第20話 パンツと見習い聖女
異世界の朝日に照らされながら歩き出した僕は、まず腹ごしらえに足元の草を食べることにした。
器用に動く長い鼻で草をむしりとり、土を丁寧に落としてから口に運ぶ。
うん、草も美味しい! 爽やかな味わいの中にほんのりとした甘味とほろ苦さの両方を感じるぞう。
夢中になって草を頬張っていたら、風に乗って飛んできた何か布切れみたいなものが顔に付いた。
これは?
顔に引っ掛かる黒い布切れを鼻でつまみとって広げてみると、それは丸みのある逆三角形の形をしている。
十字架のような模様があるのはいいとして、気になるのはその香り。
凝縮したような女の子の香りが染み付いているんだ。
これって……もしかしなくてもパンツだよね。それも女物の。
香りの爽やかさからして持ち主はまだ若いのだろう。
なんでこんなものが飛んできたんだ……?
思いもよらない物を拾ってしまってポカーンとしていたら、少し遅れてパンツのとよく似た匂いが風に乗って漂ってくる。
もしかしたら持ち主があの向こうにいるかも。
そう考えた僕は、匂いの漂ってきた方へと歩き出した。
少し歩くと小さな泉を見かけたんだけど、そこに人影もある。
「あれって……」
状況から考えてあの人影は水浴びをしているところなのだろう。
そしてその匂いからして、パンツの持ち主である女の人であることも確定している。
「……どうしたものだろうか」
パンツを返すべきなのは大前提だ、だけどそのまま差し出したら逆にこっちがパンツを盗んだと勘違いされてしまうかもしれない。
第一水浴びをしているということは、今の彼女は全裸だということでもある。
そんなところにズカズカと近づくのもな……。
悩んでいたところ、水浴びをしていた女の人がこっちに気がついたのか駆け寄ってきた、全裸のままで。
「あのーすみませーん! わたしの下着は知りませんか~?」
「わわっ!?」
一糸まとわぬ姿で近づいてきたものだから、僕は取り乱して後ろを向かざるを得ない。
「どうしたんですかー?」
「あのっ、とりあえず服を着てくださ~い!」
「わわっ、大きな動物さんが喋った~!?」
たおやかな声で驚く女の人だけど、すぐにゴソゴソと物音をたて始める。
「――もういいよ」
女の人の声掛けで向き直ると、そこには聖職者を思わせる服装をした女の人がいた。
「それでなのだけど、わたし下着を失くしてしまって困ってるの。知らない?」
「それってもしかしてこれのことですか……?」
僕が黒いパンツを差し出すと、女の人は目を丸くする。
「これわたしの下着じゃない! どうしてあなたが……?」
「食事中に風で吹いてきたのを拾ったんだ」
「ありがと~、大きな動物さん!」
パンツを受けとるなり女の人がスカートをたくしあげて穿き直そうとしたものだから、僕はまた慌てて目を背けた。
「ちょっと湿ってるね……」
「なんかすみません」
僕の鼻先は常に濡れているから、掴んだものはもれなく湿ってしまうのである。
「自己紹介がまだだったね。わたしの名前はシェリー、聖女見習いをしているの」
「シェリーさんですね。僕はアフリカゾウのタイゾウです」
「タイゾウさんですか! 素晴らしいお名前だねー」
「そ、そうですか?」
名前を誉められたことなんてないから、なんかちょっと不思議な気分だぞう。
それにしてもシェリーさん、結構な美人だ。
ふんわりとウェーブがかった桜色の長い髪をお嬢様結びにしていて、聖職者然とした服装もとても清楚でよく似合っている。
そして余談だけど、お胸もかなり大きい。
年は18~19くらいだろうか、それにしても相当身体の発育がいいなあ。
「どうしたの~? わたしの顔に何か付いてる?」
「あ、いえ。なんでもないです」
おっと、あんまり女の子の身体をジロジロと見るのはよろしくないぞう。
「ところで聖女見習いのシェリーさんはどうしてこんなところに?」
「それがね……旅の途中で道に迷ってしまったの」
「そうだったんですね」
確かにこのだだっ広い草原じゃ方向感覚を失ってしまいそうだもんね。
アフリカゾウなら一度覚えた道は絶対忘れないし、匂いで人の居場所も分かるから問題ないけど。
「どこへ向かうところだったんですか? 僕の分かる場所なら案内してあげられますけど」
「本当に~!?」
おぶっ、シェリーさんが急に詰め寄ってきたものだからお胸の膨らみが顔面に密着するぞう。
「うん、アフリカゾウはウソをつきませんぞう」
「ありがとう、タイゾウさん。えーと、バタフライ領ビオレという町なのだけど……」
「そこなら僕もよく知ってますよ。案内しましょうか?」
「ええ、お願いするね~」
頭を下げて頼み込んできたので、僕はシェリーさんをビオレの町まで案内することにした。
……昨日の今日でまたビオレに行く事になるとは、あんな涙の別れした後だからちょっとだけ気まずいかも。
「ここからビオレまではそれなりにあるので、よかったら背中に乗せましょうか?」
「いいの~? それではお言葉に甘えて」
しゃがんだ僕はシェリーさんが乗りやすいように脚でアシストしつつ背中に乗せる。
……過去一番のむちっとした肉質を背中に感じるぞう。
「きゃっ!? 思ったより高い~」
しゃがんでいたところから立ち上がるだけで、シェリーさんが悲鳴とも歓声ともつかない声を上げた。
「それじゃあ行きますよ」
「はい。お願いしますっ」
そうしてシェリーさんを背中に乗せた僕は、早くもビオレの町に向けて歩き出したのである。
「それにしてもよく揺れるね~」
「なんかすみません……、酔いますかね?」
「ううん、このくらいなら平気だよ。むしろこの揺れがちょっと心地いいかも~」
「それならよかったです」
そんなことを話しながら歩くことしばらく、僕は奇妙な気配を感じて足を止めた。
「あなたも気づいたの?」
「ということはシェリーさんもですね。何か嫌な気配がするんです」
気配はする、だけど目の前に転がっているのは腐りかけた野牛の死骸だけ。
……妙だな、こんな死骸があればハイエナとか肉食の鳥が腐肉を漁りにくるはずだけどその姿もない。
そんなことを勘ぐっていたその時だった、野牛の死骸がムクムクと動き出したんだ。
「え、死骸が動いた~!?」
「リビングデッドね!」
リビングデッド、それってファンタジーでいうゾンビみたいな奴?
シェリーさんの言う通り、目の前で野牛の死骸が緩慢に動いている。
「アアアアア……」
気色悪いうめき声をあげながらモゾモゾと近づいてくる野牛のリビングデッドを、僕は筋肉の束でできた長い鼻と頑丈な象牙で突き飛ばした。
「すごいパワー! あんな大きいリビングデッドがふっとんじゃったよ~!」
確かに吹っ飛ばすことはできた、だけどそいつはさしたるダメージも受けてないのか再びおもむろに立ち上がる。
「アアアアア……」
「それなら!」
そんなリビングデッドに僕は突進をぶちかましてから、連続で踏みつけにかかった。
「このっ、このっ!」
何度も踏みつけるけど、ぬちゃぬちゃとした感触に手応えがまるでなくてリビングデッドも動きを止めない。
「どうすれば……!」
「あの~ここはわたしに任せてくれない?」
「何か方法があるんですね!」
そう言うなり僕の背中から飛び降りたシェリーさんが、どこからか杖を取り出して構える。
先端が十字架と翼を組み合わせたような形。
ずいぶんと目立つ杖だなあ。
「土に還りなさい! ターンアンデッド!!」
シェリーが唱えた途端、杖の十字架がまばゆい光を放つ。
「アアアアア~~~!!」
するとリビングデッドが苦しげなうめき声をあげて、光が晴れる頃には腐った肉体もろとも消滅していた。
「す、すごい……!」
「えっへん! 見習いだけどこれでも聖女だもの」
自慢げに豊満な胸を張るシェリーさん。
敵を倒すのにこんな手段もあるんだね。
「だけどリビングデッドなんて、草原で見たことなかったけど……」
「――もしかしたら
「え、何か言いました?」
「ううん、なんでもないよ~。それじゃあ先を行こっ」
「そうですね」
改めてシェリーさんを背中に乗せて、僕はまたまた歩き出した。
……このリビングデッドが次なる異変の前触れだったとは、このときは知るよしもなかったんだ。
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