其は無謬の巨人の王なり
──ニクソン・ケニング21歳は熱心なMLBファンの両親の間に生まれ、そして自身もMLBの舞台を夢見て野球を始めた。
センスはあった。実力もあった。努力し続けるガッツもあった。だが致命的に、華がなかった。
昔から、印象が薄いと言われることが多かった。ぱっとしない、影が薄い、存在感がない、そんなことばかり言われていた。
マイナーリーグで優良な成績は残していたが、何故か上部組織に昇れず、いつまでもシングルAに燻っていた。
実力主義を謡いながらも、MLBは興行だ。客を呼べる選手こそが正義である。
どんなに打とうが守れようが、客を呼べない選手など必要ないと言われているようで……このままシングルAに残り続けるなら辞めてしまおうかと考えていた頃に──。
『そりゃ言い訳だ、
東郷玲に、見出されたのだった。
共に車での移動中。高そうなリムジンの中で自分のことを話してみろと言った玲にニクソンは語ったが、玲はバッサリと切り捨てた。
『いや、でも、事実俺は……』
『今シーズンの打率とホームラン数ははどれくらいよ』
『.321です、ホームランは11本……これでもチームじゃ上位で』
『論外』
『ええっ!?』
ベストと自負した成績を論外と切り捨てられて驚愕する。
確かにシングルA程度のレベルでの成績と切り捨てられるかもしれないが、必死にやっているのだ。それを認めてくれてもいいじゃないかとニクソンは訴える。
『客が呼べるかどうかなんざ結果だ。単純に実力が足りてねえ』
『そんな……』
『客が呼べねえどうこう言うんだったら、全打席ホームラン打ってからにしろ』
『そんなこと……!』
『できたが?』
そう言って玲はタブレットを操作してニクソンに渡す。
タブレットの画面に映ったものは、東郷玲のNPBでの成績が英訳されて載ったページだ。
そこに載った異次元の数字の数々に、まず疑ったのは本当のことかどうかだった。
『……ジョークサイトですよね』
『NPB公式データベースだ』
『……生意気言ってすいませんでした』
この成績と比べてしまえばどんな選手であろうが何も言えなくなってしまう。
NPBのレベルの高さは知っている。どんなに少なく見積もってもAAAクラス、メジャーレベルの選手がひしめく環境だ。身体能力に依存しない技量だけならば上回っている選手すらいる。
そんな場所で人外と言うべき成績を残している。その尋常のなさを理解できないほどニクソンは馬鹿でなかった。
これが真実であるならばそもそもの話隣に座っている彼が人間かどうか疑わしくなってしまう。
『目立ちたかったら結果出せ。誰かと比較されない、誰よりも明らかな結果をな』
──客を呼べない華がないどうこうはそれからだ、と玲は断じた。
瞭然たる結果こそが全てである。厳しすぎる言葉に、ただただニクソンは打ちのめされた。
『お前はもう、結果は残している。そこは誇れ』
『えっ……』
『俺の全力の球を全部受けきっただろう。81球27人三振させた一助を果たした』
『いや、でも、それは……』
『なんで俺がシングルAの、ラスベガスからそこそこ遠く離れたセントルイスに顔出したと思ってる』
『それは、下部組織の選手にチャンスを、とか……』
『知っとけニック。俺は、そんな暇じゃねえし甘くねえ』
自分と組む以上、性格の悪さは知っておけと忠告する。
『アメリカで俺の球を受けきれた捕手は、お前だけだった』
『……え?』
『お前以外全員無理だったよ。ストレンジャーズの正捕手、控え捕手、ブルペン捕手を始めAAA、AAの全部の捕手全員がだ。お前がいなきゃ次はルーキーリーグに行こうかと思ってたよ』
『そんな、嘘ですよ。俺なんかよりキャッチが巧いヤツなんて……』
『ニック。俺は、野球に関しちゃ嘘は言わねえ』
『あ……』
『誇れ。胸を張れ。そしてもっと磨け。これが、誰よりも明らかな結果だ』
東郷玲が今何より欲しているのは、後逸せず球を捕りこぼさない捕手だ。投げる球全てを捕ることができる捕手がいるのならば、必ず相手打者全員を三振に抑えると自負している。
……その時点でもう、玲が先発した試合に負けはない。ならばニクソンはストレンジャーズの勝利に貢献したと言っても過言ではない。
結果は既に残している。玲の球を受け止められる捕手というのは、確実に失点を0にする一助を担っていることに等しいのだ。
『ちなみに。来シーズン俺の球をきっちり全部受け止め切れたら年俸はこうだ』
ニクソンに渡したタブレットを取り、電卓アプリを起動させて数字を打ち込む。
再びタブレットをニクソンに渡すと、画面に表示された目玉が飛び出るような数字を見て、驚愕した表情を浮かべた。
『い、いいいやいやいや、これはさすがに……!』
『あと、打撃成績もインセンティブを付ける。一定以上の成績を上げりゃ倍額ドンだ』
『倍!?』
『俺にとっちゃ死活問題なんだよ、俺の球捕れるキャッチャーってのは。古巣は正捕手がベテランのキャッチングの名手だったから一発で見つかって運が良かったんだが……いや、逆か?運が悪かったのか?まあいいや。お前を余所に取られる訳にはいかねえのよ、誠意は金額っつー言葉もあるくらいだしな』
『あっ……』
そう言われてニクソンは自分に課せられたものの大きさを自覚した。
玲のあの投球、打てる人間など確かに誰もいないだろう。そして同時に捕れる人間も玲が言うようにごく少数。ならば、キャッチャーを引き抜いて玲の弱体化を図ろうとする他球団がいてもおかしくない。
『オーナー権限でお前を手放す気は一切ないが、お前の意思は尊重しなきゃならん。こっちは金と待遇くらいしか用意できねえんだ、悲しいことにな』
逆を言えば、しっかり球を捕りきることさえできれば身に余るほどの待遇を約束すると玲は言う。
玲としては、ニクソンを決して逃がしたくなない。使えるものは全部使って囲い込む気でいる。
『断言する。ラスベガスストレンジャーズがワールドシリーズ優勝するには、お前が要だ。お前が俺の球を受けきって、尚且つ打撃で活躍すれば勝てない理由が本当になくなる』
『なんで、そこまで……』
『見えたろ、お前も』
そう言われて、ニクソンは思い出す。
玲の球を必死に受ける時に見えた、幻の大観衆の中のスタジアムの光景。ワールドシリーズの決勝で、化物みたいな大打者たちを相手に野球をやっていたことを。
その光景を共にした。それだけで玲にとっては信じるに値する。
『なら十分だ。それ以上の理由はいらねえよ』
同じ視点で夢見るのなら、これ以上は余分だと断じる。それだけでもう、玲は嬉しかったんだと笑って答えた。
──ニクソンは、ここにきて自分の運命を知る。
シングルAに燻っていたのは華がない実力がないという理由じゃなかった。
全ては玲と、巡り合うために。野球の神様の導きによるものだったのだと。
(この人に、なら……)
野球人として、玲に惚れこんでしまった。彼を知らなった頃にはもう戻れない。
共に野球をしたい。そして、そのためには自分の全部を捧げてどうにかという領域だ。妥協の一切は許されない。
ならば彼の為に躊躇はなく、己の全てを注ぎ込むとここに誓約する。
『お願いします、ボス』
『
改めての、固い握手。
契約はここに、成立した。
『つーわけで。これからベガスで、来シーズンまで特訓漬けにして一、二回は地獄見てもらうから』
「…………What?」
『言ったろ?シングルAの成績をメジャーで出来る程度に鍛え抜くっつってんの。良かったな、実力でも一流の仲間入りは確定だ』
『そのために古巣の捕手も呼び寄せたんだからなー』とケラケラと笑う玲に、早くもニクソンは後悔しかける。
玲は間違えない。短いやり取りで、それを理解した。
ならば、地獄を見るというのも嘘じゃないのだろう。それも規格外である玲の基準で、地獄と呼ぶにふさわしいものをニクソンに見せつける気でいる。
この男にとっての地獄とは一体なんだと、想像力の及ばないことが恐ろしくこの時点でもう既に地獄。リムジンの中の冷房はよく効いているにも関わらず、冷たい汗が全身から噴き出てくる。
『玲、最後に一言だけ弱音を吐いてもいいですか』
『おう、これが最後な』
車の窓を開いて、そこから顔を出したニクソンは、今までの人生の中で最も大きな声を吐き出した。
──遺言、否、末期の言葉はこれにしよう。
『F〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇!!!!!』
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