第3話

 帰宅ラッシュの時間も過ぎるほど仕事に没頭し煙草で発散していた丈二はようやく自宅アパートに戻って来た。

 すると自室の扉の前に大家であり幼馴染の直樹が立っているのを見つける。


「あ、やっと帰って来た……」


「待ってたの?」


 近付いて来る直樹はすぐに煙草の臭いを察知し鼻を押さえた。


「お前また煙草めっちゃ吸ったな?」


「それしか拠り所がないんだよ」


 すると直樹は仕方ないとばかりに頷いた後、手招きをして自室に来るように誘った。


「話あるから俺の部屋こい」


「え、俺の部屋じゃダメ?」


「煙草臭いだろ、俺の部屋でも吸うなよ」


「あぁ……」


 煙草が嫌いな直樹を気遣って丈二は仕方なく大家である彼の自室へと向かうのだった。





 質素だが綺麗に片付いている直樹の部屋の中心にあるテーブルを挟んで椅子に座る二人。

 真剣に丈二の顔を見る直樹に対して丈二は下を見ていた。


「何の話か分かるか?」


「……家賃」


「そうだな」


 未払いの家賃のデータが記された表を丈二の前に突き出し詰め寄った。


「これで何度目だ? 事情があるのは分かるけどよ、こっちも払ってもらわないと干上がっちまうんだ」


「もうちょっと待って……! 必ず払うから……!」


「その台詞も何度も聞いた。もう信用ならねぇんだって」


 そして直樹はある話題を口に出す。

 それは丈二にとって非常に触れて欲しくない話題だった。


「お母さんのグループホーム、そっちはちゃんと支払ってんだろ?」


「っ……!!」


 朝に留守電を残していた母親。

 彼女はグループホームにおり丈二がその費用を払っていると言うのだ。


「そっちの費用が高くて……」


「だからって見過ごせないんだよ。幼馴染のよしみで見逃してやって来たけどよ、流石に限界だぞ」


 何も言い返せなくなってしまった丈二は黙る事しか出来ない、直樹もそんな丈二を見兼ねてある提案をした。


「どうだ? そろそろお母さんにも本当のこと話してみるのは?」


「は……?」


「グループホームの費用、世帯所得が一定以下だと支援してくれる制度があるらしいんだ。正直に話してそれ使ってみるのはどうだ? そしたらこっちの家賃も払えるだろ」


 一生懸命幼馴染の事を考え案を出す直樹だが丈二はそれを拒絶した。


「だ、ダメだ……!」


 丈二にもどうやら思う事、後ろめたい事があるようだ。


「母さんは病んでるんだ、本当の俺を知ったらショックで自殺しかねない……」


 母親の現状を憐れんで見栄を張っている丈二の真意を直樹は知っていた。

 だからこそこのままではいけないと思っているのだ。


「だからって今のままで良い訳ないだろ、大企業のエースで可愛い彼女も居てなんて真逆じゃねぇか」


「だって母さんずっと俺に偉大になるように言って来たんだ、俺がそうなるのを生き甲斐にしてた。でもダメで病んじまったんだよ……っ」


 大き過ぎる期待に押し潰されてしまっているのだ。

 しかしそんな丈二に直樹は散々同情して来た、今は現実を見せなければならない。


「それでその尻拭いもお前がやるのか? 正直に言うぞ、お前はお母さんの奴隷じゃない……!」


「奴隷って……」


「無理な期待を押し付けて出来なかったら病んでよ、その世話をさせるなんて勝手すぎないか? いい加減お前も縛られる必要ないって……!」


 あくまで丈二を想った言葉だが当人には苦痛でしかなかった。


「だからって……! それでもし母さんが死んだらっ、最悪じゃねーか……!」


「だから安心させられるように頑張れよ。ちゃんと就職しろ、俺も手伝うから」


 また"頑張れ"という言葉。

 今日だけで何度目だろうか、もう聞きたくなさすぎて丈二の心は荒んでしまう。


「みんなそれだ、俺だって頑張ってんだよっ……! ダメだったけどさぁ、勉強も就活も精一杯頑張ったんだって……!」


「全部お母さんが言うからだろ?」


「だって母さん全然褒めてくれないからっ、何とか褒められようって頑張った! ダサいって言われたら服とか調べて、臭いって言われたら香水とかさ……!」


 今の様子だけで分かる、丈二は母親から愛を受け取れなかったのだ。

 直樹は昔からそれに気付いていたため憐れんでいる。


「その結果苦しんだろ……? もう良いって、好きに生きろ。そしたら音楽だってまた始められるかも知れないし……」


 かつて趣味として興じていたバンド活動の話を持ちかける直樹の意図はただ丈二が苦しみから解放されて欲しいだけだった。


「今更っ、分かんねぇよ……!!」


 しかし彼には伝わらない。

 思考を停止しているように思えたため直樹はその態度に少し腹が立った。


「いい加減にしろって! 考えるのやめてちゃどんどん悪い方に行く、手始めに家賃払えないから追い出す事になるぞ⁈」


 脅しでも何でもやって説得しようとした。

 しかしそれが逆効果になってしまったのだ。


「じゃあ良いよ、出てく」


「何でそうなる⁈」


 丈二は無気力な状態で立ち上がり直樹の部屋から出て行こうと玄関に向かう。

 直樹も黙っているはずがなく追いかけた。


「おい待て! 逃げてどうすんだ、現実を見ろ!」


 逃げようとする丈二の腕を思い切り掴んだ。

 対する丈二は全く直樹の方を見ようとはしない。


「このままじゃ本当最悪になるって、現実と向き合わないと生きていけないんだよ!」


 そして決定的な発言をしてしまう直樹。

 その発言がいけなかった事を彼は知るまでに時間がかかった。


「もっと頑張れよっ!!」


 丈二の心の糸が切れるような音がした。

 ゆっくりと振り向いた彼の目に光は宿っていなかった。


「頑張ったよ、散々……」


 そしてゆっくりとブーツを履く。


「もう疲れた、休ませて……」


 完全にいつもの丈二ではない事に直樹は気付いた。

 このままでは本当にいけないと察知し本気で止めようと考える。


「お前やばいぞ! 病院いこう、本当に!」


 このまま直樹は引き下がる雰囲気はない。

 丈二も考えた、この場を振り切る方法を。


「そしたら母さんにバレるかもだろ……」


 そして何を血迷ったのか直樹の部屋の玄関に置いてあった車のキーを手に取り急いで扉を開けた。


「は⁈ 何やってんだ!」


 外へ出てそのまま車の方へズカズカと歩いて行く丈二を見て慌てた直樹は急いで靴を履き追いかけた。


「待てよ!」


 しかし丈二は既に車の運転席に乗ってしまっておりキーを刺してエンジンをかけた。

 そのまま直樹を振り切って発車する。


「〜〜っ」


 夜の闇の中に丈二が運転する直樹のスポーツカーは消えて行った。

 自暴自棄になった勢いで他人の車を盗み去って行ってしまったのだ。


「あのバカ野郎……っ!」


 朝の時とは逆の立場で直樹は力強く呟いた。

 こうして丈二の当てのない現実逃避の旅が始まったのだ。






 つづく

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