第3話 人としての心

 それから数日というもの、僕はまた象としてのゆったりとした生活に戻ったんだ。


 周りにある木の葉や果物から食べられるものを探し歩いたり水浴びをしたり。


 誰にも邪魔されないこのマイペースな時間が、社畜だった僕にとって何にも代えがたい幸せだ。


 今日はいつもよりちょっと遠くに足を運んでみようかな。


 思い立って歩きだした僕は、すぐにまた目新しい食べ物を発見する。


 見た目は刺々しい枝葉だけど、キュウリみたいにみずみずしい香りがするぞう。


 だけどこの刺、触ると痛そうだ。


 恐る恐る長い鼻でちょんちょんとつついてみると、意外なことに刺は見た目ほど鋭くない。


 ということで僕は鼻でこの枝葉をむしりとって口に運んだ。


 うん、みずみずしい葉っぱといい感じの歯ごたえな枝が味わい深くて美味しい。


 幸運なことに枝の刺は口の中にも刺さることはなかった。


 これはこの刺が見かけ倒しなのか、はたまた象の皮膚が分厚いのか。


 それはともかくとして、僕はこの枝葉を小腹が満たされるまで引きちぎっては口に運び続ける。


 そして気がつくとその木を倒した上で丸裸にしてしまっていた。


 あらら、ちょっと調子にのって食べすぎたぞう。


 でもこれでまた新しいグルメにありつけたんだ、後悔はしていない。


 もうしばらく歩くと、僕はいつの間にか森からだだっ広い草原に出ていた。


 吹き寄せる風が清々しくて気持ちいい。


 それと足元の長い草もなんか香ばしい香りがする。


 人の背丈の半分はありそうな草も鼻でむしりとって口に運ぶと、やはり香ばしい味わいが口に広がった。


 木の葉もいいけど草も美味しいものだね。


 夢中で草を口に頬張るうち、僕の背中には何羽もの小鳥が止まっていた。


 僕の巨体が羽を休める休憩場所になっているのかな。


 小鳥たちを背中に乗せながら歩いていると、もう一つ興味深いことが分かる。


 僕が歩くたびに草むらから飛び出す小さな虫を、小鳥たちが掠め取っているんだ。


 なるほど、こんな目的もあるんだね。

 小鳥さんも賢いぞう。


 歩き続けるうち満足したのか小鳥たちもそれぞれの場所へ飛び立っていく。


 それと入れ替わりに僕はブンブンと近くを飛び回るハエに悩まされることに。


 この羽音、うっとうしくてなんとかならないかな……?


「……痛っ!」


 しかもこのハエ、うるさいだけでなく肌を刺してくるんだ。


 さっきの小鳥たちがいてくれたらな……、だけどないものをねだっても仕方がない。


 そこで僕は前世からの知識で泥のありそうな場所に向かうことにした。


 少し歩けば泥が豊富にありそうな沼地にたどり着く。


 これはいい、確か動物って泥浴びすることで寄生虫なんかを落としてるんだっけ。


 早速僕は泥を鼻で掴んで巨体にぶちまける。


 冷たい泥が気持ちいいぞう。


 それから泥を身体に投げつけたり、巨体を転がして泥を塗りたくり。


 人間だった頃では考えられないけど、こうしてみるのも気持ちいいや。


 心行くまま泥浴びを堪能したところで、僕は次の場所に移動することに。


 少し歩くと僕は何かの鋭い視線を感じとる。


 これはもしや、僕を狙ってるのか……?


 大きな耳を広げて警戒すると、程なくして草むらから大きな狼が数頭姿を現す。


「ガルルルル……!」


 恐ろしげに喉を鳴らす大きな狼に、僕も緊張で身構えた。


 この狼、二メートルくらいはありそうだ。それに額にはダイヤモンドみたいな結晶がある。


 名付けるなら古代の狼ダイアウルフならぬ、ダイヤウルフか。


 そんなダイヤウルフ(仮)が僕を取り囲んで様子をうかがっているように見える。


 さすがにいきなり襲いかかるほど狼たちもバカではないようだ、それなら!


「パオン!!」


 象っぽい大声を出して長い鼻をちょっと振り回してみたら、ダイヤウルフの一頭が大きく吹っ飛ばされる。


「ギャアン!?」


 これに恐れをなしたのか、ダイヤウルフたちは尻尾を巻いて逃げ出した。


 今の僕なら狼も敵じゃない!


 ……緊張が解けたらまたお腹が空いてしまった。


 そんなわけで僕はまた周囲の草でお腹を満たすことにしたんだ。


 この草原を移動しながら草を食んで、時に襲ってくる肉食獣を追い払う。

 そんな遊牧的な暮らしを続けて一ヶ月が過ぎようとした頃。


 さすがにちょっと退屈してきた。


 食べ物もたくさんあるし、怖いものもない。

 仕事漬けだった前世と比べれば夢のようなのんびりライフだったけど、元人間としての性か独りぼっちであることにどこか寂しささえ感じるようになっていた。


 そういえば最後に人と接したのは、一ヶ月前に公爵令嬢を助けた時だったな。


 パピヨンお嬢様のおしゃまな笑顔が脳裏に浮かぶ。


 ……ちょっと会いに行ってみようかな。


 そう決めた僕はちょっと前の記憶を頼りに、町に続いているだろうルートを辿ることにした。


 最初にいた森へ向かって僕はだだっ広い草原をのっしのっしと歩く。


 行く先々で文字通り道草を食いつつ進むことしばらく、僕の足の裏と耳が誰かの声を捉えた。


 この声は恐らく人のものだ、ちょうどいいから会いに行ってみよう。


 その方向へ歩いていくと、そこにいたのは二人の少年少女だったんだけど。


「俺はもう大丈夫だからっ」

「ダメよお兄ちゃん! その怪我でこれ以上歩くのは無理!」


 どうやら緋色の髪をした少年の方が怪我をしていて二人とも立ち往生しているようだった。


「そこの二人、ちょっといいかい?」

「誰!?」


 僕が声をかけてみたけど、同じく緋色の髪を頭の横で一つに結んだ少女の方に警戒されて拳を向けられてしまう。


 彼女の両手には頑丈そうな手甲が着いていて、あれで殴られたら痛そうだ。


 それに胸に巻いたさらしみたいな黒い布と短いタイトスカートがいかにも身軽そうである。


「おいリリア、獣が喋ってるぞ!?」


 足を怪我した少年がすっとんきょうな声をあげたことで、リリアと呼ばれた少女の注意がよりこっちに向く。


「本当だわ! それにこんな巨大で変な獣、見たことない!」

「変とは失礼な、僕はアフリカゾウだぞう」


 むすっと僕が答えると、リリアが一転して腹を抱えて笑い出した。


「あははっ、何かと思ったら面白いこと言ってくれるじゃない!」

「……どうやら敵意はなさそうだな」


 どうやら少年の方も警戒を解いてくれたみたい。


「おっと、じこしょうかいがまだだったね。僕はアフリカゾウの泰造だよ」

「俺はアンリ、こっちは妹のリリアだ」

「リリアよ。よろしくね、タイゾーさん」


 なるほど、この二人は兄妹なのか。

 どうりで似てるわけだぞう。


 リリアの差し出した手を、僕は鼻で取った。


「きゃっ、濡れてる!?」


 あー、鼻先が濡れてるのは動物だから仕方ないんだぞう。


「それでタイゾーさん、なんで俺たちに?」


 アンリがそう訊いてきたので、僕も答えた。


「どうやら君たち困ってるみたいだから、町まで背中に乗せてあげようと思って」

「それ本当!?」

「ゾウはウソなんてつかないぞう」

「それなら助かるよ。俺としたことが足を怪我してしまってね」


 申し訳なさそうに言うアンリの前で、僕はしゃがんで背中を差し出す。


「はい、どうぞ」

「ありがとう、タイゾーさん。ほら、お兄ちゃんもっ」

「ああ」


 そんな僕の背中によじ登ったリリアが、兄の手を引きあげた。


「それじゃあ出発進行……とその前に、君たちはどこから来たんだい?」

「俺たちはバタフライ公爵領のビオレから来たんだ」

「ちょうどここから最寄りの町ね」


 バタフライ公爵領か、つまりこの若者たちを送り届けた先でパピヨンお嬢様に会うチャンスもあるわけだ。


 偶然とはいえこれはちょうどいいぞう。


 そんな二人を背中に乗せた僕は立ち上がって、そのまま彼らの案内の元でビオレの町に向かうことにした。

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