第3話 《逆転》
「……う、そだ……」
目の前に広がる世界に、俺は目眩を覚えていた。頭が沸騰したみたいに、熱い。
むせかえる血の匂い。微かに血に混じって柑橘の香りが、感じ取れる。
ここまで来るのに目にした、数多くの死体たち。苦悶の顔を浮かべて、倒れ伏したそいつら。彼らを見たときなんて比べものにならないほどの大きな衝撃が、俺の頭を襲う。
ぺしゃりと潰れ、原型すら留めていない、それ。
うそ、うそだ。うそにきまってる。あんな、あんなものが、こむぎなわけが___
にたりと嗤う赤き鬼すら目に入らず、俺はよたよたと妹に近づいて__
「あぁァァぁアアぁぁアア!!!!」
どさりと何かに飛びつかれ、そして俺が元々居た場所が爆散する。振り下ろされた拳に、口を歪める鬼。
「っ、馬鹿ぁ! あんたのっ、あんたが! 来て! どうすんの!」
「……あ、ぁぁ、君は……そうか。こむぎが世話になってる」
「そんなの言ってる場合じゃないでしょう!?」
「そう、だな。助けなくちゃな。こむぎ……」
「あぁぁ! もう! ほんっとこむぎのお兄ちゃんとは思えないほど腑抜け___」
倒れた状態から身体を起こし、迫り来る鬼の拳を視認する。歪に空気を鳴らし、俺たちの命を葬り去ろうとする。
「《
俺がその文言を口にした瞬間、俺たちと鬼の立ち位置が入れ替わる。
「っ、は__?」
「GHA?」
鬼と妹の友達の両方から驚きの声があがる。俺もびっくりした。こんな力に目覚めるなんて。
逆転の魔法。俺に許された魔法の力。
「……妹は」
「……見ればわかるでしょ。死んでるよ、完璧に。あーあ、せっかくあの子と会って楽しい毎日が送れてたのになぁ」
「うそだ」
「嘘じゃない。私が__私たちが、間違ったせいであの子が死んだ」
魔法の力なんてどうでもいい。どうせ棚からぼた餅の力だ。
それより、こむぎが、死んだ? そんな、馬鹿な。俺の百倍優秀で、俺の千倍愛されていて、友達も沢山居て、それで__
「《
「GHAHA!」
またしても位置を入れ替え、どうにか破壊の拳から難を逃れる。
足下に広がる肉片。これが、こむぎだって?
「……っは、はは。はははははははははははははは!!!!!!」
「な、なに?」
怯えたようにこちらを見る妹の友達。
「なァ! 冗談だろう!? 何で俺が生きて! こむぎが死んでるッ!? 逆だろうが! 俺が死ぬべきだっただろうがッ! 辛い思いして、必死に何ともないって思い込んで、それで今までこむぎを守ってきたのにッ! ッなんで!」
「GHAHAHAHAHA!!!!!」
面白そうに顔を歪め、軽いパンチを連続で放ってくる鬼。
「__何がおかしい? なぁ、何を嗤ってる? 俺か? 妹の友達か? それとも__こむぎを嗤ってるのか? 《
もう、何も考えられない。ショックと怒りで、もう一杯で。
重力を逆転し、パンチを躱す。パンチの風圧で倉庫の中が揺れ動いた。
「《
「……うっそぉ……あんた本当にこむぎのお兄ちゃん?」
隣で何か言葉が聞こえるが、どうでもいい。
「GHAAAA!!!」
倉庫の床に穴を開け、膨大な脚力で俺たちが立っている倉庫の天井を突き破る。空を舞って愉しそうに嗤う赤鬼。見下し、俺を見詰めて。
「
跳躍した赤鬼は空を飛ぶ巨大な鳥のような生き物に掴まれ、連れ去られようとしている。
「……逃がすかァッ!!!
「もう! 馬鹿ぁ! 何が逃がすかだよ! 逃げるのは私たち!」
身体をつかまれ魔法の発動を止められる。
「何で止める!? こむぎを殺したクソ野郎が生きてるんだぞ!? 殺さなきゃ嘘だろうが! そんなの!」
「馬鹿ッ! それであんたが死んで、それでこむぎが喜ぶと思ってるわけ!? 絶対そんなことない! 今行けば8割方あんたは死ぬ!」
「お前にこむぎの何が__」
「逆に聞く。あんたにこむぎの何がわかんの?」
頭に血が上って仕方なかった。そのはずなのに、妹の友達の浅黄色の瞳から目が離せない。真剣に、俺を真っ直ぐに見詰める。
冷や水を掛けられた気分だった。何がわかるって? 何もわかんねぇよ。優秀な妹と、無能な兄。俺が出来て妹に出来ないことはなく、妹が出来て俺に出来ないことは沢山あった。
血が繋がってるだけの他人って表現が正しいと、ずっと心の底で思っている。
「っ……はぁぁぁ……わかった。でもあいつはすぐここに来るぞ」
「すぐって言ってもあと5分はある」
「何でそんなことがわかる」
「あんたのそれと、多分同じ。……今のうちに、逃げるよ」
「……集めても、いいか」
「私も、する」
天井から下りる。
胴体と散らばった肉片を集めて、それで、倉庫裏の木の下に置いておく。こむぎを集めているとき、会話はなかった。
死んだような顔をして、弔うことも許されず。
ああ、なんて腐った世界だ。今までもクソだが、これからもクソであることは確定してるらしい。
腐った世界に風が吹く。人々の悲鳴に、サイレンの音がうるさい。空を見上げれば、よく分からない何かがふよふよと飛んでいる。
改めて妹の友達を見ると、怪我をしているようだった。頭から血が流れていて、呼吸が浅い。きっとどこかを痛めてるんだろう。
「行くよ」
「どこに」
「さあね。あんなことが世界中で起こっているとしたら世界も終わりかもしれないし……でも、何となくスーパーに行った方がいい気がする」
「そうか……名前は?」
「私? え、嘘。私あんなにこむぎと仲良いのに知らないの?」
「うん」
「そ、そう……柊かごめ。これが私の名前」
そう言い、彼女は濁った瞳をこちらに向ける。光を失った虚ろな瞳のこむぎと手を繋いで、じっと。秋の紅葉の髪色に、浅黄色の瞳だ。
「藍田
そんな酷い顔をした彼女よりも、俺の顔はもっと酷い顔をしていることだろう。
「そ。まぁ知ってるけど」
「そうか。じゃ、気を付けて帰れよ」
踵を返し、体育館の倉庫に戻る。あいにく俺は物わかりが良い方じゃない。こむぎは俺の生きる希望で、理由だった。
希望が絶たれた今、俺が生きる意味はない。
別れは死者のために。それ以上に生者のために。
どこかで聞き齧った言葉だが……良い言葉だ。反吐が出るほど、本当に。
薄く己を嗤い、破壊された倉庫内部に足を踏み出そうと
「はいダメ。あんたは私が殺させない」
襟を掴まれ、止められた。
「離してくれ」
「あの子の大好きなお兄ちゃんを死なせるわけにはいかない。それに……いや、何でもない。そういうわけだから、一緒に居てもらう」
「は?」
「異論も反論も要らないから。じゃ、行くよ~」
ずるずると引き摺られ、気付けば破壊されている校舎を囲む塀を通り過ぎる。
なんて押しつけがましい女だ。
「……柊の好きに生きればいい。その代わり俺も好きに生きて、好きに死ぬ」
「うるさい。私は今好きに生きてる。あんたを生かすってあの子が死んだとわかった瞬間に、もう決めた」
なんて面倒くさい女だ。
どれだけ俺が生き延びようと、あの世のこむぎに届くことはない。
こむぎが死んだ時点で俺の人生は俺だけのものになってしまった。鬼を殺せれば、それでいい。
いいや、違うか。
殺せても、殺せなくても、結局どっちでも変わらない。あの子が死んでしまったからな。だから、どっちも同じなら俺は満足できる方を選ぶだけだ。
そう伝えるとジト目で見られた。
意味がわからない。
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