ。言っとくけど、その気になればあんたを消し飛ばすことなんて簡単だったわ」
ドレイクの数メートル前に舞い降りつつ、ルキアは言った。
「どう、まだ続けるってんなら相手になるけど?」
立ち上がろうともせずに、ドレイクはただその場で「くそっ……!」と悪態をつく。
力の差が明白だと思い知った彼の選択肢は、もはや降参のみだった。
◇ ◇ ◇
ルキアに叩きのめされたワイバーン二体とドレイクを含め、六人の男達は拘束され、連行されていった。無論、ドラゴンには専用の拘束具が使用され、牙や爪、尻尾も無力化され、火を吹くこともできない状態にしてだ。
そして俺は、警察官の質問に応じていた。
「怪我はしていないかい?」
警察官といってもドラゴンで、体格も俺達人間に一番近く、翼もないリザードマンだった。
それでもしっかり警察の制服に身を包み、制帽を被っている。腰には手錠や拳銃が見て取れて、装備も人間の警察官と変わらないのだ。
「ええ、大丈夫です」
俺がそう応じると、リザードマンの警察官は頷いた。
「女の子を助けたかったのは分かるし、とても道徳的な行動だと思うけど……無茶はしないようにね」
「はい、すみません……」
俺が応じると、リザードマンの警察官は近くに立っていたルキアを向いた。
もう、彼女は人間の姿に戻っていた。
「犯人逮捕に協力してくれてありがとう、君は彼の知り合いかな?」
ルキアは一瞬、俺に視線を映した。
「知り合い……ていうか、私のホストファミリーです」
その言葉に、思わずルキアの顔を見た。
俺のことを『家族』と言ってくれるとは思っていなかったのだ。
「そうだったのか、それじゃあ彼のこと、家まで送ってくれるかい?」
「ええ、分かりました」
その後、俺はルキアとふたりで帰路についた。
まだ、メス呼ばわりしたことを謝っていないことに加え、あんな事件のあとだ。どう会話を切り出せばいいかも分からなくて……重苦しい沈黙の中、歩を進めていた。
隣を歩くルキアの顔を、チラリと見た。
そして、決心を固めた俺は……切り出した。
「あの、さ……」
「ん?」
ルキアがこっちを向いた。
「その……ありがとな。お前が来てくれたお陰で女の子を助けられたし、俺のことも助けてくれて……」
何だか照れくさくて、視線を泳がせながら、ぎこちなく感謝するのが精一杯だった。
「それと……メスドラゴンなんて言って悪かった、ごめん」
ようやく伝えられた謝罪の言葉に、ルキアはただ目を丸くしていた。
どんな返答が戻ってくるか、少し身構えていると……ルキアはため息をつき、視線を外した。
「言えるんじゃない」
どこか遠くを見つめながら、彼女はそう呟いた。
「え……?」
ルキアが、また俺のほうを向いた。
チョーカーに付けられた銀色のプレートが、陽の光を受けて煌めいていた。
「悪意を持ってメスだなんて言ったんじゃないってことくらい、分かってる。そう一言謝ってくれれば……私は何も引きずったりなんかしないわよ」
俺が何も言えずにいると、ルキアは続けた。
「あんたの行動……無謀とも言えるけれど、あのリザードマンが言っていたとおり、道徳的でもあったわね。危ない目に遭っている女の子がいるって知りながら、何もせずただ手をこまねいていたんなら……私はあんたを許さなかったと思うわ」
自分の行動が間違いだったのでは、と思い始めていた。
けれど、ルキアの言葉は……それに対する答えを教えてくれている気がした。
「ま、あんたのことも見直したところで……私のドラゴンステイも終わりね」
「終わりって?」
俺は訊き返した。
「不本意な相手を家に置いておきたくないでしょ? ドラゴンステイをキャンセルする手続き、すぐにでもしてきてあげる。私は書類にサインするし、お母様にも言っておくわ」
思わぬ提案に、俺は瞬きも忘れてしまった。
ドラゴンステイを取りやめる際、手続きにはそのドラゴン、そしてホストファミリー全員の同意が必要なのだ。
「短かったけど、私も楽しかったし……あんたが望んでいたような良い家族(ドラゴン)、見つかるといいわね」
そう言うルキアの横顔が、俺には何となく悲しげに見えた。
道徳的と言ってくれたけど、それは彼女も同じことだと俺は思っていた。
彼女が助けてくれなかったら、今頃俺はあの炎に飲まれて……それに、女の子を助けることもできなかったに違いない。今回の一件で、俺はルキアに大きな借りを作ってしまったのだ。
「あの、さ……」
「何?」
ルキアのほうを見ないまま、俺は言う。
「目玉焼きの作り方……教えてほしいんだ」
「目玉焼き?」
直接的に言うのがどうしても照れくさくて、こんな遠回しな言い方しかできなかった。
「俺、不器用だから目玉焼きも満足に作れなくてさ、お前が作ってくれたあの目玉焼き、すごい美味しくて……だから、その……」
不自然に指先で頬を掻きながら、曖昧に言う。
我ながら、何言ってんだと思った。
ルキアはしばらく、何も言わなかったけれど、
「ぷっ……!」
急に、笑みをこぼした。
「な、何だよ……!?」
俺の顔は、きっと赤くなっているだろう。
は、恥ずかしい……!
「それってつまり、私に家にいてほしいっていうこと?」
歌い上げるように、それはそれは楽しそうに、ルキアは言った。
「なっ、えっと、その……!」
「どうなの?」
ずいっ、とルキアが顔を近づけてくる。
俺はもう視線を合わせられなくて……別の場所を見つめながら、小さく頷くのみだった。
「そっかそっか、それじゃあ……仕方ないわね」
「し、仕方ないってお前……!」
どうにか言い返そうとした時、ルキアが前に歩み出た。
「ま、これからよろしく」
俺を振り返り、手を後ろで組みながら、ルキアが言った。
もう、何を言おうとしていたのかも忘れてしまう。
「智、ルキアちゃん!」
遠くから、聞き覚えのある声がした。
母さんだった、俺達を心配してここまで来てくれたのだろう。
「ほら、行こ」
母さんのほうへ向かって、ルキアが駆け出した。
「あ、ちょっと!」
慌てて俺も、その後を追う。
当初は先が思いやられたが、もうしばらくこのドラゴンとともに日々を過ごしてみたいと感じていた。
そしてもちろん、ルキアとの出会いがあれほどの出来事に繋がろうとは……この時の俺は、知る由もなかったんだ。
ま、そんなこんなで……最強のドラゴン少女が家族になってしまった。
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