第3話


 「おう。

  ちったぁ、見られるようになったな。」

 

 屋根裏の掃除は、思ったよりも大変だった。

 開店して三年程度の喫茶店が、

 どうしてここまでゴミをと思っていたが。


 (ツテでな。居抜きを買ったんだよ。

  だから、いろいろついてきやがったんだ。)


 道理でいろいろな粗大ごみがあるわけだ。

 車を持っていない主人公が、一日で掃除が終わってしまうのは

 いかにもゲーム的な処理だと思ったが。


 「お前の父親、義理だったんだな。」

 

 これも、初めて知ったこと。

 登場シーン5分以内の蝿豚のチュートリアルボスに

 細かい描写が加えられるわけがない。

 

 「はい。」

 

 さも、知っているように頷く。


 「……ふむ。

  ヨソサマに簡単に虐められるようなタマにはみえねぇんだがなぁ。」

 

 三日に一度、銭湯に行けるようになった。

 一日換算で167円也。回数券の割引で、実質150円。

 少なくとも、浮浪者の臭いはしなくなった、はずだ。


 「まぁ、広瀬さんがだいたいやってくれたからな。

  俺ぁなんもしてねぇよ。」

 

 『捜査上、保護を要する人物』


 義理の父親、虐めていた男子の親、

 虐めを無視していた教師達と校長、

 児童相談所の職員たち、家庭裁判所の調停官全てを手玉に取って、

 やや強引に、実質的な親権移譲を認めさせてしまった。


 「義務教育までは出してやる。

  後は自分でなんとかしろ。」


 少し、の範囲が、とてつもなく広い。

 この人も、相当、甘い。

 でなければ、自分の遺伝子が入っていない河野菜摘を、

 17年間も保護するわけはない。


 「はい。」


 「ふん。


  ……ったく。

  広瀬さんもどういうつもりなんだかなぁ……。

  いいからさっさと飯を食え。」


 ナポリタンと欧風カレー。

 喫茶店の正規メニューだ。


 味は原作通り絶品だが、朝から相当重い。

 デブにこんな炭水化物食わせたら、原作よりも太ってしまう。


 「ああ。

  お前の学校だがな、公立でいいな。」

 

 原作では、主人公は私立高校に通う。

 何の実績を求めてあの校長が主人公を受け入れたのかは、

 今となっては謎だ。

 

 「はい。」

 

 「下手に虐められるんじゃねぇぞ。

  目立つな。

  いいな、大人しくしてろ。」


 低く、艶のある声で放たれたこの言葉の意味は、

 原作を終えた後なら良く分かる。


 河野時之助は、菜摘を助け、育てるために、

 官職を捨てて、身を隠している。

 

 木を隠すには森の中。

 あえて都会の襞の下に隠し込んだのだろうが、

 都心に比較的近いこの場所瀬田区茶屋町は、聊か不用心にも思える。

 実際、原作では犯人隠避で逮捕、拘留されている。


 「はい。」


 原作主人公、月宮雫は、

 端正な無表情で頷きながらも目立ちまくり、

 河野時之助に迷惑をかけまくることになる。

 主人公でない是枝俊也には、その必要は一切ない。


 目立つつもりは、微塵もない。

 そのはず、だ。


*


 (……よりによって。)

 

 精神壊乱事件で総称される、幾つかの奇妙な事件。

 序盤の雰囲気装置に過ぎないため、

 原作ではあまり掘り下げられることがなかったが、

 その舞台の一つが。

 

 (宿場中、とは。)

 

 区立宿場中学校生徒精神壊乱事件。

 当然、原作では詳しく描写されてはいない。

 

 女子生徒が、突然ナイフを振り回し、

 周りの生徒数名に重軽傷を負わせた事件。

 

 大人しい、優等生の女子生徒の突然の錯乱。

 その女子生徒は、女子少年院に入った後、発狂して廃人となった。

 詳細な精神鑑定に入る前だったと言う。


 報道は地元欄に、ごく小さな囲み記事。

 ネットの海を探せば、多少のアーティクルが出て来るが、

 大したことは何も分からない。

 

 それはそうだ。分かるはずはない。

 まさか、などということは。


 原作開始から、14年前。

 六条晴海が、殺された年。

 

 ……巻き込まれるわけにはいかない。

 大人しく、暮らさなければならない。

 いまはまだ、と呼べるものは、なにもない。

 

 身を、護るために。

 

 できるならば、

 唯一の恩人、広瀬昌也を、殺させないために。

 

 雌伏の時、だ。


*


 屋根裏部屋の蠅豚は、自分の金を一銭も持っていない。

 だから、体重計に乗るには、銭湯に行くか。

 

 「あら、是枝君、よね?

  よく来るのね。」

 

 保健室に行くしかない。


 ダイエットをするには、適度な運動も大切だが、

 過剰な栄養摂取を避けるほうが重要だ。

 

 あの貧乏虐待生活で、どうしてあれだけ太れたか。

 虐めっ子達に、不味い給食を喉に突っ込まれていたからだろうか。


 ゲーム的な強制力が及ばないのであれば、

 食事さえとらなければ、ダイエットは可能な筈だ。

 14歳の基礎代謝は高い。

 

 「体重計だけ乗って帰っていくなんて。

  ほんと、変わった子ね。」

 

 居心地の良い保健室に居ついてしまうと、

 過酷な教室に戻れなくなる。

 下手に目立つことで、ぶっきらぼうな人情家、

 河野時之助の手を煩わせるわけにはいかない。

 

 それだけじゃ、ない。

 

 「なぁに? 

  私の顔をじっと見て。」

 

 川瀬成海。24歳。

 ただの保健医。

 

 くせっけのある収まりの悪い髪と、優し気な声。

 臭くキモいデブに親し気に話しかけられる包容力。

 スレンダーな四肢なのに、出るところは出ている。

 ちょっと前のゲームだからか、PCポリティカルコレクトネスに制限されていない。


 保健室に閉じこもっている連中からは女神のように崇められている。

 聊か宗教じみているくらいに。

 

 異常点、だ。

 間違いなく、嫌な予感がする。

 

 しかし、原作にも、設定集にもいない人物。

 

 なにしろ、原作の12年前。

 主人公・月宮雫も、広瀬涼音も、河野菜摘も、まだ、5歳児前後。

 詳細に設定されているわけがない。

 

 よくある保健室の光景、かもしれない。

 体重計を、毎日測らなければ良いだけのこと。

 

 そう、思い込みたい。

 羅針盤のない世界のバットステータスは、

 ただの詰みゲーだから。


 ……思い込めそうに、ない。

 是枝俊也は、気づいてしまっている。

 川瀬成海が、「何か」をしているだろうことを。


 生存本能か、元々の能力に付随するものか。

 是枝俊也は、人の弱みの仕草を見つけるのが、天才的に上手い。

 デハブの山のバットステータスの癖に、悪魔的な力だけは持っている。

 まさにEvil Side Skill、打倒されるべきチュートリアルボス。


 人を脅迫して、恐喝して強請り、小金を溜め込んで成り上がり、

 そして容易く屠られ、主人公たちに経験値と小金を吐き出す。

 そのためだけの、最序盤の舞台装置に過ぎないスキルなのに。 


 アンテナの、

 感度が、

 恐ろしく、高い。


 「どうしたの?」

 

 ふわりと甘い香水を振りまきながら、信者を緩く囲い込む保健室の天使。

 面の皮を剝いた先に、何が隠されているのか。

 暴くべきか、それとも、無視すべきなのか。

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