第6話


 「中学はどうだ。」

 

 マルセルのマスター、河野時之助が、のんびりした口調で聞いて来る。

 原作通り、隠すべきだ。

 

 「特筆すべきことは、何も。」

 

 制服を脱いでいたことが幸いし、見た目にはわからない。

 肩が少し、痛むだけ。

 日々虐待を受けていた身体にとって、

 これくらい、なんでもない。

 

 「ならいいが。

  転校して間もないんだからな、大人しくしてろよ。」

 

 大人しくしてたら殺されていただろう。

 といって、間借り人に真実を告げる自由はない。

 

 「はい。」


 月宮雫もこんな気持ちだったろうかと思ったが、

 独立独歩を行くことに躊躇いのないタイプであり、

 なんの痛痒も感じていなかったかもしれない。


 孤独感を味わいながら、トイレ掃除のためのモップを取り出す。

 なにしろ銭湯に入れる日だ。やれることはやっておきたい。

 埃が溜まって来た屋根裏の棚も掃除してしまいたい。

 

 からんからん、と鐘の音が鳴る。

 いかにも昭和の純喫茶然としている。

 

 「いらっしゃ……。」

 

 驚い、た。


 あと12年、部屋から一歩も出ずに

 引きこもっている筈だったから。

 

 

  「な、菜摘……?」

 

 

 少し縦に長い眼。

 白い肌も、少し長いストレートヘアも、原作通り。

 

 「ど、どうした?」


 だけど、ちっちゃい。

 眼鏡もかけていない。

 そうか。12年前なら、まだ、四歳だ。

 

 「……だれ?」


 しっかり喋れる。話し方にネット色が薄い。

 それもそうか。四歳児がネットに嵌るわけはない。

 

 河野菜摘。

 主人公調査隊のサポート役であり、準主役。

 世界水準のハッキングスキルを持つとんでもないギフテッドだが、

 引きこもり続けた弊害で、小学生のような話し方しかできない16歳。


 キャラクター人気投票第3位のアイドルに警戒感を持たせてはいけない。

 ……この容姿で、どうやって。

 

 「……お前も黙り込むな、ったく。

  あー、遠い親戚のガキんちょだ。

  親に暴力を振るわれててな、中学出るまで、預かってやってる。」


 なんでそこを説明したかな、四歳児相手に。


 「……ふぅん。」

 

 あ。

 ……そう、いえば。

 

 この頃の菜摘は、

 母親である六条晴海の死に、嘘を教えられる。

 母親が殺害されたのではなく、母親に上に、

 と認識させられる。


 原作では、精神世界の私的制御を企む一派による謀略。

 原作屈指の胸糞シーン。


 ただ、実は、

 の黒幕である甲斐田良英と繋がっているかは、不明瞭。


 冷静に考えると、なぜ子どもの菜摘に対して、

 あそこまで執拗にやる必要があったのか良く分からない。

 それに、菜摘がある時期まで小学校に普通に通学できていたことを考えると、

 殺害直後ではないのかもしれない。


 「菜摘、お前、

  よく店まで一人で来れたな。」

 

 ほぼ一本道とはいえ、茶屋町裏通りの端から端。

 四歳児には決して近いとはいえないし、

 まして安全と言い切れる街でもない。


 「おなかすいた。」

 

 「なんだって? 飯なら……。

  あ……。

  す、済まんな俊也、ちぃと店番頼む。」

  

 みせ、ばん??

 店のこと、何も知らないんだけど。

 

 「おら、行くぞ菜摘。」

 

 「うん。」

 

 白く小さな手を河野時之助に引かれて去っていく河野菜摘。

 去り際、ほんの少し睨まれた気がする。

 臭かったのだろうか。モップを持ってれば無理もないが。

 

 ふぅ。

 とりあえず、トイレ掃除を

 

 からんからん


 ぇ。


 「ん?

  お前だけ、か。」

 

 広瀬昌也警部補。

 ほぼ半月ぶりにご尊顔を拝見した。

 この恩人を殺させないようにしないといけないのに。


 「時之助はどうした?」


 「ご家族のお世話に戻られました。」

 

 「ごか……。

  あぁ。菜摘ちゃんか。」


 そりゃ当然、わかってるか。

 どこまで分かってるんだろう。


 「ま、いい。

  お前にも少し、聞きたいことができた。」

 

 聞きたいこと、ね。

 

 「本当は所轄が違うんだがな。

  まぁ、これも宮使えの仕事ってことで、悪く思わんでくれよ。」

 

 あぁ。そういうこと。

 確かに、事情聴取が何もないのは不思議だった。


*


 「……本当に、何も関係はないんだな。」

 

 ない。

 呆れるほど、なにもない。

 

 「はい。」

 

 「……

  嘘じゃぁねぇ面だな。

  とするとお前、ただの被害者ってわけか。」

 

 ただの。

 まぁ、そうなる。

 

 「俺はな、てっきり、

  お前が狙われたのかと思ったんだがな。」

 

 ……。

 

 あり、える。

 十分過ぎるくらいに。

 

 こっちは向こうを知らなくても、

 がこっちを知っていたということは。

 

 流石に、鋭い。


 「……思い当たり、ありそうじゃねぇか。」

 

 顔に出てたか。

 歴戦の刑事の前だと言うのに、緩んでるな。

 仕方ない。

 

 「……現時点では、ただの直観に過ぎません。

  お含みおきを。」

 

 「安心しろ。

  お前の名前は出さねぇし、こっちでちゃんと調べる。」


 勘、というには、おぞましいほど正確。

 人の弱み、歪みを見極めるアンテナ。

 是枝俊也の、闇に満ちた異能。


 ……。

 

 そして。

 猜疑心の強さは、時として美徳となる。

 

 是枝俊也は、モップを立てかけて一葉のメモを素早く認めると、

 店の奥階段に腰かけ、広瀬昌也を手招きする。

 一瞬、訝しむ顔をした広瀬昌也は、

 鋭い目で頷くと、古ぼけたコートを引きずりながら、

 黙ってトイレの前まで近寄って来た。

 

 

 『保健医が実行犯の一人。

  二年前から。』

 

 

 「の、可能性があります。」

 

 「!


  ……。

  お前、根拠はあるんだろうな。」

 

 無精鬚をしゃくりながら、鋭い目を崩さずに問うてくる。

 

 「ただの直観的可能性と申し上げました。

  私なりの傍証はございますが、

  プロの方に真偽をお調べ頂いたほうが早いかと。」


 「言うじゃねぇか……。

  ま、それもそうだな。

  

  本当はもう少しこまっかく聞きてぇとこだが、それはいずれな。

  あぁ、出頭はしなくていいぞ。お前への事情聴取はしまいだ。」

 

 出頭って。

 犯人みたいな言いぐさだな。

 

 結局、広瀬昌也はなにも飲まずに出て行った。

 なるほど、商売にならない客だ。


 ……喫茶店のコーヒー、淹れられるだろうか。

 主人公の手先の器用さは異常だ。

 なにしろ、授業中にノートを立てかけて爆弾を作ってる奴だ。


 がさっ


 トイレの後ろから物音がする。

 

 (っ!?) 

 

 驚いて身構えると。

 

 「おいおい。

  俺だよ、馬鹿が。」

 

 河野時之助、か。


 ……そっか。

 当然、勝手口くらいあるし、鍵もあって当たり前か。

 原作では表玄関しかない設定だったけど。


 あ。

 

 もしや、広瀬昌也は、

 是枝俊也が一人になっている瞬間を見越してた?


 「客は来たか。」

 

 「いえ。どなたも。」

 

 客は来てない。

 一銭も落とさなかった訪問者が来ただけで。

 

 「そうか。

  で、お前、掃除は?」

  

 ……いろいろバレてるな、これは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る