第16話


 ん?

 

 なんか、不機嫌そうだな河野時之助。

 持病の痔が悪化したか、

 ちょっかい出してる女の人とうまくいかないか、

 それとも。


 「あ、いや。

  気にすんな。

  菜摘が、ちょっとな。」

 

 ちょっと、か。

 

 ?


 橙色のスーツを着た、化粧けば目の中年女性と、

 警備担当者のような黒服のスーツが二人。

 

 なんだ、あいつ


 !?!?

 

 な、なんだっ!?

 あ、あの客達、眼が、めちゃくちゃに歪んでる。

 是枝俊也の涜神アラートが、全身に鳴り響いてる。


 こんなあからさまな敵反応、はじめてかもしれない。


 !


 こ、これは。

 ま、ま、まさかっ!?


 っ。

 冷静に、静かに。

 気づかれたら、終わりだ。

 

 「お客さん、そろそろご注文を。」


 ちょっとキレ気味だな、河野時之助。

 

 「そうねぇ。

  この店、っていうのはいかがかしら?」

 

 んぐっ。

 

 「こちら、大通りに近いでしょう。

  裏の店ごと一体開発すれば、連担するわよ。

  そうね、五倍くらいにはなるかしら?」

 

 「……御冗談を。」


 「冗談ではないのよ、河野時之助さん。

  貴方が何を追ってらっしゃるか知りませんけれど、

  せいぜい、私たちの迷惑にならないようにして下さるかしら。」

 

 時之助が、見たこともない底冷えする眼をしている。

 なにか辛辣なことを言い返すんだろうけれど、

 それを見ている暇はない。


 いま、だ。

 

 両者がにらみ合っている間に、

 材料購入用の小さなトートバックを持ち、

 足音を立てないよう、摺り足で裏口からそっと外へ出る。

 

 ……よし。


 原作通りなら、

 河野時之助の家は、茶屋町商店街の外れに潜んでいる。

 

 全速力で駆け、出せない。

 茶屋町商店街は、狭いのに、まぁまぁ人通りが多い。

 八百屋なんて、道の半分を占領するように商品を陳列してるし。

 

 いい、そんなの見ない。

 どうせ財布にゃカネ以外のものしか入ってない。

 ボーリングにもミニシアターにも興味はないし、

 往年の家庭用ゲーム機を骨董品的価格で買う趣味もない。

 

 ……いろいろ充実してんなぁ、この商店街。

 

 よし、人通りが少なくなった。

 

 稽古で少しだけ鍛えた下半身を酷使し、全速力で走り抜けると、

 昔ながらの擁壁の先に、白壁の小さな家が見える。

 

 『河野』

 

 ここ、だ。

 

 鍵は、かかっていない。

 狭い玄関の先、二階の端の襖。

 

 閉まって、いる。

 引き籠ってしまっている。

 

 間違い、ない。

 

 あいつらだ。

 あいつらが、河野菜摘を陥れたんだ。

 

 でも、

 いまはまだ、襖なだけ。

 壁もなければ電流も、まして迷路もない。

 

 それなら、

 戦闘力5の物理でも、突破できるっ!

 

 「!?」

 

 っていうか、

 襖、思いっきり踏み抜いちゃったな。

 日々の稽古の成果が出たなんて言ってる場合じゃない。

 

 やられ、てる。

 裸眼の両眼が、虚ろに濁り切ってる。

 原作通りだ。

 

 騙され、た。


 母親に、嫌われていたと。

 自分が、自分こそが、

 母親を、殺したと、

 思い込まされきった眼だ。

 

 ここから、暗黒の12年がはじまる。

 はじまってしまう。

 

 しかた、ないっ!

 

 「?!」

 

 「目を覚ますんだ、菜摘ちゃんっ!」

 

 「!

  い、いたっ!」

 

 「この痛みは、

  きみのお母さん、晴海さんの痛みだよ。


  きみを掛け値なく愛していたのに、

  きみに信じてもらえない、

  やりきれない激しい痛みだよっ!」

 

 「っ!?」

 

 まだ、再帰性は弱い。

 かけられたばかりの単純な暗示なら。

 そして、原因を正確に知っているなら。

 

 「菜摘ちゃんっ。

  きみは、愛するお母さんと、

  見ず知らずの極悪人達のどっちを信じるんだっ!」

 

 「……っ


  だ、

  だ、だって、

  おかあさん、さみしいっていっても、

  かえってきてって言っても、」

 

 やっぱり、か。

 

 「早く帰るため、だったんだよ。」

 

 「……。」

 

 あぁ。

 役に立って、しまうのか。

 

 トートバックから、唯一の物証を取り出す。

 神保町で奇跡的に入手できた、

 六条晴海、自費出版の洋書。


 『A Theory of the re-phenomenonization』

 

 「菜摘ちゃん。

  これを、みて。

  きみのお母さんの本だよ。」

  

 「……。」


 「ほら。

  ここを、よくみて。」

 

 本を、捧げた先は。


 <Dedicated to my honestly beloved Natsumi.>

 

 『最愛の菜摘に捧ぐ。』

 

 なんで、これを、

 本人に、直接言わなかったのか。

 

 「!」

 

 言えるわけ、ない。

 照れてしまうから。

 きっと、コミュ症の変人遺伝だったのだろうから。

 

 「なによりの証拠だよ。

  菜摘ちゃん。

  

  きみは、

  きらわれてなんか、いないイケボ

  

  おかあさんに、心から、愛されていたんだ。

  海溝よりも、ずっと深く。」

 

 「……。」

 

 あぁ。

 これでも、だめなのか。

 

 うらやま、しい。

 月宮雫なら、こんな物証なしでも、

 言葉と容姿だけで、心を落とせるだろうに。


 俺では、届かない。

 

 だめ、なのか。

 月宮雫の二周目を、

 容姿端麗、頭脳明晰にして

 勇気凛々の完璧超人を待つしかないとで

 

 「……


  し


  し、

  しってたもん、そんなの。」

 

 ……

 え?

 

 「ば、ばかじゃないのっ?

  だ、だまされてたフリをしてただけなのに、

  そ、そんなにあつくるしくなっちゃってっ。」

  

 ……

 は?

 

 「って、

  っていうか、

  あ、あんた、太りすぎっ!

  あ、あっついの、ばかっ!」

 

 ……

 うっわぁ。

 

 こ、こんなキャラだったのか、河野菜摘。

 ネットに浸されてたようがよっぽどマシじゃないか。

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