第2話 チェビセのマリーネ

ピンポーン、ピンポンピンポン、ピンポーン

玄関のチャイムで心臓がドキッとなり、目が覚めた。泣きながら寝ていたみたい。

通販でなにか買った覚えもないし、どうせなにかの勧誘だ。当然、居留守を決め込む。けれども、ガチャリと玄関ドアの開く音がする。


母親が帰ってきた?

いや、仕事が終わるまでまだ時間はあるし、親ならチャイムは鳴らさないか。ということは鍵をかけ忘れて、泥棒が入ってきた?

どうする?

隠れるか、それとも咳払いをして人がいることをアピールした方がいい?


高速で思考が巡るうち、部屋のふすまがゆっくりと開き始める。

やばい!

布団から跳ね起きて、「誰?」と叫んだ。声は緊張で裏返り、心臓は痛いほどバクバクいっている。


目出し帽を被った男が立っているのを想像したけれど、ふすまを開けた侵入者は、赤い髪に緑の瞳の女の子だった。その顔立ちから一目で外国人女性だとわかる。その女がいきなり片膝立ちになって、オレと視線を合わせる。

「疾風迅雷のエクレール様ですね。タグラーンよりお迎えに上がりました。私はあなたの妻となる、マリーネと申します。ふつつか者ですが、どうぞ末永くおそばにおいてください」

感情のジェットコースターに乗っているようで、まったく理解できない。


一体どこの誰で、どうしてオレがエクレールだって知ってるの?

鍵はかけたと思うのに、どうやって入ってこれたの?

日本語うまいけど、日本語が母語なの?

今、妻になるって言ってなかった?

というかよく見ると、服もおしゃれだし、顔もすごくかわいいし等など、頭の中で洪水のように疑問が溢れたけれど、口からは「え? 誰? どういうこと?」としか出てこなかった。


「失礼しました。突然で驚かれるのも無理はありません。あちらで少しご説明差し上げてよろしいでしょうか」

「え、はい、よろしいです」


そうめんを食べ終わったままにしていたダイニングテーブルを片付けて、グラスに麦茶を注いだ。女の子は笑顔でおかまいなくという。その仕草がかわいい。

テーブルを挟んで差し向かいに座る。母親以外の女性と面と向かって座ったのは、小学校以来のことで緊張して声が出ない。

会話をリードできるはずもなく、無駄に麦茶を飲みながら、相手が話し始めるのを待つ。


「改めて自己紹介しますね。私はタグラーンのニルエム公国にあるチェビセのマリーネと申します。ご存じかと思いますが、タグラーンはこの世界とは違う異世界のことです。もっとも私からすれば、こちらの世界の方が異世界なのですが」といって笑った。


異世界と聞いて大体の事情は察することができた。ていうか異世界って本当にあるんだ。これがアハ体験というヤツだな。なぜオレのことを知っているのか、なぜ日本語ができるのか、数々の疑問は一気に解決した。この子は魔法を使ったのだ。けれど、また一つ新たな疑問が湧いた。


「タグラーンっていうと、あのタグラーン・ファンタジー・オンラインとなにか関係があるんですか」

「はい。TFOは、現実に存在するタグラーンを舞台にしたゲームなのです。私はその現実の異世界のタグラーンから、あなたをタグラーンに転生させるために遣わされたのです」


今まで女子というのはなにを考えているのかよくわからず、近づきがたいと思っていたけれど、このマリーネは違う。タグラーンという接点がある。そう思うと、ずっと前から知り合いだったかのように急にマリーネに親近感が湧いた。

「へえ。なにか証拠とかってあるの?」と、知らず知らずのうちにため口になった。

「私は公国軍の魔術剣士なので、少しですが魔術を使えます。ご覧に入れましょう。鎧化呪文シュツ・ジーン


彼女の体が淡く光ったかと思うと、瞬時に見た目が変化する。着ているものが西洋の甲冑に替わっていた。

「これは魔力で精錬された鋼の鎧です。なので、このように着脱自在なのです」

そして、また今どきのなんかかわいい感じの服装に戻った。オレは目の前で起こるイリュージョンにすっかり圧倒された。

「信じていただけましたか?」

「は、はい」

「ありがとうございます」と彼女は微笑んだ。


「では本題ですが、結論から申し上げますと、エクレール様には、タグラーンに転生して、その力で私の祖国を救ってほしいのです」

「うん。わかった」とオレは即答する。TFOのサービスが終了してしまった今、他にやる事なんて一つもなかったから。

「ああ、ありがとうございます。そういってくださると信じていました」と、マリーネは感極まった様子だ。こんなに喜んでくれるなんて、こっちまでうれしくなってマリーネのためならなんでもしてやりたいという気持ちになる。オレの所に来てくれてありがとう。


「一応、確認したいけど、転生すると、オレはめちゃくちゃ強くなれるんだよね?」

「はい。さすが、お詳しいですね。ええ、それはもう、みなさん一万の軍勢に劣らないほどの力で活躍されています」

「ん? みなさんってどういうこと?」

「はい。少し長くなりますが、順を追ってご説明しますね。ゲームの方で基本的なことはご存じかと思いますが、異なるところも多いので、一応、基本的なことから説明させてください」

「うん」


「まず、タグラーンには3つの大陸があり、その中で最も小さなレカ大陸にニルエム公国は存在しています。もともとは7人の貴族がレカ大陸を7つに分けて群雄割拠する大陸でした」

それはゲームの通りだ。ゲームではプレーヤーは、その貴族に使える騎士や魔術士となって、他国と戦うのだ。

「しかし、野心の強いケクロット王が周囲の国々の王を戦争で追放し、一大帝国を築き上げ、いまでは皇帝を名乗るようになりました。現在のレカ大陸にあるのは一番大きなケクロット帝国、テュシー王国、そして我がニルエム公国の三国だけなのです」

ゲームを進めればそういう局面も起こるけれども、それが正史なんだ。


「ニルエム公国がケクロット帝国と隣接しているにもかかわらず、その独立を保てられているのは、ケクロット帝国とニルエム公国との間に『魔物の巣バングーハ』と呼ばれる山岳地帯が横たわっているからです。この山岳地帯は、単に峻険しゅんけんであるだけでなく、その名の通り、様々な大型モンスターの棲息地になっており、このバングーハ山脈のおかげで、ケクロット帝国軍は容易にはニルエム公国に侵攻することができないのです。

半島になっているテュシー王国も同様に天然の要害に守られて独立を保っています。そして、ニルエム公国とテュシー王国は、どちらか一方がケクロット帝国に攻められることがあれば、もう一方がケクロットの背後を刺すという約定を結ぶことでケクロット帝国を牽制して均衡を保ってきたのです。


しかし、ここ数年、その均衡を破るようなゆゆしき事態が起こり始めました。ニルエム公国を守ってくれていたバングーハ山脈が突如としてニルエム公国に牙をむき始めたのです。山脈に棲息する大型モンスターたちがなぜかニルエム公国領に頻繁に出没し、村々を襲い始めました。もちろんニルエム公爵は、村を守るために騎士団をはじめとする重装兵団を派遣されていましたが、モンスターたちはまるで軍師に統率されているかのように行動しており、兵団の前には姿をあらわさず、遠く離れた丸腰の村を襲うのです。そのため畑は荒れ果てて食糧不足になり、村を追われた住民が首都ラビーメにまで溢れ、衛生状態や栄養状態は悪化し、伝染病が蔓延しました。


ニルエム公国が滅んで最も得をするのはケクロット帝国であり、モンスター襲撃の裏にケクロットがいるのは明らかでした。伝染病で兵団が壊滅する前に、約定に基づいてテュシー王国と協力して体力のあるうちにケクロットを挟撃し、この難局を打開することが画策されました。


しかし、驚くことにテュシー国王は、『今回の騒乱はモンスターが引き起こしたものであり、ケクロットは無関係と思われる。また、なによりもテュシーとニルエムの二国間の約定は自衛のための約束であり、積極的な侵攻のためではない』としてニルエム公爵の提案を拒否したのです。

テュシー王からすれば、ケクロット帝国との微妙な関係を自分たちから壊したくなかったのでしょう。我がニルエム公国が滅べば、もはや一国だけで平和を保つのは不可能になり、テュシー王国も共倒れになるにもかからず、です。


ですが、そんな状況の中、突如として救世主が現れました。勇者様が日本から転生してこられたのです。勇者様は桁違いの魔力を持ち、徒歩にもかかわらず騎兵以上の機動力と、一万の軍勢にも劣らない火力を備えていました。

勇者様は、平野に降りた大型のモンスターの群を駆逐してくださいました。それが6年前の出来事です。それ以来、ニルエム公国では積極的に日本からの転生者を勧誘しました。その甲斐もあってその数は徐々に増え、今では12名の転生者様がいらっしゃいます。そして、四人一組のパーティでローテーションを組んで魔物の巣の深くに潜り込み、モンスターを討伐する作戦に従事されています」

「なるほど。じゃあ、オレもそのモンスター討伐に加わるってことね」

「いえ、エクレール様には、もっと適正のある別の任務を遂行していただきたいのです」

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