第5話 白きドラゴン
その後、俺達は脱出した。
燃え盛る火の中をもう一度潜り抜ける必要はなかった、ルキアが俺と女の子を腕に抱えて、崩れ落ちた天井から外へと連れ出してくれたからだ。
歩道に降り立つまでのわずかな時間だったが、俺は教習所以外で初めて空を飛ぶという経験をした。俺と女の子、ふたりの人間を抱えた状態で飛んでいたのだが、ルキアは一切重たがる様子を見せなかった。
人間の姿でいても、彼女はドラゴンなのだ。ドアを力任せにぶっ壊した時といい、その力は人間とは格が違うのだろう。
「ママ!」
地上に降りると、女の子はお母さんのところへ一目散に駆け寄っていった。
「ああ、よかった……!」
お母さんは、女の子を抱き留めた。
燃え盛る家の中に取り残された娘が心配で、気が気じゃなかったに違いない。
「本当にありがとう御座います、娘を助けてくれて……!」
女の子を抱いたまま、お母さんは俺とルキアのほうに視線を向けつつ言った。
安堵から流す涙で、その頬が濡れているのが見えた。
「あ、いえ、そんな……」
感謝された俺は、どことなく照れくさくて……ちゃんとした応対ができなかった。
対してルキアは、
「いいんですよ、これくらい」
俺とは違って、しっかりとしていた。
人間換算で、ルキアは俺と同じく十五歳だと聞いている。でも、落ち着いているというか何というか……大人びた感じがした。
「ほら、お兄さんとお姉さんにお礼は?」
お母さんが、女の子の頭を少し撫でたあとで言った。
女の子が、俺のほうを向いた。
「お兄さん、ありがとう!」
「あ、ああ……!」
お母さんに感謝された時と同じように、俺は照れちまった。
改めて見ると、とても可愛い女の子だった。顔立ちは整ってるし、大きくなったら美人になる予感がする。
続いて女の子は、ルキアを向いた。
「ありがとう、ドラゴンのお姉ちゃん!」
ルキアは優しく微笑んだ。
「どういたしまして」
それからすぐに消防が到着して、火は消し止められた。
怪我人は出なかったけれど、正直女の子は危なかっただろう。というか俺も、ルキアが来てくれなければきっと今頃は……。
燃え盛る家の中に、女の子が取り残されている――その事実にじっとしていられなくて、思わず突っ走っちまった。でも結局何もできなくて、ルキアに助けられてしまった。
改めて、ちゃんと助けてもらったお礼を言おう。それから……メス呼ばわりしたことも謝ろう。
俺が謝れば、ルキアは許してくれる……母さんの言葉を思い出しつつ、俺はルキアへと歩み寄っていった。
「あのさ……」
俺は、ルキアの背中に話し掛けた。
しかし返事はなく、彼女は俺のほうを向こうともしない。
「なあ……」
聞こえていないのか、あるいは無視されているのか……そう思いつつ、俺はルキアの横に回る。
その横顔が見えた瞬間、俺は思わず息をのんだ。
――射抜くような眼差しで、ルキアがどこかを見つめていたからだ。彼女の視線の先を追うと、数人の男達の姿が目に留まった。
髪を金色に染めていたり、ピアスをしていたり……すごい太った奴もいる。いかにも柄の悪そうな男達で、人数は全部で六人だ。
男達は焼け焦げた家をジロジロと見つめたあとで、何やら笑みを浮かべながら立ち去っていき、建物の陰へと姿を消した。
あいつらが、どうかしたのか?
そう訊く間もなく、ルキアはいきなり駆け出した。
「ちょ、おい!」
思わず俺は、ルキアの後を追った。
走っていく最中に何度か制止したが、まるで聞く耳を持たれなかった。
ルキアが向かった先は、さっきまであの柄の悪い男達が立っていた場所だった。そこに行くや否や、建物の陰に姿を消したと思っていた男達と鉢合わせする。
六人の男達の視線が、俺とルキアに注がれた。
「何だてめえら、俺達に用でもあんのか?」
その男は咥えていた煙草を吐き捨て、靴で踏みにじった。筋肉質で、髪を金色に染めていて……鋭い眼つきをした、いかにも柄の悪い男だ。
威圧感に満ちた言葉に、俺はビビッてしまって何も言えなかった。
しかし、ルキアはそうではないようだった。
「用、ね……そんなの、言わなくても分かってるんじゃない?」
男達は黙り込んだ。
ルキアが何を考えているのか、俺には分からなかった。
こんなヤバそうな奴らに、理由もなく喧嘩を吹っかけているようにしか見えなかったのだ。ルキアが強いのは分かったが、相手は六人もいるんだ。
一触即発の空気が漂う中、俺はルキアに声を掛けた。
「な、なあ、やめとけって。何考えてんだか知らないけど……!」
「あんたは黙って!」
あまりの剣幕に、思わず身が震えた。
俺を問答無用で黙らせると、ルキアはまた男達のほうに向き直った。
「あの火事のこと……あんた達、何か知ってるんじゃないの?」
男のひとりが、鼻で笑い飛ばした。
「はっ、何言ってんだか……頭イカれてんじゃねえのか?」
しかし、ルキアはまったく動じなかった。
「あんた達の身体から、あの火災現場の炎と同じにおいがするのよ。それも、間近であの炎と接したほどに強くね。もし無関係だってんなら、一体どこでどうしてそんなにおいが付くんだか、私が納得いくように説明してみなさいよ」
男達は何も言わない。だが、それこそがルキアの意見が的を射ていることの証であると思えた。
ドラゴンは人間よりも力が強い。さらに種にもよるが、嗅覚や聴覚などの感覚機能も人間以上に鋭敏なのだ。
男達の視線が注がれる中、ルキアはまた口を開いた。
「それから、さっきあんた達があの家をジロジロ見ながら、『ざまあみろだ』だの『もっと焼いてもよかった』だの言ってたのも、聞こえてんのよ」
俺は息をのんだ。
それじゃあやっぱり、こいつらなのか。こいつらがあの家に火を付けたってことなのか。
「警察に調べられれば、きっと本当のことが分かるでしょうね。かといって逃げようったって無駄よ。誰ひとり、逃がしはしない」
男達の誰かが、笑い声を発した。
「逃がしはしない、ってのはこっちの台詞じゃねえか。お嬢ちゃん、余計なことに首を突っ込んじまったな。悪いけど、無事では帰せないなあ?」
ルキアは俺を振り返ると、
「行きなさいよ、警察を呼んできて」
「えっ、でも……!」
ここにルキアをひとり残すことに、俺は迷いを抱いた。
「いいから、早く!」
しかし彼女自身にそう告げられ、俺は男達とルキアに背を向け、駆け出した。
◇ ◇ ◇
智がこの場を立ち去ったのを確認し、ルキアは男達に向き直った。
「言っとくわよ……あんた達が危ない目に遭わせた女の子と、そのお母さんにすぐに謝って! さもないと……本当にただじゃおかないわよ!」
眼前に並ぶ男達、人数は六人。彼らの視線が浴びせられる中、ルキアは臆せずに叫んだ。
それまでは冷静に振舞っていたが、確信を得た今では、もう男達への怒りを隠すつもりはなかった。
一時の沈黙が流れる。それを破ったのは、男達の中のひとりだった。
「ぷっ、くっ……はっはっはっはっは!」
それを合図にしたかのように、他の男達も一斉に笑い出し、その場は嘲笑の渦に包まれる。
「何言ってんだこのガキ、状況が分かってないんじゃねえか? ははははは!」
「おいおい、そんな言い方すんなって……ぎゃーっはっは!」
腹を抱えて笑う男達を前に、ただルキアは拳を握りしめた。
予想通りの反応だった。奇跡でも起きない限り……いや、仮に奇跡が起きたとしても、あんな命令に従うような連中ではないと、ルキアは分かっていた。
男の中のひとりが、歩み出てくる。体が大きくて肥え太っていて、近くに寄ると臭そうな男だ。
「さっきから思ってたけど、面白いお嬢ちゃんだねえ。でも、口の利き方は考えないと……タダじゃすまないのは、どっちかなあ……?」
下劣な笑いを浮かべながら、男は覗き込むようにルキアを見つめてきた。
「おっ、近くで見たら結構カワイイ顔してんじゃねえか。それに良い体……どうだ、俺の言うことを聞くってんなら、悪いようにはしねえぜ……?」
ベロリと出された男の舌には、大小いくつものピアスが光っていた。
目を閉じて視線を下げ、ルキアは深いため息をついた。
「そう……なら、仕方ないわね」
ルキアが顔を上げる。その青い瞳が再び、顎が二重にたるんだ男の顔を映した、まさにその時だった。
ドスッという音とともに、
「おごっ……!」
という奇妙な声が響いた。一瞬の硬直を挟んで、男はルキアの足元に崩れ落ちた。ルキアが、分厚い体脂肪に覆われた男の腹部に深々と拳を突き入れ、昏倒させたのだ。
だが、彼にはそれを理解する暇すらなかっただろう。
突如として強烈な痛みに襲われ、訳も分からず倒れ伏した。男からすれば、そんな感じだったに違いない。
「お断りよ。あんたみたいな下衆で品のないメタボ男、ゼロ秒で願い下げだわ」
倒れ伏した男の背中に、ルキアは吐き捨てるように言った。聞こえているかは分からないが、別にどうでもいい。
仲間の男達に、ルキアは向き直った。
「おいおい何やってんだ、冗談はやめろって」
状況を理解していないのだろう、仲間達が呑気な様子で倒れた男に歩み寄り……そして皆息をのんだ。
ルキアのパンチを喰らった男は、腹部を押さえつつ呻き声を上げ、白目を剥いてイモムシのように身をよじらせていた。それが冗談でも縁起でもないのは、誰の目にも明らかだった。
男達が一斉に、弾かれたようにルキアを向いた。
その時にはもう、全員の表情から余裕が消えていた。
「えっ? ま、まさかこのガキ……」
そんなことがあるわけない、とでも言いたげな様子で、もうひとりの男がルキアの胸倉へ手を伸ばす。
しかし触れられるより先に、ルキアが男の手首を掴み上げた。
「ぎっ、いででででで! があああああっ!」
たったそれだけで、男は苦悶の声を上げる以外の行動を封じられてしまう。
そしてさっきと同様に、男の腹部にルキアの拳が深々と突き入れられた。
「がばっ、か……あ……」
男は、仰向けの体勢で地面に倒れ伏した。
目の前にいるのは、自分達が思っていたような非力で脆弱なただの少女ではない。そのことにようやく気づいた残りの男達が、身構えた。
どこかから拾ってきたのだろう、次にルキアに迫ってきた男は、その右手に鉄パイプを握っていた。
「てめえ、よくも!」
ふたりの仲間を倒され、逆上した男がルキアに襲い掛かる。
「死ねえっ!」
リーチまで踏み入るや否や、一片の容赦もなく、男はルキアの頭部を狙って鉄パイプを振り下ろした。
鉄パイプが空を切る音の直後に響いたのは、パシッという耳障りの良い音だった。
僅かも表情を変えることなく、しかも片手で、ルキアは男が振り下ろしたそれを受け止めたのだ。
「なっ、こ……の……!」
掴まれた鉄パイプを奪い返そうと、男が力を込める。しかし、ルキアはそれを離さない。離すどころか、微動だにすらさせない。
筋肉質で体格の良い男の全力が、ルキアの片手の握力に完全に負けていたのだ。
「こんな物持たなきゃかかってこられないの? 自分が弱いって言ってるようなもんよ」
手前に引っ張る形で、ルキアは男から鉄パイプを奪い取った。その際に男はバランスを崩し、前のめりになる。がら空きの背部に、ルキアの手刀が命中した。
「うがあっ……!」
三人目の男が倒れるのを見もせずに、ルキアは残った男達に向き直り、さっき奪った鉄パイプを目の前に掲げる。
鉄パイプの両端を掴むと、ルキアはそれが小枝であるかのように、ふたつにへし折った。
どよめく男達にゆっくりと歩み寄りつつ、ルキアは言った。
「で、次は誰? 何だったら、全員まとめて相手するわよ」
分断された鉄パイプを無造作に投げ捨てる、カランカランという金属音が重く鳴り響く。
ルキアに気圧されたのか、男達は思わず後退した。
「人間業じゃねえ……てめえ、ドラゴンだな!」
「だったら何だってのよ、降参でもする?」
男の言葉に、ルキアはそう返した。気持ちが良くなるほど挑戦的で、強気な態度だ。
残った三人の男が、横一列に並んだ。
「後悔させてやる……やるぞお前ら!」
「ああ!」
「おおっ!」
男達の体が眩い光に包まれ、そのシルエットが人間から、別のものへと変じていく。
大きさがみるみる増していき、角、翼、尻尾が形作られ――光が消えた時、そこに男達の姿はなかった。
代わりに、三体のドラゴンがそこにいたのだ。前脚と翼が同化したワイバーンが二体に、四本の脚と翼を有するオーソドックスなドレイクが一体。
あの男達の真の姿だった。あの三人もまたルキアと同じ、『人間の姿に変身する能力を持つドラゴン』だったのだ。
「どうだガキ、泣こうが喚こうが許しやしねえぞ!」
勝ち誇ったように、ワイバーンが言った。
ルキアは、またため息をついた。
「別に泣きも喚きもしないわよ、図体と一緒に気まで大きくなったってわけ?」
目の前には、自分よりも遥かに大きいドラゴンが三体もいる。それでも、彼女の気丈さが崩れることはなかった。崩れるどころか、揺らぐことすらなかった。
「へへ、強がっても無駄だ!」
「その減らず口、今後一切叩けないようにしてやる!」
ワイバーンの二体が示し合わせたように言うと、ルキアは三度目のため息をついた。
真の姿を現せば、勝てると信じ込んでいるのか。そう考えると、もう呆れるしかなかったのだ。
「強がりかどうか、存分に確かめさせてあげるわ」
ルキアは目を閉じ、祈りを捧げるかのように胸に両手を当てた。すると、風もないのに彼女の髪や衣服が揺れ始め、その体が淡い光を放ち始める。
直視できないほどに光が強まった次の瞬間、一体のドラゴンが姿を現した。
そのドラゴンこそ、ルキアが変身した姿――いや、それは厳密には正確ではない。というのも、このドラゴンの姿こそがルキアの本来の姿であり、先程までの人間の姿こそ、『変身していた姿』なのである。
ドラゴンの姿のルキアには、どことなく人間の姿でいる時の面影が残っていた。
汚れを知らないような純白の身体は美しく、空を突き刺すように伸びた一対の金色の角は気品に溢れていた。細く曲線的な体は女性的であったし、その身を覆っても余る大きさの翼は優雅で、神々しい雰囲気を醸していた。一方でその牙や爪は鋭く、腕や脚には鋭利に発達した突起が見受けられ、気高さや強さも感じさせる。
そして何より、青く透き通るようなその瞳は、人間の姿でいる時のルキアと何も変わらない。
「言っとくけど、ドラゴンの力を人を傷つけることに使うような奴らに、私は容赦なんてしないわよ!」
ドラゴンの姿に変じたルキアは、眼前に居並ぶ悪辣なドラゴン達に言い放った。
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