車道の方に登り、ロープを柵にくくる。深夜で車も歩行者もほとんどいない。誰かに見られる心配はなかった。ロープは車道の柵を中継して、トンネルの側にある木に固く結ばれている。あとは月村がハーネスを調節すれば、彼の体は宙に浮く。

 ゆっくりと月村の体は下がっていき、トンネルのアーチのてっぺんに宙ぶらりんになる。よし。月村は気合を入れた。

 両足で体が回らないように固定しながら、プラスチックのボードをガムテープで壁に貼っていく。パズルのような作業は、始めこそ手慣れない環境にてこずったものの、難なく完了することができた。あとは上からスプラ―缶で吹き付けるのみだ。ボードに開けてある穴の部分だけスプレーが壁に吹き付けられ、数秒とかからずに狙い通りのラクガキが完成する。月村は乱暴にボードを剝がしていき、どんどん地面に落とした。あとで回収するので構わない。

 壁に描かれたラクガキを眺めると、別に興奮はしなかった。考えた通りのことが考えた通りに終わった。それだけだ。残ったのは疲労感と少しの達成感。

「帰ろう」知らずのうちに声に出していた。

 月村はハーネスを操作し、地面まで降下しようとする。そのとき、がくんと彼の体は重力に引っ張られ、自由落下を始めた。なんのことはない。木にしっかりロープが結ばれていなかっただけだ。ほどけたロープは月村の体重を支えることなんてできず、彼は後ろ向きのまま地面に落ちていく。高さはおよそ5~7mくらい。何が起きたのか月村が気付く前に、彼の体は地面にたたきつけられていた。

 

 月村が背中の湿布を見せる。腰から肩にかけて白い長方形がいくつも貼られている。半田は呆れて死んでもおかしくなかったことを指摘する。

「でも生きてる」あっけらかんとして月村は答える。「話はもう少しで終わる」

 半田は腕時計を見てから続きを話すように促した。


 プラスチックのボードがちょっとしたクッションの役割を果たしてくれたが、月村はしばらくの間起き上がるどころか、息さえできなかった。背骨が丸ごと砕けたような痛みは胃袋をひっくり返すほど体中に響き、終いには仰向けの状態でいくらか吐いた。

 引かれたカエル状態のまま三十分はゆうに過ぎ去り、ようやく少しは痛みを頭から締め出せるようになったころ、月村は夜空に光るものがあるのを知った。それまで雲が厚く空にかかり気が付かなかったが、今夜は満月だった。

 柔らかい月光は月村に真っ直ぐ降り注ぎ、痛みも幾分か癒してくれてるようだった。そして何より、月の光に照らされて、月村が描いた『ロケット』が実際に飛んでいくように見えたのだった。

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