第10話


 「発作が出たっていうから心配したけど、

  予後はいたって良好だったね。

  この結果なら退院してくれて構わないよ。」


 掠り傷とは言わないが、

 命に別状がある傷ではない。

 

 ……ほんとうだろうか。

 まぎれもない銃創が、

 たった四日で治るなんてことはあるのだろうか。 

 

 チュートリアル蝿豚は、

 チュートリアルの癖に二段階変化をする。


 レベルアップの足りない火力の少ない状態だと、

 高い修復力を発揮され、主人公側が敗北する例もある。

 だからこそ、三歩手前くらいのハラハラで倒せ、

 悪行を葬ったほどよいカタルシスを得られるわけだが。


 いや。

 いまは、いい。

 敵地のど真ん中で考えても仕方がない。

 

 絶対に地下二階には潜らない。

 夜中に敵方裏ボスが空中浮遊してる姿なんて見てたまるか。


 え゛

 

 あ、あ、

 あれ。


 見ない。

 見なかった。

 絶対的になにも見ていない。

 

 い、

 行った。

 

 ……

 あの車椅子に乗せられた目元のクリっとした五歳児は、

 まぎれもなく。


 葉山匠。


 裏ボスの一人であり、

 地下二階闇実験のイレギュラーな「成果」として、

 世界の破壊神スピンオフへと変貌する。

 

 でも。

 

 なんて、ことだ。

 助けられるわけがない。

 

 敵地のど真ん中。

 なんの能力も開花していない。


 そもそも、葉山匠の姿を見て、

 何かが行われてい

 

 ……

 

 あぁ。

 こ、これからなんだ。

 闇の地下二階に連れ込まれるのは。

 

 ……

 

 あ、る。

 

 まさか、ここで、

 これを、使うとは。

 

 ただの安物のカッター。

 影主に襲われる前に、自裁するために持っているだけのもの。

 原作では、あの飲んだくれに止めを刺した貴重な武器。

 

 これを5歳児の葉山匠に渡したから、

 なにかが変わるとは、とても思えない。


 でも。

 

 なにも、できないなら、

 せめて、たった、これくらいは。


*


 本編通りなら、葉山匠は、

 一度だけ、トイレに入る。

 

 そのトイレで、

 自分を不気味に見つめているカメラに朧げに気づくが、

 そのままぼぅっとして通り過ぎてしまう。

 

 だから。

 

 カメラの横に、

 カメラからは死角になるように、

 かつ、葉山匠には見える角度で、

 カッターを、置く。


 五歳児の葉山匠は光ものに目を向けやすく、

 道に落ちている石や小銭を集めていた。


 あまりにも卑怯で、

 あまりにも脆弱な。

 

 武器として持つかもわからず、

 敵方があっさり回収するかもしれない。

 

 大海に小石を投げ込むような、

 勇者に檜の棒を持たせるような無意味さ。

 自分が幼児を見捨てることの悔恨の一部も

 埋めることはできない。

 

 でも、

 せめて、これだけは。

 

 ……

 なにも、変わらないだろう。

 悪いほうに変わるだけかもしれない。

 

 でも、

 呼び寄せた隕石が人口密集地に落ちる以上に、

 悪いことなどあるだろうか。


*


 裏ボスを見捨てたことを、誰にも話せるわけもない。

 そもそも、知人すらいないし、

 話したところで、狂気に触れているとしか思われない。


 億が一、信じてしまったら、

 二次災害の被害者を増やすだけ。


 敵は多数で、政官財学に強大なネットワークを持ち、

 容赦なく、おぞましい。


 黙っているしかない。

 無力な豚は、黙り続けるしかできない。

 研いでいない牙を不用意に見せれば、駆除されるだけの犬死で終わる。


 せめて、

 開花する前に、救えないだろうか。


 無理、だ。

 

 本編では、あの病院に巣くっている関係者を

 下は古屋武から、上は甲斐田良英、はては間崎律まで、

 主人公、月宮雫とシスターズがすべて掃除をし終えていた。


 だから、誰にも知られることがないはずの葉山匠の名に、

 たどり着くことができた。


 そんな条件、満たせるわけが。


 ……

 絶望しか、深まらない。

 なるほど、二週目の眉目秀麗な総愛され完璧超人しか、

 この世界は救えない。


 「おい。」

 

 っ。

 

 「お前、まさか、一人で帰ってきたのか。

  迎えにいってやろうって思ってたのによ。」


 あぁ。

 日常の営みに、涙が零れてしまう。


 「な、なんだ。

  まだ、痛むのかよ。」

 

 ……はは。

 違うけど、便利だから。


*


 う゛っ。

 

 「おにいさん、でしょ。」

 

 な、なんで。

 

 「お父さんを、助けてくれたんだよね。」

 

 どうして、このタイミングで。

 

 広瀬涼音。

 

 主人公、月宮雫軍団の参謀役。

 父を殺され、叔父に虐待され、無実の罪を着せられ、

 世の中のすべてを呪っていた高校生。

 

 月宮雫への好感度は唯一マイナスからスタートし、

 攻略難度も高く、初期のセリフはヘイトが溜まりまくる。

 デレに至るプロセスと、デレたあとの新鮮さで相殺され、

 女子からの人気も高く、ファンアート数4位のパッケージヒロインキャラ。

 

 の、5歳児版。

 

 ショートじゃ、ない。

 さらさら流れるセミロング。

 

 スパッツなんか履いてない。

 スカートだ、スカート。

 

 12年前だもんなぁ…。

 

 幼い。

 そりゃ、幼いわ。

 

 原作とえらい違いで、

 ヒネたところがなにもない。

 

 う、わ。

 興味津々、か。


 原作よか瞳、大きいし、

 なんか、キラっキラしてないか?

 美少女子役図鑑にそのまま載るわこれ。

 

 「おーう。

  珍しいお客さんだな。」

 

 う、は。

 なんだこのファンディスク。

 いや、どっちかっていうと二次創作。

 

 あぁ。

 こんな無邪気で可愛い娘が、

 あんなに捻くれた哲学用語を喋りまくる性格になっちまうのか。

 

 ……。

 守らないと。

 この純真で無垢な笑顔を。

 

 「……

  いたい、の?」

 

 うっ。

 

 そうしたほうが、会話しなくて済むのに。

 

 「……。」

 

 だ、だめだ。

 

 「だいじょうぶだよ。

  ありがとうイケボ。」

 

 「……


  うんっ!」

 

 ……

 やばい。

 かわ、いい。

 生きてきて、いま、いちばん浄化されてる。


 「……

  お前、広瀬さんに殺されるぞ。」

 

 それ、俺のせいじゃないじゃん。


*


 あぁ、そりゃそうか。

 

 「……悪い癖がつきます。

  絶対に触らせません。」

 

 左腕、撃たれてるんだもんな。

 

 もう、治ってるんだけど、

 隠し通したほうがいい。


 「では、足さばきだけで。」

 

 「っ。」

 

 「下半身が、すべてを決める。

  ですね?」

 

 「……そうです。」


 声、低いなぁ。

 学校での姿は、仮ってわけか。

 

 「……

  危険な真似はやめて下さい。」


 ん?

 

 「……

  なんでもないです。

  やるなら、しっかりやりますから、

  覚悟してください。」

 

 もとよりそのつもり。

 無料銭湯の魅力には抗えない。

 なにしろ、治っちゃってるんだし。


*


 「あらあら、

  また怪我しちゃったのね、英雄君?」

 

 川瀬成海は、仮の姿である白衣をひるがえし、

 くせっけのある収まりの悪い髪を揺らしながら、

 包容力のある優しい声で迎え入れた。

 

 「銃創ですってね?」

 

 ……分かってる、か。

 誰何など、意味はない。

 

 「それで死なないのは幸運の持ち主かしら。

  ふふ、どっちがいいのかしらね?」

 

 ……普段より、絡んでくるな。

 見えている地雷の近くでタップダンスしてるような。

 

 「あら、怖い顔して。

  だめよ? 女の子が逃げちゃうわ。」


 ……それは、そうか。

 なにしろ不細工だから。三白眼だし。


 「そういえば、貴方を襲った娘、

  貴方の入院してた病院に入ったはずなんだけど、

  会わなかった?」


 っ。

 

 なん、だと……。

 

 やっぱり、

 コイツは最初っから俺をあそこへ案内するつもりだった。

 

 「お会いはしませんでしたね。

  病室にずっといましたから。」


 「個室だったんでしょ?

  保護者の方、大変ね。」


 ……


 「貴方、駆け引きは苦手ね。

  黙っちゃったら、気にしてるって、わかっちゃうわ。」

 

 沈黙は、金メッキに過ぎない。

 金ピカは、かえって目を引いてしまう。

 といって、コミュの壊れた是枝俊也に、

 これ以上のことが、できるわけは。

 

 ……

 そっちに隠すつもりがないなら、いっそ。

 

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