第3話 魔女フラー
「別の任務?」
「はい。現在、ケクロットとニルエムを結ぶポットフ街道の東に位置するポットフ平原に、所属不明の
しかもゴーレムは、テュシー王国お抱えの魔術師たちのお家芸なので、所属不明とはいうもののおそらくはテュシー王国のゴーレムなのです。それらが、ケクロット兵の監視も監督もなくケクロット領内を単独行動しているというのは、まったく不可解なのです。もちろん、ケクロットとテュシーが結託して、ゴーレムでニルエムに侵攻を企てていると考えればつじつまは合いますが、テュシーとの間には例の約定がありますし、そのようなことをする利点がありません。
そこで疾風迅雷の二つ名を持つエクレール様には、ケクロット領内に単独潜入して、ゴーレムの偵察をしてほしいのです。ゴーレムには様々な魔術呪印が施されており、戦闘になった場合にどのような特殊な効果の呪文を発動するかわかりません。しかし、トラップ無効、変装、隠密など数々のスキルを持つエクレール様なら問題ないと思うのです」
「そんなことがオレ一人でできるの? 疾風迅雷の二つ名なんてオンラインゲームでの通り名だよ? なんの関係があるの?」
「先ほど申したとおり、TFOは、ニルエム公国が転生者を識別するために開発運営していたものです。何者か、おそらくはケクロットの仕業によってサーバーは消滅してしまいましたが、転生呪文が発動すれば、ゲーム内で得た能力やスキルはほとんど継承されるうえに、人によっては転生ボーナスとして莫大な量の魔力が付与されるのです。そして、おそらくエクレール様は、1万いえ、数万の軍勢を相手にしても引けを取らないほどの魔力と魔術が付与されると思われます。そのためエクレール様にはどのような助勢をつけても足手まといになるだけなので、単独行動がもっとも適していると思われるのです」
「そうなんだ。で、そのゴーレムって壊しちゃってもいいの?」
「できれば戦闘は避けてほしいのですが、しかし万が一の場合は、威力偵察も許可されます」
「なるほどね。オッケー、だいたいわかった。じゃあ、行こうか。転生呪文かけちゃってよ」
「ではこちらへ、血判をお願いします」
マリーネはどこからか巻物を取り出し、それをテーブルの上に広げると、くるまれていたナイフが出てきた。
「こちらのスクロールに転生呪文が刻印されています。血判を押すことで呪文が有効になり、いつでも発動できるようになります」
「そういう仕組みなんだ。一枚しかないけど、帰りの分はどうするの?」
「帰りの分、といいますと?」
「うん。夜の九時頃には親が帰ってくるから、それまでには家に戻ってないと親が心配するでしょ」
オレがそういうと、マリーネは悲しそうな顔を浮かべ、伏し目になる。
「いえ、一度転生すると、もう二度とここへは戻れません」
「ええ!? でもマリーネはこっちへ来たり、向こうへ帰ったりできるんでしょ?」
「これは魔術によって私と波長の合うこちらの人間の体を一時的に借りているだけなのです。私の体は、タグラーンにあります」
「そんなことって……転生なんて無理だよ」
「ですが、ニルエム公国の十数万人の民がエクレール様を待ち望んでいるのです! 転生すれば田舎町ではありますが貴族待遇でチェビセに領地と領民が与えられ、妻として私も一生を添い遂げるつもりです。ずいぶん失礼な言い方にはなりますが、この日本という世界でエクレール様の才能を発揮して活躍できる場所や、それを評価したり期待したりする人が、どれほどいますでしょうか?」
「でも……それでも母親が、心配するから」
「それはわかります。しかし死別するわけでもなく、ときどきは今の私のようにこちらの人間の体を借りて連絡を取ることもできるでしょう。転生して家庭を築き、働いている様子を知れば、ご
「ゴボドウって誰?」
「エクレール様のお母様です。それに、お母様の代わりになるとまではいえませんが、私は尽くすタイプですので、エクレール様のためなら、なんでもして差し上げるつもりです」
「なんでも!?」
「はい。なんでも、です」
「ひざまくらも?」
「もちろんです」
「ひざまくらからの耳掃除も?」
「はい。ひざまくらからのお耳掃除も、です。それに夫婦ですから、それ以上のことも、なんでもです」
マリーネは自分でいいながら顔を赤らめた。
「行きます」
行かない理由はなかった。
「ありがとうございます!」
「マリーネ、きみは、転生したら二度と戻ってこれないことを黙っていることもできた。なのに、こうやってちゃんと教えてくれて説得してくれた。きみは信頼できる人間だ」
「ああ、エクレール様、あなたのような方に会えて、私は幸せものです!」
マリーネの頬を涙が伝う。
「よし、じゃあ、行こうか」
「はい。ではこちらの説明をよくお読みになって、同意したうえで、血判を押してください。ちゃんと日本語に翻訳して、単位なんかもこちらに合わせていますので」
「ふーん、こういうのってちゃんと読んだことないんだよな。どれどれ」
1.このスクロールに刻印された呪文は、タグラーンへの転生呪文であり、血判を押すことにより効力を発揮し、発動が可能になる。
2.転生呪文は、血判を押した者が全身に2000
3.発動は一度だけ有効である。
「この2番の2000ジェイの衝撃ってなに? というか、血判だけじゃだめなんだ」
「はい。こちらの世界の方々は魔力がありませんから、血判だけでは転生のエネルギーが足りず、よそから供給する必要があります。そしてそれは、2000ジェイではなく、2000ジュールと読むそうです。具体的には、10トントラックや電車にぶつかるくらいのエネルギーですね。みなさん、だいたいトラックにぶつかって転生されていますよ」
「えっ? それって大丈夫なの?」
「もちろん大丈夫です。転生呪文が発動すれば衝突の際に出る肉片や血はすべて消滅しますし、塑性変形した車体も元に戻るように呪文が設計されていますから。目撃者たちは気のせいだと思うはずです」
「いやいや、そういう心配じゃなくて、オレが感じる痛みとか恐怖の心配だよ。トラウマになりそうなんだけど」
「それはわかりませんが、転生者様はそのあたりの記憶は曖昧になっていらっしゃいますね。おそらく衝突のショックで痛みも記憶もなくなるのでしょう。全身麻酔と同じだと思います」
「そう……なんだ。その辺は曖昧なんだ」
「では、こちらに血判を」といったマリーネがナイフを握ったそのとき、ダイニングキッチンの床から、厚みのない無数の黒い巨大な手のようなものがいくつも現れた。黒い手は、あっと叫ぶ間もなくマリーネの手足、胴体、顔を握りしめた。そのはずみで、椅子やテーブルは弾かれる。マリーネは持っていたナイフを落とした。
「見つけたゾ」
声の主を探すと、どこからか銀髪の女が現れた。
「え? 誰?」と問うたものの、銀髪の女はオレをちらと見ただけで、マリーネに視線を戻す。無視、ですか。
マリーネの顔を覆っていた手が緩んだ。
「私としたことが、不覚を取ったか!」とマリーネが凄い形相で銀髪の女をにらみつける。
銀髪の女は笑みを浮かべてマリーネに正対して「ニルエムの連中は、どれくらいこっちに来ている?」と不適にたずねた。
「誰が答えるものか。貴様、テュシ-の子飼いの魔女か?」
「大魔術師様と呼んでほしいね」
「ニルエムとテュシーは同盟国のはず、なぜ我々の邪魔をする!?」
「各国のお偉いさん方は、日本からの転生者が増えすぎて国が滅びそうなので転生される前になんとかしたいってさ」
「では、ケクロットが黒幕か? まさか、サーバーを消したのも貴様の仕業か!」
「どうだか。おしゃべりが過ぎた」
銀髪の魔女が右手を水平に上げる。
「
魔女がなにごとかを唱えると、黒い手たちはマリーネをゆっくりと床に向かって引っ張り始めた。
「エクレール様、その魔女は、こちらの人間に危害を加えることはできません! スクロールを使って転生してください! タグラーンでお待ちしております!」
マリーネがそう叫んだあと、黒い手が消え、拘束を解かれたマリーネは床に伏した。
慌ててマリーネに駆け寄り、体を抱え起こしたけれど、その顔を見て「あっ!」と声が出た。
さっきまでの赤髪に緑の瞳の外国人ではなく、黒髪の知らない日本人の女の子になっていたから。
魔女の方を見ると、床に転がったスクロールを拾い上げて服の中に入れている。
「今日のことは忘れろ。あいつらと関わってもろくなことにならんゾ。じゃあな」といって、玄関の方へ歩き始めた。
「待って! この人になにをした?」
「その女は、あのニルエム人に乗っ取られていた。ニルエム人の方はタグラーンに帰したから、そのうちその女も目を覚ますだろう。放っておけ」
魔女がいい終わるか終わらないうちに、マリーネだった女性が目を覚ました。
「ここは? 私、どうしたんですか?」
「良かった。覚えてないんですか?」
「買い物に出かけて電車に乗ったらすごく眠くなって、起きたらここにいるんですけど。ここは、駅じゃないですよね? どうしてこんなところに?」
「それはこっちが聞きたいですけど、あなたは自分でここに来て、意識を失ったところを、あの外国の女の人に助けられたんです。はやく病院に行った方がいいですよ」
とっさの嘘にしては上出来だろう。
「え? そうだったんですか。ありがとうございます。すみません。なにもお礼ができないんですが、気分が良くないので帰ります。すみません」
そうお礼をいい、つっ立っていた魔女を押しのけて、女性は帰っていった。その様子を見て魔女も無言で去ろうとする。
「待って。そのスクロールはオレがもらった物だから返してほしい」
魔女の背中に呼びかける。魔女は立ち止まり振り返った。
「お前、異世界に転生するつもりなのか? 困るんだけど?」
その問いにオレは黙って頷いた。
「はあ、これだからバカは嫌いなんだ。その考えがどれだけ愚かなことか、わからせてやるよ。じゃないと諦めないだろう。ちょっと付き合え」
魔女は、ついてこいとジェスチャーで示す。
「安心しろ。取って食ったりはしないさ」と、歩き始めた。
急いで靴を履き、玄関に鍵をかけて、そのあとをついていく。
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