第8話 別れの前に

 ビオレの町に来て数日が経った頃。

 そろそろ草原に帰ろうかと思い始めた。


 理由は 食事 だ。


 町の中では、食べられる植物の量に限界がある。

 なにせ 一日百キロ以上 食べないとお腹いっぱいにならないアフリカゾウ。


(このまま町に居続けるのは、ちょっと難しいかもしれないな……)


 そんなことを考えながら、僕は お世話になったアンリとリリアの兄妹に伝えることにした。


 長い鼻で窓をノックすると、妹のリリアが顔を出した。


「あら、タイゾーさん。どうしたのかしら?」

「君たちに話したいことがあるんだ。アンリも一緒にいいかい?」

「いいけど……。――お兄ちゃーん、タイゾーさんが話あるって!」


 リリアに呼ばれ、兄のアンリも出てくる。


 そして僕は、決意を込めてゆっくりと話し始めた。


「突然なんだけど……そろそろ草原に帰ろうかと思う」


 その瞬間、リリアの目がまん丸に見開かれた。


「えっ!? なんで急に~~!?」

「実は……かくかくしかじか」


 僕の思ったことを説明すると、アンリは納得したように重々しく頷いた。


「確かに町の中では、不自由することも多そうだったからなぁ」


「でもさ、お兄ちゃん! タイゾーさんが帰ったらみんな残念がると思うわよ!」

「リリア……野生動物のタイゾーさんに、こっちの都合を押し付けるわけにはいかないんだよ」

「それは……そうだけど……」


 リリアは 唇をかみしめ、納得がいかない様子で視線を落とした。


(……こうなると、いきなり帰るのも忍びなくなるぞう)


「それじゃあ、最後に三人で町を散歩しようか。」

「え?」

「僕も このビオレの町をもっと知りたくなった。」

「そうね! そういうことなら、あたしも付き合うわ!」

「お兄ちゃんも一緒するでしょ?」

「もちろんさ。ちょうど足も治ったところだからな」

「ありがとう、二人とも」


 こうして、僕はアンリとリリアとともに町を散歩することにした。



 朝早くでありながらも賑わう表通りを、僕たちは並んで歩く。


「それにしても やっぱり賑やかでいいよね」

「あら、タイゾーさんもそう思う?」

「そんなに意外だった?」

「だって タイゾーさんって象じゃないっ!その割には 人間臭いこと言うのね~って思っただけよ!」

「……そうだね、あはは……」

(身体はアフリカゾウになっても、心は人間のままなんだな……)


 しばらく歩くと、町の外れにある高台にたどり着いた。


「見て、タイゾーさん」

「おお……!」


 眼下に広がる町並み。


 行き交う人々。


 そのすべてが まるで一枚の美しい絵のように見えた。


「きれいでしょ? あたしもね、落ち込んだときとかはここに来るの。この景色を見れば、悩みもちっぽけに思えるからね」


 そう語るリリアは、どこか達観したような表情をしていた。


「ありがとうリリア、最後にいいものを見ることができて満足だぞう」

「こちらこそ! お世話になりっぱなしだったもの。これくらい、なんてことないわ」


 そう言って リリアは朗らかな笑顔を向けてくれた。



 そのとき――風に乗って、どこか高貴な香りが漂ってきた。


(……この香りはまさか……)


「おーい! リリア~! タイゾウ~!」


 手を振りながら駆け上がってくるのは――


「……パピヨンお嬢様!?」


 そして、今回は メイドのノエムさんも一緒だ。


「また会いましたね、お嬢様にノエムさん」

「まさか、また会えるとは思うてなかったのじゃ!」


 パピヨンお嬢様は、嬉しそうに僕の鼻に顔を擦り寄せた。


(……やっぱり、この香りは気分がよくなるぞう)


「――ずいぶんと 懐いていらっしゃいますね」

「ご無沙汰してます、ノエムさん」

「いえいえ、こちらこそこの前は無礼な真似を働いて申し訳ございませんでした」

「気にすることないぞう。人は誰だって間違うものだから。」


 一度や二度の失敗を責めるほど僕の心は小さくないつもりである。


 そんなやり取りをしていたら、リリアとアンリが片膝をついて謝りだした。


「パピヨンお嬢様! この前は公爵令嬢とも知らず無礼な口を利いて申し訳ありませんでした!」

「妹が失礼な真似をしたようで、兄からも謝らせていただきます!」


 そんな二人を見て、パピヨンお嬢様は快活に笑う。


「頭を上げるのじゃ、お主らよ! あのときはわらわが身分を隠しておったのじゃ。リリアが気にすることではないぞ」

「「しかし……」」

「なぁに、ここは無礼講じゃ!」

「お嬢様のご厚意、ありがたく受けさせていただきます」


 そう告げたパピヨンお嬢様の笑顔は、まるで太陽のように眩しかった。


「ところでパピヨンお嬢様、それより……どうしてこんなところに?」

「そうじゃった!!」


 パピヨンお嬢様が、ピシッと指を立てる。


「わらわの父上が――タイゾウ、お主に会いたいとのことじゃ!!」

「パピヨンお嬢様のお父上……、って公爵閣下~!?」


 パピヨンお嬢様の申し出に僕は思わずすっとんきょうな声をあげてしまう。


 だって公爵だよ、言葉の響きからしてすごく偉そうなお方なんだけど……!


「ちょっとタイゾーさん! あんた一体何やらかしたのよ!?」

「え、いや。心当たりは……」

「心配することはございません。バタフライ公爵は、お怒りではありませんので。」

「それなら……よかったぞう……」


 ノエムさんの弁解で僕はほっと胸を撫で下ろす。

 処罰されるわけじゃなくて心底安心したぞう……。


「善は急げじゃ! さあ、屋敷へ案内するぞ!」

「はい。……アンリとリリアは先に戻ってて」

「ああ」

「分かったわ」


 こうして僕は、バタフライ公爵邸へと向かうことになった。


 パピヨンお嬢様とノエムさんの後に続き、僕がやってきたのは――色とりどりの花が咲き誇る、美しい庭園に囲まれた豪奢な屋敷だった。


「バタフライ公爵様、タイゾウ様をお連れしました」


 ノエムさんが メイド服のスカートの裾をつまみ、優雅な所作で報告する。


 すると、目の前の分厚い板チョコのような扉が、静かに開かれた。


 そこから現れたのは――荘厳な雰囲気をまとった、一人の男。


 ビシッと着こなした黒いスーツ。

 しっかり整えられた口ひげ。

 堂々とした立ち姿。


(……この人が、パピヨンお嬢様のお父上……)


 つまり、この人こそが バタフライ公爵――この地域を治める領主なのだろう。


 年の頃は、二十代後半に見える。


(領主にしては案外若いな……)


 しかし、その佇まいだけで、圧倒されるような威圧感があった。


「……タイゾウだったな」


 バタフライ公爵は、僕をまっすぐ見つめる。


「よくぞ来てくれた、歓迎する」

「は、はいっ!」


 僕は ビシッと背筋を伸ばした。


(……四足で、ちゃんと「気を付け」できてるかな……?)


 そんな僕の様子を見て、バタフライ公爵は ハハハと朗らかに笑った。


「そんなに緊張せずともよい。貴殿は 娘を二度も助けてくれた恩人ではないか」

「は、はあ……」

(……もしかして、この人 身分にこだわらないタイプ なのか? そういえば、パピヨンお嬢様も庶民のふりをして遊びに来てたし、ひょっとするとこの平等な価値観は父親譲りなのかもしれない)


「申し遅れた。私はアレクサンドラ・カルネ・バタフライ。この バタフライ地域を治める領主だ」

「た、タイゾウです! この度は、お会いできて光栄でございます!」

(社畜時代のビジネスワークで培った対人テクニック、ここで発揮するぞう!)


 僕が できる限り丁寧に挨拶すると、バタフライ公爵はニッと口元を緩めた。

 そして――すっと、手を差し出す。


「動物でありながら、礼儀がなっている。さすがだな。これは――私も敬意を表さねばなるまい」

「こ、光栄です……!」


 僕は、長い鼻でその手を握り返す。

 貴族と象が、堂々と「握手」する――なんとも奇妙な光景だった。


「娘の恩人であるタイゾウ殿には――これを授けよう」


 そう言って、バタフライ公爵が僕に手渡したのは――羽を広げた蝶を象った、美しいバッジだった。


「これは……?」

「バタフライ公爵家より授けられる勲章だ。これを持っていれば、何かと便利だろう。」

「あ、ありがたく受け取らせていただきます!」


 僕は 感謝を込めて深々と頭を下げた。


(……まさか異世界で、勲章をもらうことになるなんて……なんだか、すごく感慨深いぞう……)


 その後、僕はバタフライ公爵と庭園で話をすることに。

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