其は雷声の巨人の王なり
「……これで俺の教えられることは全部教えたつもりだ、ニック」
「アリガトウゴザイマス、マスター
「マスターはよせっての。これからアイツに振り回されることに同情しないわけじゃないが。まあ……
「ハイ!」
────東郷玲の壁役、引佐良からニクソン・ケニングへの引継ぎの一場面。
──シーズン開始前の、練習時間へと時間は流れる。
ラスベガスストレンジャーズのアクティブロースター枠に東郷玲とニクソン・ケニングの両名が登録される。試合出場可能な一軍登録に入ったということになる。
たった26人しかいない枠の、その内2つを日本では有名だったとはいえ所詮は日本の選手だったと見下している日本人オーナーとそのコネでシングルAの若造が取ったのだ。チーム内に不満が出ないわけがない。
……だがその状況を、まるで歓迎しているかのように玲はにこやかな笑顔を浮かべていた。
『困ったねー、ニック。みんなバチバチだー』
『
『まさかー。チームの雰囲気が悪いなんて、オーナーとして憂慮すべき事態でしょ』
こういう時はこの手に限ると、ニクソンにマスクを被るように言い、ニクソンも黙って従う。
玲は、自分たち以外の24人以外を集める。
誰も彼もが不満を顔に隠さない。そんな態度が玲は面白くて仕方なく、ニクソンは胃が痛くなっている。
『お前ら、勝負しようか。俺とお前らの打席勝負。俺が投げる球に三振したらお前ら全員俺に服従な』
『…………あ?』
『その後投手陣は俺を相手に打席勝負。俺にホームラン打たれたら服従な』
『…………は?』
『万一俺がお前ら誰か一人に負けたらロースターから降りてやるよ。はい準備、駆け足!』
腐ってもオーナー命令。選手たちは渋々と従って行動する。
投手としては三振にしなきゃ負け。打者としてはホームランにしなきゃ負けで、四球になったら仕切り直し。
圧倒的に他の選手たちの方が優位であるために、断る理由がなかったのだ。
……そして玲にとってみれば、これはいつかの焼き直しに過ぎない。
『手慣れてますけどやったことあるんですか?』
『憶えとけニック。野球選手ってヤツはな、三振とホームランかましたら大人しくなるんだよ』
『そりゃ大人しくなるでしょうよ』
打者にとっての三振も投手にとってのホームランも敗北に違いないのだから。
それをポッと出の日本人にされたら敗北感の重さは相当なものになる。
「やるか」
玲はマウンドに立ち、ニクソンもミットを構える。
そして打者がバッターボックスに立てば、既にもう野球だ。
『来やがれ』
『お望み通りに』
投じられたボールは、120km/hほどの気の抜けた棒球がど真ん中。それを見逃してワンストライク。
舐められているのかと憤る間もなく、第二投。
バットは大きく振り遅れる、167km/hの剛速球。
「Huh?」
そして何が起きたのかもわからないままに第三投。130km/hのボールを早く振りすぎて空振り三振。
……いずれもコースは、ど真ん中。
『次』
続くバッターも、球を見極めようとするも全て三振。同じ振り、同じフォームで、全く違う速度の球がやってきてタイミングが掴めない。
『次』
誰も、彼も、バットが空を切る。
バットが掠りもしない。ただただ三振の山が積み上がるばかり。
『次』
三振に倒れた打者が12を超えた時に、ようやく危機感を覚える。
『次』
最後の三人になった時点で、夢と疑う。
『次』
最後の一人が空振って尻もちをつきながら三振に倒れた時には、己の正気を疑った。
『終わり。攻守交替、投手マウンド上がれ』
なんてことのないように玲はマウンドを降り、同じようにミットを構えていたニクソンも立ってベンチに去る。
入れ替わるようにマウンドに立ったのは、ラスベガスストレンジャーズのエース、ロジャー・エリクソン。ローテーションの一番目を務めて、昨季は13勝7敗を記録した。
彼は東郷玲の投球は見事としか言いようがないと評価した。いずれ自分を追い落とすだろう存在になるということも。
だが、そんな投手がバッティングで自分を打ち負かすなどあってはならない。ホームランを打たれれば格下扱いなど、認められるはずもない。
渾身のストレート。アウトローいっぱいの
「余裕」
という幻想を、一振りで叩き壊した。
スタジアムの電光掲示板に直撃、一部を破壊する結果となる。
『次』
一発で、ロジャー・エリクソンはノックアウトされた。力なく膝から崩れ落ちそうになるが、どうにかマウンドから降りていく。
次にマウンドに上がるのは二番手、アルフォンソ・ウィンター。多彩な変化球を得意とする技巧派投手。
絶対の自信を持つ外に逃げるキレるスライダーを投げ込んだが──。
「バットが届いたら意味ねえな」
悠々と、ライトスタンドへと運んで行った。
『次』
この後も残る先発ローテーションを。
『次』
中継ぎ陣も。
『次』
守護神と呼ばれた抑えすらも。
『次……ああ、もういないのか』
投げられた球のその悉くを、飛距離140メートル以上のホームランにして返した。
一人くらいはバットに掠らせたり、フェンスギリギリくらいに距離を抑えられるかと玲は期待したが、どれも叶わなかった。
『集合』
玲の前に整列する24人の選手たち。皆が鼻っ柱が折れた顔をしていて、玲に顔を合わせられずにいる。
桁が違う、モノが違う、どころではなく。ただただ敵わないという絶望。どう打てばいいかわからない、どこを投げればいいかわからない……そういった次元の違いがある。
『俺が何を思ってるか、わかるか?』
『……いえ』
『失望』
端的に、一言で言い切った。
チームがこの程度のレベルであることに、玲はひどく落胆している。
ラスベガスストレンジャーズというチームは、可もなく不可もないというのが野球評論家の説だ。際立った強みもなく、弱点もない。
そう、かつてのニクソンの言葉を借りるならば……。
『ニック』
『はい』
『お前、前言ってたな。自分はパッとしねえって』
『……まあ、はい』
『コイツらの方がよっぽどパっとしてねえよ』
『玲、頼むからお口閉じてください』
『俺の球を捕れる時点でお前は結果出してるんだから気にすんな』
そう言って玲はストレンジャーズの正捕手に流し目を送る。
そういえばお前は捕れなかったよなあ、と言葉に出さずとも言っているようなものだった。
──お陰でシングルAまで足を運ぶ羽目になったが、ニクソンという逸材を見つけられたことは僥倖であった。
しかし、言葉に出さない皮肉に我慢ができなくなったのか、正捕手の彼は申し出た。
『お言葉ですがね!あの程度の球なら俺にだって捕れます!』
『当たり前だろうがそういう風に投げたんだから』
『……は?』
『ニックは構えた所から一切動かしてねえぞ。球種は全部ストレート。コースも全部ど真ん中。変えたのは球速だけだ』
『……え?』
『素人が目をつぶっても捕れる球を、お前らは悉く三振してた訳だが。……だから失望したっつったんだが?』
これが天下のメジャーリーガーの姿かと吐き捨てる。
絶対零度の視線を向けられて、彼らはもう何も言えなかった。何の弁明もしようがなかった。
忘れてはならないのが、彼がオーナーであるという事実。必要がないと判断されれば、平気で放出したりマイナーに落とされる。それだけの強権を振るうことが許されている。
『投手陣、お前らもだ。なんだったらテメェら全員クビにしてぇ』
『なあっ!?』
『ニック』
『はい』
『打席に立て。コイツらぶちのめせ』
『出たよ無茶振り……』
逆らえないから仕方ないとニクソンはベンチからヘルメットを被ってバットを持ってきて打席に立つ。
そしてまた始まる打席勝負。打席に立つのはニクソン・ケニング、ついこないだまでシングルAにいた自称パッとしない選手だ。
そんな選手に……オーナーに媚を売ってアクティブロースターに入ったやつに、打たれるわけがないと再びマウンドに上がったロジャー・エリクソンは怒りを隠さない。
自慢の豪速球を、今度こそ打たれてたまるかとインローに放つ──。
「おお、絶好球」
その言葉通りに、ニクソンのバットは快音を奏でてボールをスタンドに運んだ。
呆然と、マウンドで座り込んでしまったロジャーを含めてボールが飛んでいった方向をじっと見ていた。
『どう思った、ニック。これがお前の憧れたトップチームのエースとやらの球なんだが』
『……マスター
『ほう?』
『散った夢を拾って集めて来て欲しいって』
「HAHAHA!!」
玲、爆笑。だが、目だけは決して笑っていなかった。
そして、打ったニクソンですらも信じられなかった。こんなものなのか、この程度のものなのか、と。
バットを通して感じたものが、あまりにも弱すぎた。手応えのなさに、空振ってしまったのかと錯覚したと思ったくらいだった。
このオフシーズン、マスター引佐と慕った日本の達人キャッチャーに教えを請い、玲より課された文字通り地獄を見る特訓をくぐり抜けてきた。
以前よりも強くなったと自覚はある。徹底して体をいじめ抜いて、かつての自分とは一新したとわかっている。
シングルAの頃の成績をメジャーでも出せるようにと一流になるべく鍛え抜かれた。その内容にいくらなんでも過剰と思ったことは二度三度では済まされなかったが、そういうものだと納得した。
──それに……たった数カ月のことだろう?
『次、お願いします』
そんなはずはないと、そんなわけがないと、次の投手を求めた。
自分が憧れた夢の住人たちは、この程度ではないはずだと信じたいのだ。
たったこの程度の特訓で、覆される差であるはずがないのだ。
『次』
──だがその夢は。
『次!』
──他ならぬ己の手によって。
『次ッ!』
──砕かざるを得なくなっていた。
『次ぃッ!!』
『もう、いねえよ』
玲の焼き直しの如く、ニクソンは残らず全てホームランにした。
飛距離も打球速度も玲には及ばないが、ホームランはホームラン。打率は1.0を記録した。
他の選手にとっての絶望が、二人。
──だが、より深い絶望に沈んでいる者が一人。
『次だって言ってんだよ!拡大ロースターから呼んで来い!もう一周でもいい!マウンドに立てよ!』
ニクソンは叫ぶ。泣く。嘆く。この程度じゃないだろう。こんなものじゃないだろう。憧れた夢の世界の住人は、もっと無敵で最強でかっこいいはずなのだ。
だが現実はこれだ。誰もが、目を伏せ合わせない。誰もマウンドに向かおうとせずに、かっこ悪い姿を晒している。
『返せよ……返せよ俺の夢を!なあ、おい、なんだよこれは!!なんで俺を化物みてえに見てんだよ!お前らが見られるべきだろうが!天才の集まりだろ!怪物の集まりだろここは!!憧れを返せよ!!』
打ったニクソンが泣く。子供のように、泣き腫らす。
理不尽の塊、その正体はただの子供だった。
──自分たちに憧れていた、野球少年だった。
『お前らは一人の野球小僧の夢を壊した。それがどれだけ罪深いか……曲がりなりにもプロを名乗ったことがあるならわかるだろ』
玲が失望、と言った意味がこれにある。
誰も、三振した後にも打たれた後にも、もう一度と言わなかったのだ。たった一度で諦めた。想像もつかない強い選手に挑もうとする気持ちが湧かなかった。
最悪なのが、夢を売るメジャーリーガーが不甲斐なさで夢を壊したこと。MLBは興行で、人気商売だ。
……情けない選手に、ファンがつくわけがない。
『これがプロだ。刻め』
その名前を、その意味を。この先メジャーリーガーの称号を背負い続けるなら、如何なる理不尽に相対してもプロあらんとしろ。
力があろうがなかろうが関係ない。泥臭くても構わない。
だがせめて、カッコつけ続けろ。カッコイイ選手であり続けろ。憧れに足る選手にあり続けろ。
『ニック、俺を恨むか?』
お前をこうしたことを恨むかと玲は聞く。その資格をニクソンは持っている。
だが彼は恨まない。感謝こそすれ、玲を恨む筋合いはない。
『……いえ』
『バットを持て。俺が投げる』
『はいっ!』
…………そこから始まったのは、玲による蹂躙劇。見せなかった数々の変化球や精緻極まるコントロールを駆使し、容赦なく仕留めていく。
けれども打てないニクソンは諦めない。三振に取られても、もう一度を繰り返す。
何度も、何度も。バットは空を切り、ストライクと三振の山を築き続ける。
気持ちの良いくらいのフルスイングは、ニクソンの中にある悪いものを吐き出そうとしている。夢を裏切られた悲しみも、恨みも、嘆きも、涙も、全部ここに捨てていこうとしている。
傍から見ても打てるイメージがまるで湧かない。打席に立っているニクソンは尚の事だ。
……けれどもその姿に、どうしようもなく魅せられた。
絶望に全力で挑み続ける姿を見て、どうしようもなく惚れてしまった。
……そして、今の自分を恥じた。
どうして今、己はあそこに立っていないのかと。
『……気は晴れたか?』
最後の一振りをしたときに、口元は笑みを浮かべていた。
それでもやはり、野球が好きなんだと、この道以外を歩みたくないんだと、再確認ができた。
心に残った蟠りは、すでにない。
『はい』
『これからは、お前がプロだ』
『はい!!』
思いっきりバットを振って、燻ったものが晴れてすっきりした顔つきになった。
夢を貰う側から、与える側になったのだとニクソンに切り替えさせる。
袖で涙を拭って、少年の顔つきからプロ選手の顔へ。
もう誰も、華がない選手など言わせない。
『俺が気に入らないなら、いつでも来い。勝負を受けてやる』
ここにヒエラルキーは成立した。東郷玲を頂点とした、ラスベガスストレンジャーズの新体制が始動する。
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