第5話 寒い






 ……寒いなぁ。



 もはや悲鳴すら聞こえなくなってきた街。ひっきりなしに鳴いていたサイレンの音も途切れ、終わりがそこらに沈殿している。


 歯形の付いた死体。目がなくなった死体。死体に集る巨大な蝿。何かに溶かされたようにグズグズのなっている死体。


 私の中で恐怖という感情が麻痺してきたような気がする。やっぱりこういう恐ろしさって緩急がないといけない。ま、私の人生なんてさっき終わったと等しいから、別にいいんだけどさ。


 震えているのを後ろに手を組むことで誤魔化す。


 黙々と重たい二つの籠を持って歩き続けるこむぎの兄を盗み見る。


 それにしても不思議な人だ。いつも虐められているって風の噂で知ってたけど、まさかこんなにも変わっている人だとは思わなかった。


 死ぬとわかってて突っ込んだり、ゾンビとは言え人間一人を何の躊躇いもなく殴り殺す異常性。控えめに言ってもサイコパスだ。


 前評判とは随分と異なっている。いつもビクビクして、卑屈に生きていると校内では聞いていたけど。


 到底一方的に虐められるような人間には見えない。何なら虐めてきたやつを殺し返しそうだ。


「あ。ゾンビだ」


 道路の先にゾンビが一体、車にへばりついてガリガリと爪を立てているのが見えた。映画みたいに囓られたり、引っかかれたらウイルスに感染したりするのかな。少しだけ興味がある。


 私の声に反応し、満の目深に伸びた黒髪の間から、光の消えた人間味のない瞳が顔を出す。何かを見ているようで、きっと何も見ていない。


 まるで死人のようだ。私もこんな顔をしているんだろうか。満が口を開き__


「あぁ。わかってる。逆転リバース

「あ    あァ      アァッ__」


 瞬間的に視界が切り替わる。


「へぁ?」


 突然のことで頭の働きが追いつかない。目の前に映ったのは血まみれの車窓。


「ゃめてぇ……死にたくない……! いやぁ……!」



 中からは小さく女性の言葉が聞こえてくる。振り絞るような、悲痛な声。


「え」


 何が起こったのか。頭の理解が追いついた瞬間、言いようもない衝撃が頭の中を支配した。


「はぁぁぁぁぁ!!!??? やっていいことと悪いことがあるでしょうが!」


 あの人の心がない男は、私とゾンビの位置を取り替えたのだ。それも何の事前通達もなく!


 急いで振り返ると、片方の買い物籠でゾンビの頭を殴り潰しているのが見えた。許さん。


「馬鹿やろぉぉぉぉ!」

「うぐっ、何すんだ」

「何すんだじゃないわボケェ! やりたいことはわかったけど事前に何か言わんかい!」


 私が脳裏に走った激情を露にすると、満はわかっているのかわかっていないのか、よくわからない顔で、


 あぁ。次から気を付ける。


 と宣った。何も問題ないと聞こえてきそうな、平然とした声音で。


 ピキィッ。


「ふ、ふぅぅぅん。そっかー、そうだよねぇ。あのこむぎの兄が常識的で! 普通な! 人畜無害な人間であるわけがないよねぇ……私よりやばいとは思わなかった私のミスか~」

「? 何言ってんだ」

「だまらっしゃい! あーもう! まぁいい! 許す! さ、行くよ!」


 車の隣を横切って、私は満を押し出していく。なんなら転んで欲しい。


 満ほどじゃないけど、私もそこそこ人でなしだ。誰が死のうと、誰が生きようとどうでもいい。こむぎが生きていれば助けたのかも知れないけど、ごめんね。


 血まみれの車を省みることなく、私は満と歩き続ける。


 今の私に甘え余裕はない。


「転んだらどうする」

「そのときは支えてあげる」

「原因はかごめなのに?」

「……ナチュラルに下の名前呼びか、陰キャ頭め」

「悪い、柊」

「……いーよ。別に。名前で__」

「いやいい、悪かった柊」

「ぐ、ぐぅ! なんて可愛げのない!」


 私たちはそんな会話を重ねて、こむぎの家まで進んでいった。


 少しだけ、馬鹿な話をして私を襲う寒気が和らいだ気がする。それでもやっぱり、寒いよ。こむぎ。

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