黒点

黒点

　武道館を目指すとは度々口に出していても、気持ちはもう追いついていない。

　今の地下アイドルグループに所属して約半年。グループとしては、既に単独公演でも地元の小さな会場なら埋められるくらいには人気を得ている。その中で、私は最年長かつ最低人気メンバーだ。

　若さで勝てないだけならともかく、歌も踊りもイマイチで、トークもパッとしない。年齢を生かしたお姉さんポジションすらも、もう一人いる二十代メンバーに奪われており、ただただ「最年長」なだけの存在でしかない。

　ありがたいことに、私のことを推してくれている人も少なからずいる。しかし、そんな人たちも結局のところは本命は別にいて、私への言動はお情けであるとしか受け取ることができなくなっていた。

　潮時だと認めざるを得なかった。元々は、「可愛い子たちと可愛い衣装を着て、楽しく歌って踊りたい」というなんとも暢気で純情な理由で始めたアイドル活動。自分に人気が無くてもグループそのものにファンがついていればいいと思っていた。しかし、活動を続けていく内に、他のメンバーとの温度差やアイドルとしての能力の違いに気付き、思い描いていた理想は粉々に打ち砕かれてしまった。活動が楽しくないわけではないのに、メンバーと仲違いしているわけではないのに、私は常に孤独を感じていた。

　最近では、就寝前に求人サイトを眺めるのが日課になりつつあった。同年代はもう既に新社会人として歩みだしている、そんな現実に対してのささやかな抵抗のポーズだ。

「続いての曲はなんと……新曲です！」

　真っ赤なワンピース風の新衣装を纏ったメンバーによるサプライズ発表に、ファンたちの歓声が沸き上がる。今日は毎月の定期公演で、いつものようにフロアはほとんど満員だ。

　ライブはまだ前半だけれど、私たちはみな全身汗だくになっていた。眩しい照明、たくさんの機材、ペンライトなどを手に盛り上がるファンの人たち、そして歌い踊る私たち。この空間は熱を生み出すもので溢れている。

　まるで太陽のようだと思う。かつては、私はこの迸るような強大なエネルギーの神秘さにいつも魅了されていた。この中で行うパフォーマンスの時間に大きな幸福を感じていた。しかし、今となっては、その茹だるような熱さは不快なものとしか思えない。不甲斐ない自分に絶えず付き纏う不安や孤独感によって、私の心はひどく苛まれていた。

「これまでで一番激しさのある曲で――」

　メンバーが新曲の説明をする横で、私は滴る汗を腕で拭いながら、アイドルらしい満面の笑顔を作って薄暗いフロアをぼんやりと眺めていた。私たちの立つステージはそれなりに高さがあるので奥にいる観客の顔までよく見通せる。

　色鮮やかに発光するペンライトを振る人、推しメンのグッズを高々と掲げる人、自作のうちわをアピールする人……想いの表現方法は人それぞれだけれど、その熱を帯びた瞳は一様にステージに向けられている。

　そんな中、フロアの端にひっそりと立つ一人の少女と視線がぶつかった。人影に溶け込んでしまいそうなほどに小柄で髪も服も真っ黒なその少女は、離れていてもはっきりと分かるくらいの大きなその瞳で私を真っ直ぐに見つめていた。

　不意に胸が高鳴り、私は思わず目線を逸らす。瞳に満ちた熱が、周囲のファンたちと比べてどこか異質に感じた。

「それでは聞いて下さい。新曲、タイトルは――」

　私はハッとして、定位置につく。同時に、ギターとドラムによる重々しいロック調のイントロが流れる。この新曲は今日の最も重要なパフォーマンスだ。今までのアイドルらしいポップな曲と打って変わってスピード感のあるダンスが特徴で、私は練習で何度も挫折しそうになった。しかし、メンバーの足を引っ張りたくない一心でなんとか形にして今日を迎えたのだ。

　新曲を披露中、私は何度も先程の少女と目が合った。楽曲の激しいサウンドとファンたちの滾るような熱気が満ちた中で、彼女は声を上げることもなく静かに佇み、祈るように胸の前で手を組んで一心に私を見つめていた。視線が交わる度に、彼女のその静かな熱を実感した。

　そんな彼女の視線によって、自分がソロで踊っているかのような、これまで感じたことのない異様な緊張感に私は襲われた。いつも以上に汗が出た。そして、私は何度かダンスをミスした。歌詞も少し間違えた。しかし、彼女の表情は、その内なる感情を秘めたままいつまでも変わらなかった。

　ライブを終えた後、私は打ち上げにも参加せずにそのまま帰宅し、夜更けまで新曲を何度も何度も復習した。それは、メンバーに対しての申し訳無さからではなく、私をずっと見つめていたあの少女の為だった。自室で踊っている間も、彼女のあの熱い視線を私は絶えず想像していた。

　それ以来、彼女は何度も私たちのライブに現れるようになった。そして、いつも同じようにフロアの端で静かに立ち、相変わらず異質な熱を持った瞳で私を見つめ続ける。

　いつからか、私は求人サイトを見なくなった。彼女のように私のことを真に求めている人がいる限り、アイドルを続けてみようと思ったからだ。　

　しかし、私たちがもし大人気アイドルになって、それこそ武道館に立ったとき、そこにいる彼女の存在に私は気付けるだろうか。

　一万人程の熱狂のファンの中でたった一人を見つけ出す、そんなのはやはり無理に近いと思う。けれど、彼女のような存在がもっとたくさんいて、一箇所に集まっていたとしたら。その一帯はきっと、太陽にできる黒点のように、周囲とは異なった色で熱を放つのだろう。そんな光景を、今はまだ夢見ていたい。

　了