巨人の舞踏の足跡
──ボールパークに、快音が鳴り響く。
マウンドに立つ玲は、スタンドに持っていかれたボールを追うことはせず、ただただ感慨深く目を閉じた。
……東郷玲、50歳の真夏。
今日この日まで、ヒットを打たれることは篤を筆頭にした新世代の選手相手にままあったが、ホームランは今日が初めてだった。
「しかし、どういう皮肉だこれ」
観客に応えるように拳を掲げながらダイアモンドを回ってホームに帰る若者に、玲は嘆息する。
……初めて打たれるホームランの相手が、息子なんて。
相手チーム……ロサンゼルスフェニックスのベンチに帰った玲の子は、チームメイト全員からもみくちゃにされている。今や監督になった奨、キャプテンになった篤は涙すら浮かべている始末だ。
──
玲は子供たちに野球をさせようと思ったことは一度としてない。あくまでも自分の意思でやりたいなら応援するというスタンスを崩したことはなかった。その上で環は野球の道を選んだのだった。
環は昔から父である玲の真似をする子供であった。父にいつも付いていって、暇さえあれば練習の真似事を一緒にし、地元ラスベガスでの試合があれば観戦しに行く、特に玲に懐いた子であった。
幼少期からずっとそんなことをし続けていたある日、環が15歳の時に自分の練習メニューに完璧についていっていることに玲は気付く。歳を重ねる毎に全盛期を更新し続ける玲の、並のプロなら裸足で逃げ出すメニューを、体が出来上がっていない子供がついていっている事実に驚愕した。
東郷玲を遥かに上回る才能が、環にある。
……故に、この日がいつか来るのだろうとその時から覚悟した。
「……やっべぇ」
野球、楽しい。
悔しいのに、情けないのに、負けてたまるかという気持ちしか湧かない。
50にもなって、年々若返ってないかと咲に言われているくらいに肌つやが良くなっていっている。
引退?あり得ない。死ぬ時はマウンドの上と決めている。
『ミスター、大丈夫ですか?』
タイムを取ってマウンドに駆け寄ってくるキャッチャー。ニクソンの弟子で、そのニクソンは現在ストレンジャーズのコーチだ。
ニクソンは咲の姉である華と結婚し、今では二児の父だ。玲が義兄さんと呼ぶと本気で嫌がる素振りを見せるため時たまからかっている。
新時代の選手たちに負けてたまるかと気を張っていたが、五年前に選手を引退。育てていた弟子に後継を任せて、後進育成に力を入れている。
『問題ねえよ。俺だって打たれる時くらいある』
『ですが、ホームランを打たれたことなど一度も……』
『俺より動揺してんじゃねえかしっかりしろよ。……いつか来る日が今日来た、それだけだ』
そう言ってキャッチャーを戻らせる。
その後の投球に、一切の翳りはない。新世代の選手たちも容易に打てないのが、東郷玲という伝説だ。
それでも、環には全ての打席で打たれ続けた。
誰よりも父を見続けて、誰よりも父に憧れて、誰よりも父に近づこうとし、誰よりも父を超えようとした子に、敵う道理がなかったのだ。
──本日、東郷玲はマウンドに立って、プロになって初めての黒星を味わう。
『父さん、来てくれないか?』
壇上でヒーローインタビューを受ける環に、敵チームである玲を呼び出した。
しょうがねえなと、玲は向かっていった。
『なんだよ、負け犬から出る言葉なんてねえぞ』
『何言ってんだよ父さん。俺は、父さんの後を付いていってここまで来たんだ』
壇上で向き合う二人は、視線を同じくしている。2メートル以上ある玲と、見上げもせずに真っすぐ見据えている。
ユニフォーム越しでもわかるくらいに鍛え上げられている鋼の肉体は、玲の体質を余さず継承している上で鍛錬も欠かしていない証である。
父の真似っこばかりしていた我が子が、いつの間にか精悍な男の顔になっていた。
……泣きたくなるくらいに、玲は嬉しかった。
『ありがとう、父さん。……ごめん、色々言いたいことあったはずなのに、これしか出てこない』
『……泣くなよ、孝行息子』
二人とも、目から涙がこぼれている。
父親越えが親孝行であるのなら、環は文句の言いようのない程の孝行息子だ。
『今日からは、俺が父さんの重荷を背負うから』
『……あ?』
『最強の選手に、今日から俺がなるから。ゆっくり休んで』
……しかしやはり、ずっと親子でいられないのが野球人のサガだ。
環の笑顔は長く現役を続ける父を気遣うようなものに一見して見えたが、中身は違う。玲にはその中身が透けて見えていた。
環はずっと、ずっと近くで狙っていた。父が持っている史上最強選手という名前の王冠を。その野心をひた隠しにして、虎視眈々と機会を伺っていた。
『──舐めんな、俺は東郷玲だぞ』
……同時にそれは、東郷玲にとっての触れてはならない逆鱗そのものだった。
史上最強の野球選手になる。これは野球人生において一貫している玲の夢だ。
我が子を絶対に負けたくないライバルと認めたからこそ、父は意地にならざるを得ない。
否、親子以前に……彼らは性根が野球選手だ。勝った負けたにはシビアでいる。
負けっぱなしは許せない。たとえそれが、相手が父だろうが子だろうが。
──夢を脅かした時点で、もう戦争以外にない。
『お前に最強は早ぇよ。俺はまだまだ、あと30年は現役でいる』
『さっさと引退したら?我が子相手にこんだけボロ負けしておいて恥ずかしくないの?』
『一回まぐれ勝ちしただけでよくもまあそんな偉ぶれるもんだ。教育間違えたか?』
『あれがまぐれと思ってる時点で耄碌してるな、もうダメだ。病院行こう、な?』
『まったく、しょうがねえクソガキだなぁ』
『ホント、みっともないクソオヤジだなぁ』
『……ハハハ』
『……ハハハ』
……球場が、観客含めて静けさに包まれる。
この二人を中心に、氷点下にまで温度が下がったと錯覚した。夏場のラスベガスであるはずなのに、誰もが鳥肌が立つくらいに寒気がした。
『──上等だこの野郎!もう二度と息子と思わねえぞこのガキァ!』
『──はああああ!?誰だこのオッサン!?なんか負け犬臭いんですけどおおお!?』
親子の感動の一幕から一転、バチバチの絶縁宣言。
見守っていた観客たちの情緒は困惑と共に狂いっぱなしである。
『次は、俺が勝つ!』
『ハッ!かかって来いよ、負け犬!』
父親としてではなく、子としてではなく。今度は一人の野球選手同士で。
球場で再び、相まみえよう。
「正座」
「いや、あの、咲……」
「母さん、悪かったからその……」
「正座」
──試合後、玲と環は、揃って庭先の芝生の上で正座をさせられていた。
妻であり母である咲は、夫と息子を正座させたまま見下ろす。その眼差しは、ひどく冷たい。
現在、三児の母となり五十路となった咲は美貌は二十代の頃より割増ししているくらいに若々しい。……だからこそ、夫と息子の二人は怒っている彼女が恐ろしくてたまらない。
東郷家のヒエラルキーは、咲が頂点。ずっと変わらない現実であった。
「あの……その……」
「……」
「か、母さん?」
「……」
「な、なんか喋って?」
「……」
「ご、ごめんなさい」
「……ごめんなさい」
「私に謝ってどうするの?」
そう言われて、渋々と玲と環は向き合って、頭を下げ合った。共に土下座の姿勢である。
その姿をパシャリ、と。シャッター音とフラッシュが光る。
二人が咄嗟に顔を上げると、咲の脇に立っていた女の子がスマートグラスをかけてニヤついた顔でいた。
「……
──長女、
母譲りの美貌と頭脳を兼ね備えており、現在ではトレーダーをしながら投資会社とシンクタンクをいくつも経営し、インフルエンサーを兼ねたモデル、アイドル、歌手など芸能活動や配信者活動をしている。
東郷家の中では広告塔の役割をしており、今では家族の中では誰よりも情報通である。
「仲直りの印としてアップしよっと」
空間投影のモニターを手慣れた手つきで操作して、すぐさま二人が謝り合った写真をネットの海に放り投げようとする。
「待て待て待て!?」
「あんなバチバチにやり合った後の手前、んなの上げられたら情けなくて」
「こっちが恥ずかしくて情けないんですけど?全米に父と兄が喧嘩している姿が晒されて、今世間様がどうなってるか知りたい?」
そう言いながら、様々なニュースサイトの内容を二人の眼前に表示した。
全米に、そして日本に、玲と環の親子喧嘩が大きく報じられている。
東郷家の親子対決は試合前から大きく注目されていた。そして父親越えというセンセーショナルな結末に全世界の野球ファンは大いに沸いたが、ヒーローインタビューの一連の流れで阿鼻叫喚に陥った。
野球史上最強の選手とその後継の仲違いは親子間どころかメジャーリーグすらも二分するのではないかと誰もが頭を抱えた。
事実、東郷玲の影響力はそれほどある。そして環は玲からホームランを打ち、唯一明確に勝った初めての男で、ルーキーながら強いカリスマも持ち合わせている。
そんな二人が争えばメジャーリーグの内外でどのような影響を与えるか、トレーダーの梓にしてみれば悪夢そのものとしか言いようがない。
「アップと」
「ああ……」
「終わった……」
無慈悲にネットの海にお互いの謝罪写真は公開され、拡散されていく。
これで世間の混乱は収まるだろうと、一安心する。
「梓」
「何、ママ?」
「数分前に公開したこの写真は?」
空間投影によって表示されたのは写真と、文章。それは梓のアカウントページで投稿されたもの。
最新のものがたった今公開された玲と環が謝り合う写真。咲が指摘したのは、その一つ前の投稿だった。
隣り合って正座する玲と環の前に立つ、脚だけ映った写真。そして添付された文章は、『My family BOSS』とだけある。
……東郷家について知るファンが見れば、これだけで誰であるかはすぐに察することができるだろう。
「……ほら、やっぱウチの最高権力者はママだし、ね?ママが仲介したら話に説得力があるし」
「梓。正座」
「ひぇ」
──揃って三人、咲からの雷が落ちる結果となったのであった。
『東郷選手!』
『東郷選手!』
『ミスタートウゴウ!』
アメリカから場所を移し、ヨーロッパ。ドイツ、ミュンヘン。
ホームのスタジアムの試合を終えて帰路につく一人の選手に、大勢の記者団が追ってくる。
『今日の試合のトリプルハットトリック、おめでとうございます!』
『今年のバロンドールもやはり狙っていますか!』
『日本代表かアメリカ代表か、ナショナルチームの招集に応える意思はあるんでしょうか!?』
『答えて下さい、東郷選手!』
質問攻めをしてくる記者団を鬱陶しく思いながら歩みを止めない、東郷と呼ばれた青年。
身長は2メートル前後の日本人。容姿は美麗な甘いマスクで母親似とよく言われ、鍛え抜かれた日本人離れした肉体は欧米人のそれを遥かに凌駕するパワーを持つ。
──
父と弟とは違い、サッカーの道を自分で選び、ティーンの頃から単身ヨーロッパのトップチームを転々としてプレーをしている。
二十歳そこそこの若手ながらコパ・トロフィー受賞、バロンドール受賞四回。UEFA欧州最優秀選手賞四回、ゲルト・ミュラー・トロフィー四回等々と、輝かしい経歴を重ねていており、『もしも東郷玲がサッカーをした姿』あるいは『絶対勝利請負人』『ハットトリックアーティスト』などなど数々の異名が付けられていて、史上最強のサッカープレイヤーの称号を若年ながら恣にしている。
『父、玲氏と弟、環氏が絶縁宣言したとありますがコメントを!』
『……はぁ』
無神経な記者の質問に、溜息と共に苛立つ琉。
『……勝負の場だぞ。親だ子供だ言ってられる場じゃねえってことは常識だろうが』
流暢なドイツ語でそれだけを記者たちに言い残して、琉は自分の車に乗って帰路につく。
借りている部屋に帰宅するなり、琉はラスベガスの家族、妹の梓に電話する。
「もしもし、梓。馬鹿親父と馬鹿環のアレ何?」
『あ、お兄ちゃん。アレはただの茶番だから気にしなくていいよ』
「やっぱり?だと思った。親父大好きな環のことだからな。意地張ったんだろ」
『お兄ちゃんもいい勝負だけどね』
「いやいや、環には負けるよ」
兄妹の中で一番ファザコンなのが環で、マザコンなのが自分であると琉は思っている。
そして同じ問いを環にすれば、ファザコンなのが琉でマザコンが自分だと答えるだろう。
そんな兄たちをしょうがないなあと思いながら梓は眺めている。
……東郷家は、今日も仲良しである。
「……まあ、アレだ。環にはおめでとうって伝えてくれ。親父にはリベンジ頑張れってな」
『自分で言ったら~?』
「俺の口から言うより、梓の口から言った方が喜ぶんだよあの二人」
末っ子の妹の梓を、父と兄二人は特に甘やかしている。
……もし梓が将来、結婚相手を連れて来るとなれば、男衆三人が結託するのは間違いないだろう。その後、咲に制裁されるまでがセットである。
『お兄ちゃんも頑張ってね』
「おう。今シーズンもバロンドール取ってくるわ」
『……普通はそう簡単に言えないはずなんだけどなぁ』
ウチの男共は本当にもう、と梓が零した後に電話が切れる。
父と弟とは、違う道を選んだ。
東郷玲の息子としてではなく、東郷環の兄ではなく、東郷琉として。
……空前絶後の、史上最強のサッカープレイヤーになる。琉の夢は、それのみだった。
────巨人の舞踏は続く。巨大な足跡を遺し、地鳴りを轟かせ、心ゆくまま歌い上げる。
その姿は華麗で荘厳。苛烈で優美。見上げる蟻は、一挙手一投足に巻き込まれる。
「まだまだ、踊り足りねえな」
巨人の舞踏は、どこまでも────。
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『巨人の舞踏の足跡~或いは史上最強プロ野球選手東郷玲の華麗なる人生』を読了、ありがとうございます。作者のSoul_Prideです。
本作執筆のきっかけは、現在絶賛現実で連載中の『OHTANI』がきっかけです。漫画なら絶対ボツって言われているあの人がいるのなら、じゃあ空想の世界ならもっと現実離れしたヤツでもいいじゃないかという発想から生まれました。
で、じゃあ例のあの人を超えるヤツっつったらどんなのよと古のニコ厨だった記憶が思い出させて参考資料を用いたのがZSSで有名なあのTAS動画。
絶対に全部三振に取って、絶対にホームランを打つ。そんな創作で描くのも憚れるような絶対にありえないヤツがいたら一体どうなるんだ。頭で考えてわかることだろう事でも試したい、じゃあ書いてみるしかねえだろうと思い書いてみました。
で、思いつくことは書き終えましたので完結とさせていただきました。
改めて、拙作『巨人の舞踏の足跡~或いは史上最強プロ野球選手東郷玲の華麗なる人生』を読了、ありがとうございました。
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