第10話 希望の魔法使い



 一人の女が壇上に立った。


「__私たちの未来はつい一週間前に閉ざされました」


 体育館に避難した多くの人々が憂鬱とした表情でうつむいている。それも当然だろう。俺たちは失ったものが多すぎた。


「愛した家族を。仲の良い友人を。生まれ育った家を。大切な思い出の数々を奪われたと思います」


 家族を亡くした。

 友人を亡くした。

 知り合いを亡くした。

 家を亡くした。


 俺たちの未来は突如降りかかる理不尽に奪われた。


 大地震。


 異常極まりない化け物共が大挙として虚空より現れ、何の目的もなくただ殺戮を振りまいた大災厄。


「ここで食料がなくなるまでひっそりと籠り続けていれば、いつか助けが来るかもしれない。警察が、自衛隊が、国が、誰かが私たちを救ってくれるかもしれない。私もつい先日までそう考えていました」


 そうだ。その通りだ。所詮一般人の俺たちにできることなんてない。死んだはずの人間が息を吹き返し、空想の中の生き物が現れ、日本は経験したこともないような大地震に襲われた。


 こんな状況だからこそ、俺たちは助けを待って耐え続けるべきだ。


 どこかでそんな声が聞こえる。女か男か、両方か。


「だけど、そんなのは妄想に過ぎなかった。先日、ここに避難してきた警察の方が居ました」


 俯いていた生存者たちの顔が希望に吸い寄せられるように上がっていく。光に集る虫みたいに、何の意思もなく希望の光に近づこうとする。


「……警察組織のほとんどの人間は赤き鬼に殺害され、どうにか人を使って自衛隊と連絡を取ったものの、彼らも巨大な鳥たちの群れに襲われ壊滅しているそうです」


 空気が固まる。


 希望の光なんてとうの昔に死に絶えた。この崩壊した世界にあるのは、ただの闇。何にも見えない暗闇の未来。


 母親が泣き、赤子が泣き、老人たちがすすり泣く。鬱蒼とした空気が沈澱する。


 ……生徒会長は何が言いたい? 俺たちは死ぬしかないと、そう言いたいのか?


 忌々しげに彼女を睨もうと凝視すれば、あろうことか彼女は不敵な笑みを浮かべていた。まるで何も怖い物はないと、そう告げるかのように、堂々と。


「はっきり言おう。今のままでは、誰の助けも来ることはない。私たちは絶望の中、ただ奪われて死ぬ。君たちは私たちを襲ったあの緑色の小人の習性を知っているか?」


 誰も声をあげない。不満げな顔をしている者も、興味を持っていなかった者も、気付けば皆等しく彼女の話に吸い込まれていた。


 ゴブリンの習性なんて知るかよ。


 生徒会長は悠々と話を続ける。口を踊らせ、生存者に不都合な真実を詳らかに。


「奴らは男は殺し、子供はいたぶり、女は攫って“巣”に持ち帰る」


 生き残った者の中で、特に強い反応を示す者が何人か居る。ある者は歯を食いしばり、またある者は顔を歪め手を握っている。頬から水滴がこぼれ落ち、崩れ落ちるように胸を抑える男も居た。


 きっと、助けられなかったものたちだ。


「怖いだろう。恐ろしいだろう。平和な日本を生きてきた私たちには奴らに抵抗するための暴力を、牙を持たないと、そう悲観しているんじゃないか?」


 何だ? 何を言おうとしている? この女は何を言いたい。


 そんなこと当たり前だろう。暴力を日常としている生物相手に、俺たち人間が勝てるわけない。猫やうさぎにももしかしたら殺される程度の力しか人間は持たないんだ。


 だが、その言い草はまるで____



「先に言っておく。それは間違いだ。奴らは殺せる」



 まるで、俺たちに奴らを殺し得る牙があるみたいじゃないか。



 生徒会長の笑みが深くなる。



「奴らの身体能力は基本的に小学校高学年と同程度だ。生きるために呼吸し、生きるために食い物を漁り、増えるために女を攫う。わかるか?」



 謳うように。



「奴らは理解不能の存在ではない」



 誇るように。



「奴らは対処不能の災害ではない」



 あるいは__



「首を締めれば死ぬ。食い物がなくなれば死ぬ。出血すれば死ぬ。毒を喰らえば死ぬ。頭を打っても死ぬし、成人男性の本気の蹴りならばそれだけで重傷になる」



 嗤うように。



「殺せるんだよ。現に私はゴブリンを何体か撲殺している。他にもゾンビやゴブリンを殺した避難者が居る。ゾンビもゴブリンも、殺せば死ぬんだ」


 笑みを深める。彼女の周りに、得体の知れない力が渦巻いている気がした。体育館全体を包み込む、この圧。


 上に立つ者の、支配者のカリスマ。


「なぁ、もう気付いただろう? 自らの力に気付かぬほど、もう私たちは寝惚けては居られない」


 崩れ落ちていた男が、弾かれたように顔を上げる。娘の名前を呼び、ただ泣いていた老婆がピタリと泣き声を止める。諦めたように座っていたものたちが立ち上がり始める。


「認識を塗り替えろ。災害でも絶望なんかでもない。奴らは殺せる"敵"に過ぎない」


 彼らの顔に共通するものがある。


 諦めか? 悲しみか? 憂鬱か? それとも自身への哀れみか?



「戦え」



 どれも違う。


 彼らの顔に共通するもの。それは____



「怒れ」



 不条理への怒り。それ一色だ。



「殺せ」



 生き残った、生き残ってしまった者たちに熱病のようには蔓延する。



 精神を高揚させる熱。生きる者の熱が、燃え上がる。



 今を生きる者、命ある今を託されたものたちが、再び命の灯火に戦意の風を吹き込み始めた。


 もう止められない。一度始まったものは、そう簡単には終われない。生徒会長は、諦めていたものたちに牙を、それ以上に恐ろしい怒りの種火を与えてしまった。


 小さく、ある男が声を漏らす。


「そう、だ……たたかわないと」


 それを皮切りに、次々の声が上がっていく。


「そうだな。そうだったな。初めから、そうあるべきだった」

「ゆるさない……あのゾンビ共、許さない! 腐った脳みそぶちまけさせてやるっ!」

「私さ。ゴブリンに石を投げたの。そしたら、顔に当たったみたいでうずくまってたんだ……ふ、ふふ。もしかして、女の私にも殺せるのかな。家族の仇を討てるのかな」

「そうだよ、なんで気付かなかったんだ? 奴らも生き物じゃないか。殺せば死ぬ。くそシンプルだったろうが」

「うちの孫を殺してくれたあのゾンビ共はあたしが殺すよ……ったく、年はとりたくないもんだねぇ。あんなガキに立ち上がらせられるなんて。なぁ、聞いてるかい? じいさんよ」

「戦わないと、戦って、戦って、家族を守らないと。被害者面ではもう居られないんだ」


 ゆらゆらと立ち上がる人々。幽鬼のように、怒りの炎で動く亡霊たちだ。



「別れは死者のために」



 生徒会長は手を伸ばす。何かを掴むように、手を。



「それ以上に生者のために」



 ぎゅっと、開いた掌を握り込む。体育館に居た総数300人以上の人間たちが、その動作に釘付けになる。



「私たちは既に託されている。私たちのいまある生は誰かの犠牲で成り立っている」



 彼女の言葉を聞き漏らさないよう、生存者たちが必死に耳を研ぎ澄ませる。あれだけ騒いでいたのが嘘のように、静けさだけがある。



「ならば死んではいけない。生きて、生きて、生きろ。私たちのために死んだ命を、一つも無駄にするわけにはいかない」



 すっと息を吸い込む。



「……だが、立ち上がれないものも、現実を考えてしまう者も居るだろう。警察を滅ぼした赤き鬼に、自衛隊を壊滅させた巨鳥の脅威。どうしようとも抵抗できないと、諦めてしまう者も居るかもしれない」



 再び現実を突きつけられる。だが、そんな言葉で立ち上がった人々が諦めるわけがない。


 そして何より、この僅かな数分間の演説だけで生存者たちは彼女のことを信じていた。


 今言ったことだけで、彼女の話が終わるわけがない。



「____空を飛ぶ巨鳥は光るものを優先的に狙う性質があるらしい」



 壇上から降り、懐からヘアピンを取り出し頭に付ける彼女。


 一体何を?


 誰もがそう思っている。だが、誰も止めない。止められない。


 既に生存者たちを取り巻く環境は彼女に支配されている。



「どんな距離からでも動く光り物を捕捉し、凄まじいスピードで襲いかかってくると、そう聞いた」



 体育館の外へ繋がる扉に手を掛け、そして彼女は思い切り外へ走り出した。


 思わず動揺の声が上がる。老若男女問わず、自分たちを立ち上がらせた希望の存在が失われることを危惧している。


 ここからでもわかる。頭に反射するヘアピンの光が。



 びょぉぉぉぉぉおん!!!!


 

 遠くで、甲高い鳥の声がした。自衛隊を滅ぼした恐ろしき巨鳥の声だろう。


「……おわっ、た……」

 

 誰かがそう、ボソリとこぼした。


 ゴブリンやゾンビとは訳が違う。生物としての格が、そもそも違うのだ。



「立ち上がれない者たちよ! ここに宣言する!」



 両手を広げ、雲の間から差した光の中で笑う。


 空。彼女の後方に迫る影。巨大なその姿と移動するスピードは時速120kmはありそうだ。


 そんなことはどうでもいい! 逃げろ! と、必死に誰もが言葉を投げかける。


 迫る影は、もうすぐそこにあった。


 黒い羽に体長3mはありそうな巨大な肉体。空飛ぶ悪魔が、彼女を狙う。


 頭を抱え、彼女に希望を見出したものたちが今度こそ真の絶望を感じ___



「《衝撃インパクト》」



 ぼぎゅん。



 そして、あろうことか


 どしんと重たいものが落下した振動が足下まで届き、巨鳥の身体が土煙を上げて滑っていく。



「は___?」



 きっと、俺も同じような声を漏らしていたはずだ。なんだ、今の。


 彼女の不敵な笑みは変わらない。傲岸不遜に、絶望を吹き飛ばす。



「私は《衝撃》を司る魔法使い! 赤き鬼、巨鳥の脅威。上等じゃないか! 全部私が退けてやる!」


 曇っていたはずの空が晴れていく。彼女を天が祝福しているように、雲が割れて。


「だから安心して託せ! 戦えぬものたちよ! お前たちが抱えている後悔も怒りも! 全部だ。全部私が持っていってやる!」


 もう、耐えられなかった。


 歓声が爆発する。誰もが彼女の名前を叫び、体育館が膨大な声量に震えた。



「「「「「琴似ッ! 琴似ッ!!!! 琴似ッ!!!!!!」」」」」



「照れるからもういい! やめてくれ! ……そうだ、丁度いい。ここに物資調達班の募集を開始する旨も伝えておく! なりたいものは生徒会室に来るか若しくは生徒会役員に伝えろ! これで私の話は終わりだ。長々と済まなかったな!」


 ふっと微笑み、そして彼女は生徒会室に戻っていった。


 こうして、俺たちは希望の魔法使いを見つけたんだ。



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