其は選別する巨人の王なり

 ────その一報は、日本そしてアメリカ全土を大きく揺るがした。

 東郷玲、ラスベガスストレンジャーズの球団オーナーに就任、同時に入団。選手としては来シーズンから参入するという。

 選手兼オーナーという、漫画でしかあり得なかったものに東郷玲が就く。この衝撃は誰もが口を開けたまま呆けてしまうものであった。

 野球選手としての東郷玲を知る者たち……特に、東京ウォーリアーズで共にプレーをしたことのある者らにとっては、強烈な既視感を感じてしまう。

 玲を頂点にした絶対政権を、遠いアメリカの地で立ち上げたと。

 そんなチームが、メジャーという野球の本場の地でどのような爪痕を残していくのか。気にもなり、そして恐怖する。


「なーにやってんだかねー」


 東京ウォーリアーズのプルペン捕手、引佐良はかつての球を受けた男の新聞記事を見てそうぼやいた。

 自分たちとは既に無縁のことのはずなのに、ウォーリアーズ内の空気は落ち着きないものになっている。

 もう昔のことのはずだというのに、東郷玲という畏れられた存在の爪痕は今もなお深く刻まれている。

 ──能力だけを言うのであれば、プロ野球選手としての極点。そしてその能力を十全以上に扱うことのできる才能の持ち主。

 出場するなら必ず勝つ。ならばただ勝つのは許さず、どう勝つかを求めることができる規格外の怪物。

 あのまま特別殿堂入りという処置がなければ、プロ野球というものが終わっていたかもしれない。批判は多かったが、玲自身は黙ってそれを受け入れた。

 ……そうさせてしまったのは、力のない自分たちのせいだと他の選手たちは理解しているのだろうか。プロ野球選手たちの不甲斐なさのせいで、一人の選手を生贄に捧げなければならなかったということを、わかっているのだろうか。

 自身の引退試合の始球式で、そして18人の打者を打ち取った時に、球を受けた引佐良は痛いくらい身に染みた。玲の現役の時以上の球を受けて、ただコイツはここで野球がしたかっただけなんだと理解してしまった。

 ……願わくば、向こうで野球ができる者に出会えることを。対等に競える選手と、出会えることを、切に思う。


引佐イナさん、電話です」

「ん」


 球団スタッフに呼ばれて、誰だと思いながら球場内の固定電話を取った。

 ……まさかの人物からの電話に、度肝を抜かれることとなる。


「もしもし…………は?いやいやいや、お前か!?いや、一体どうした……俺が!?無理無理無理!引退した身だぞ!…………ああ、もう、わかった!あっち行きゃいいんだな!!どうなっても知らねえぞ全く!!」


 ──このシーズンのオフは、激務になることが確定したと彼は頭を抱えることになったのだった。






 九月下旬。ラスベガスストレンジャーズ傘下、シングルAセントルイスバーンズの練習場に東郷玲は足を運んでいた。

 ラフな普段着の格好で顔をサングラスで隠し、目深に野球帽を被って。一応、正体を隠すためと咲から持たされたものだったが意味あるのかと本人は思っている。

 堂々と練習場に踏み入るものだから選手の関係者かと思われていたが、不審に思った選手の一人が声をかけた。


『おい、アンタ誰だ。顔を見せな』

『これでいいか?』


 そう言われて、玲があっさりとサングラスと帽子を外した途端に、声をかけた選手が一気に顔を青ざめた。

 この日本人の顔を知らない訳がなかった。底辺の底辺であるこのシングルAでも知られている超有名人であるからだった。

 このマイナーリーグの雲の上の上、メジャー球団に入団した選手にしてオーナー。今話題の渦中の人間が、目の前にいるのだから。


『東郷玲だ。これ以上は必要か?』

『も、申し訳なかった……』

『いや、いい。押しかけたのは俺だ』


 選手は失礼がなかったか恐々としていた。この男がへそを曲げた時点で、自分の野球人生は終わると言っていい。それだけの強権を彼は振るうことができるのだ。


『……お前、キャッチャーか』

『え、あ、はい!バーンズで正捕手をしてるニクソン・ケニングといいます!』

『悪いが、このチームのキャッチャー経験者、あるいは希望者全員集めてくれないか

。俺の名前出していいから』

『え、は、はい!』


 言われるがままに、キャッチャー希望者を集めるニクソン。そして、最上位組織のオーナーの名前を出すと、チームの全員がキャッチャー希望を出したのだった。

 降ってわいた、いきなりのビッグチャンスに全員が走る。

 オーナーに名前を憶えてもらえれば、一気にメジャーへの道が開けるかもしれない。ポジションはこの際なんだっていい。そんな思いから全員が名乗り出たのだった。


『今から、俺の球を受けてもらう。一球もミットから零さなかったら、その時点でメジャーで俺の女房役をやってもらう』


 玲から出たのは、このシングルAから一気にメジャー昇格になる特急券だった。

 その条件は、投げる球を全て受けきれ。一球でも零した時点でアウト。

 俺が、俺がメジャーにと全員がギラついた目を隠さない。

 マウンドに立つ玲は、野心を隠さない彼らが好きになってきた。


『じゃ、いくぞ』


 一人目が装備を整えて座る。キャッチャーをしたことないのか姿勢が不格好だが、それを気にせず玲は投げた。

 ……から投じられたその球は、ミットで受けきるどころかマスクに直撃し、そのまま意識を刈り取った。


『次』


 それを見た選手たち全員は、固まった。

 スピードガンはなかったが、171km/hと玲は目測で立てた。

 こんな速い球は見たことがない。打つことどころか、捕ることすらままならない球など、どうしようもない。


『次』


 打者直撃コースから急激に曲がって反対打席の打者に直撃しそうな変化球を逃し。


『次』


 ジャンプしなきゃ届かない高さから一気にベースに落ちる球によってファウルカップに直撃し。


『次』


 150km/hオーバーの速度で大きく揺れて変化するナックルボールを、受け止めるどころか避けて逃げる始末。


『次』


 そして剛速球や変化球を投げた全く同一のフォームから投じられる平々凡々な120km/h程度のストレートが、なぜか後逸する。

 誰もが、捕れない。

 球が速い、そう。超絶の変化球、そう。意表を突く絶妙のタイミング、そう。

 ……けれども全部違う。捕れない理由はそんなものではない。

 東郷玲は、選別しているのだ。才能を、格を、意思を。

 己の球を受け取るに相応しい者を、探しているのだ。


『ニクソン・ケニングです、いきます』

「へぇ」


 まがい物を淘汰し切って最後に残ったのは、ニクソン。チームの正捕手なだけあって。姿は堂々としている。

 玲は容赦なく、ストライクゾーンギリギリのインローに170km/hオーバーのストレートを放った。


『ぐっ……!』


 感じたことのないミット越しの衝撃。だが、捕り切った。


『もう一球だ』

『は、はい!』


 次球もまた170km/hストレート……否、回転方向がジャイロ、打者直前で沈む──。


『危ない……!』


 どうにか捕球。たった二球捕っただけで、全身に汗が噴き出ている。


『もう一球』


 超高速ナックル。不規則な軌道を読むのを諦め、体ごと抱え込んで捕る。


『スリーストライク、ワンアウト。もう一球』

『……はい!』


 ……まさか、とニクソンは絶望しかけるが。それでもと、食いつく。

 食いついていくしか、ないのだ。


『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』

『もう一球』『もう一球』『もう一球』『もう一球』


 ────都合、80球。ニクソンに投じられた球数だ。

 剛速球、超変化球、いずれも魔球と称すべき投球の数々で、楽なものなど一球たりともなかった。

 満身創痍、と呼ぶのに相応しい。けれども、玲の全ての投球を捕りきったのだった。


『ニクソン、何が見えた』


 マウンドから、玲が問う。

 キャッチャーをしながら、何が見えたのかを。


『……Fall Classicワールドシリーズ決勝の舞台を』


 ニクソンが見えたのは、この貧相なシングルAの練習場ではない。大観衆と大歓声が包むスタジアムの中で、相手チームの見たこともないような超一流の怪物たちが、玲の投球によって沈められていく光景だった。

 あのクレイグ・ホーンズが可愛く見えてしまう怪物たちを、玲は出せる全部を振り絞ってねじ伏せたのだ。

 ────東郷玲は、今この瞬間、大舞台の中の試合をしていたのだ。


『最後の一球だ。構えろ』


 ピッチャーグローブを外して──投じられた。

 177km/hと目測を立てた投球は、今までで一番いい音を奏でてミットに収まった。


『反則ですよ、それ』


 同一打者に投げる腕を変えるのはルール違反だ。


『知ってる。来い、ニクソン。お前はメジャーリーガーだ』


 玲とニクソンは固い握手を交わす。

 念願のメジャーリーガー。その夢を叶えられたニクソンは、思わず泣きだしそうになる。

 それも、こんな怪物ピッチャーの女房役をやれるのだ。こんな光栄なことはない。


『つっても、来シーズンからだけどな。そのザマで試合に出すなんて無理無理』

『……まぁ、そりゃそうですね』

『つーわけで徹底的に鍛え抜くから。打って走って捕れるスーパーキャッチャーを日本から呼んだからそいつのできることを全部できるようにしろよ。オーナー命令な』

For realマジで?」


 ──ニクソン・ケニングはまだ知らない。

 東郷玲の恋女房とは、どういう意味を持つかということを。



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