第2話 智とルキア


 ドラゴン。

 それが空想や御伽噺の中の存在ではなく、人間の仲間としてともに生活を送るようになり、すっかり日常に溶け込んだ世の中。

 人間が持ちえない多彩な能力を持ち合わせるドラゴンのお陰で、様々なことの利便性が増した時代。その反面、昨今ではドラゴンによる犯罪が深刻な社会問題として取り沙汰されていた。

 その対策の一環として、世間では用心棒の役割を兼ねて一般家庭にドラゴンを迎え入れ、新たな家族として生活を送る『ドラゴンステイ』という制度が広まりつつあった。

 ドラゴンステイを希望するドラゴンは、その性格や能力、さらには生い立ちや素行なども詳細に調査され、龍界にて審査を受ける。適任と判断されたドラゴンのみが紹介所に登録され、ホストファミリーとなる人々との面談やその他手続きを経て、新たな家族として一般家庭に迎え入れられるのだ。 



 ◇ ◇ ◇



 翌日、起床した俺が居間に入ると、台所で母さんと一緒に食事の支度をしているルキアの姿が目に留まった。ルキアは、昨日はしていなかった水色のエプロンを身に着けていた。母さんが用意したのだろう。

 会話を弾ませながら家事に勤しむ、母さんとルキア。見ていると本当の親子のようだ。

 母さんが、食器棚を開けつつ俺を向いた。 


「あ、おはよう智」


「おはよう母さん」


 続いてルキアと視線が重なるが、またもや「ふんっ」とそっぽを向かれてしまった。

 ……イラっと来てしまう。いやまあ、メス呼ばわりした俺が悪いんだが。

 家のインターホンが鳴った。窓から外を覗く母さん、家の前に配達業者の小型トラックが停車していた。


「宅配屋さんみたいね。智、お母さん出るから代わりに目玉焼き見てて」


「えー……」


 気が進まなかった。

 というのも、台所ではルキアが朝食の支度をしているからだ。正直言って……というか、正直に言わなくても近づきづらい。

 俺が荷物を受け取る、と提案しようと思ったのだが、


「代金引き換えだから、お母さんが出なきゃいけないの。智が自分で食べる目玉焼きだから、お願いね」


 母さんはエプロンを外していた。家事の邪魔をしてしまったと、業者の人に気を遣わせないようにするためだろう。

 俺の横を小走りで通り抜け、母さんはインターホンの受話器を取って「はい。はい、少々お待ちください」と応対した。

 ……ま、仕方ないな。

 俺は台所に向かうと、さっきまで母さんがいた場所に立つ。フライパンには、作りかけの目玉焼きが乗っていた。

 隣ではルキアが野菜を水洗いし、包丁を取り出していた。目玉焼きを焼く音と、ルキアが野菜を刻む音が合わさる。

 俺もルキアも一言も発さなかった、お互いに視線を向けることすらなかった。

 予想通りの重々しい沈黙……意外にも、それを破ったのはルキアのほうだった。


「ちょっと、私に何か言うことはないの?」


 野菜を刻む手を止め、ルキアは俺を向いていた。

 ――青い瞳が綺麗だった。宝石みたいに澄んでいて、思わず見とれてしまう。

 瞳もそうなんだが、容姿もまた美しかった。初めて間近で顔を見て思ったんだが、ルキアは欠点という欠点が見当たらない整った顔立ちをしていた。肩にかかるくらいの銀髪はさらさらで綺麗だったし、首のチョーカーも似合っていてとても洒落ていた。

 極めつけにスタイルまで良く、胸は大きくて俺よりも背が高かった。


「あ……」

 

 ほんの数秒前に、彼女が何と言ったのかを忘れてしまった。

 ルキアの表情には険阻な色が滲んでいたものの、猶予を与える意志が感じられた。


「そう、謝ることもできないってわけね」


 呆れたようにため息をつき、ルキアは視線をまな板に戻して再び野菜を刻み始めた。

 

「あ、いや、そうじゃなくて……!」


 その後に何を言えばいいか分からず、言葉が止まってしまう。


「お母様から聞いたけど、あんた騎乗免許の実技試験に二度も落ちたんだって?」 


 俺に視線を向けないまま、ルキアがそう言った。


「なっ、それが何だって言うんだよ……!」


 不意に図星を指されて仰天し、俺は言い返すのがやっとだった。

 母さん、そんなことを喋っていたのか。何でもかんでも言わないように釘を刺しておかないと……!


「大方、教官のドラゴンの角を掴んで失格喰らったりしたんじゃない?」


「ななっ……!?」


 図星二発目。

 許可なくドラゴンの角を掴んではいけない、というのは騎乗免許を取る上の基本と教わっていた。というのもドラゴンにとって角を掴まれるのは、人間に置き換えれば髪を鷲掴みにされるようなものらしい。

 やむなく掴む場合は、必ずドラゴンから許可を取るのがマナー……なのだが、緊張のあまり俺は一体何を血迷ったのか、ルキアの言ったように試験官となったドラゴンの角を鷲掴みにしてしまったのだ。

 結果、俺は実技試験が始まる前に失格を喰らった挙句、俺は他の受験生達が見ている前でこっぴどく怒鳴りつけられたものだった。

 ちなみに、二度目に試験を受けた時は単純な技量不足で落とされた。


「やっぱりね。初対面の相手に『メス』だなんて言うんだもの、そんな配慮も効かないはずだわ」


 刻んだ野菜をザルに放り込みながら、ルキアが言った。


「いや、それは別に関係な……!」


「目玉焼き、焦げてるわよ」


「えっ、ああっ!?」


 会話に気が傾きすぎていて、調理中だということを完全に忘れていた。

 俺がフライパンに向き直った時にはもう手遅れで、白身は広範囲に渡って焦げてしまい、黄身は完全に固まった目玉焼きになってしまった。

 焦げ目が一切なく、黄身がトロッとしているのが望ましい俺の好みからは、もの見事に逸脱する仕上がりだった。

 

「ああ、もう……」


 母さんに作り直してもらうわけにもいかないし、捨てるのはもったいない。

 こうなってしまったのは俺の自業自得だ。責任取って食べよう……そう思って、戸棚から皿を出した時だった。


「ほら、これ食べなさいよ」


 ルキアが俺に差し出した皿には、目玉焼きが盛られていた。

 焦げ目のひとつもなくて、黄身がプルッとしていて……付け合わせのベビーリーフにブロッコリー、それに赤、黄色、オレンジ、三色のミニトマトが映えた、見た目にも洒落た目玉焼きだった。

 えっ、俺に作ってくれたのか?

 不意に差し出されたそれに困惑していると、

 

「こういう目玉焼きが好きなんでしょ? それとも、私が作った料理なんて食べたくない?」


 じれったいと言わんばかりに、ルキアが皿をより前に出してくる。


「ああいや、食べるよ……」


 俺は皿を受け取った。

 ルキアが作った目玉焼きは見た目に違わぬ美味しさで、母さんのそれのように俺の好みを捉えてくれていた。

 食ってる間、ルキアは黙々と台所で作業をしていた。

 失言のせいで俺を嫌ってるはずなのに、何で目玉焼きを作ってくれたのか……訊きたいと思ったけれど、俺には話し掛ける勇気がなかった。 

 もちろん、謝ることもできなかった。





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