6
半田は月村に連れられ、あるワンルームの部屋に来ていた。その部屋は日当たりも良く、清掃が行き届き、簡素な家具が並んでいた。モデルルームのようだと、半田は思った。
「38万4400キロある」
家主である新井は言った。彼はパソコンに向かい、二人には目を合わせない。月村と半田は床に直で座り、丸い小さなテーブルを囲んでいた。
「月までの距離だな」月村が言った。
「そうだ。初めて月に辿りついたのは?」
新井は先ほどから独り言のような質問をこちらに投げかけて来ていた。どうやら何かしらのテストのようだ。月村の話では新しいエンジニアを一人確保したとのことだったが、その肝心のエンジニアの方はこちらをまだ信用していないらしい。
「アポロ11号。確か1969年だったと思う」半田が言った。
新井はチラッと半田の顔を見た。だが、特に何も言わずまたパソコンに何かを打ち込む作業を再開してしまう。
「有人ならアポロだけど、探査機だけならルナ2号が初だな。1959年にソ連から」と月村。
「そうだ」
「二人とも良く知ってるな」半田は自らの無知を恥じるわけもなくそう言った。
「まあな」と月村。
「それほどでも」と新井。
月村はスマホをしまい、新井はウィキペディアのタブを閉じた。
新井はようやく二人の方に向き直り、話をする姿勢を見せる。しかしその顔には明らかに半分倦怠のニュアンスが含まれていた。
「どこまで本気なのか知らないけど。無理だと思う」新井は言った。「ロケットはどう用意する?燃料は何を使う?どこから打ち上げる?問題しかない。それを全部クリアしたとしても、目的が目的だからな」
だよなと半田は思い、背中を丸めた。反対に月村の背筋は伸びた。
「それはつまり協力してくれるってことかな?」
月村は元気よく言った。新井は鬱陶しそうに耳の中を指で掻いた。月村の声が耳の中にこびり付いたと言わんばかりだった。
「協力はする。面白そうだから。でも条件が一つある」
「なんだ?」月村は笑顔で聞く。
半田はますます背中を丸めた。まだ払えるお金どころか、会社すら持っていないからだ。しかし、新井の要望は半田の予想したものではなかった。
「俺は一人が好きだ。打ち上げの瞬間に管制室まで出張って、大勢の人間に握手して回るなんて死んでもやりたくない。だから俺をこの部屋から絶対に出そうとしないなら、協力できると思う」
「もちろん」月村は即答した。「隕石がこの部屋に降ってきても、俺は君を逃がさないよ」
「ありがと」新井はその時初めて微笑んだ。「でも月に行くのは無理だと思う。第一お金が集まんないでしょ」
「それはコイツの仕事」月村は丸くなり切った半田の背中を叩いた。
背中を叩かれた半田は顔を上げたが、ハハハと渇いた笑いしかできなかった。
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