花摘

 そんなに寒いわけでもないし、水分補給もしてない。


 けど、出るものは出る。


 今、小さい方、出そう。


 意識したら一気にきた。足踏み、モジモジ、脂汗、貴族っぽくないけどそんなこと言ってる場合じゃない。


「それじゃあスミルナ、次どうしよっか?」


 いくら可愛くても自然の摂理に勝てない私に笑顔で話しかけてくるプロアナ、他人なら恥ずかしくて言えないことだけど、友達だからストレートに言える。


「ちょっと、寄ってってもいいかな?」


「ん? どこへ?」


「ちょっと、おピーートイレに」


 飛び出た声じゃない音に、思わず口を手で覆う。


 これまでちょくちょく聞こえてきたよくわからない音、それが私の口から飛び出してきた。


 舌触りから気のせいじゃないし、プロアナや周囲から集まる可愛いに向けるのとは別の視線から、私だけの空耳じゃないみたい。


 それで思い出すのは、ゲームの仕様だった。


 ……他のプレイヤーと一緒に遊べるオールランド・アドベンチャーには当然ながらチャット機能も内蔵されていた。


 キャラ同士の会話の再現から手紙のやり取り、看板などにメッセージを残したり、なんなら名前だってそういう使い方もできる。


 なんならキャラの名前以外にもアイテムやオリジナルにスキルや魔法などなど、名前をつける機会も多い。


 そしてそれら全てにNGワードが設定されてあった。


 差別や侮辱のスラング、犯罪やテロを想起させる単語、そして全年齢で遊べるように卑猥な言葉は全部禁止、例え書き込んでも入力を受け付けないようになっていた。


 それが、この異音なんだろう。


 ここはあくまでオールランド・アドベンチャーの世界、種族や魔法が現実なら、そういった細かな機能もまた現実なんだろう。


 一人で繋がり納得してる間に流れる変な沈黙、変な空気、変えようと咄嗟に言葉を探す。


 トイレの言い換え、NGにならなさそうな、貴族っぽい感じのやつ、ある。


「えっと、ちょっとお花摘みにー行ってみようかなーなんて」


 おっかなびっくり口に出すと言葉は言葉として出てきた。


 これにプロアナ、あぁと納得の表情、よかった通じてる。


「それだったらあっちにあったよ。連れっててあげる」


「うん。ありがとう」


「いえいえ」


 いい感じで案内してくれるプロアナ、横から見てたから気が付かなかったけれど、こうして後ろから見ると、その歩き方も綺麗だった。


 頭の位置が変わらず滑るように、着実に一歩一歩を踏みしてめているけど決して急がない。運動しているのに美しい姿勢、全身から溢れる自信と余裕、きっとこれが貴族というか、高貴な人たちの歩き方なんだろう。


 だったら私もと真似してみる。


 背筋を正し、胸を張り、一歩一歩を確実に、実際やってみるとこれはこれでキツい。それを自然に振る舞えるようにするのが、貴族としての教養ということなんだろう。


 ……歩き方変えたからか、より限界が早まった気がする。


「ついたよほら」


 やってたら到着、プロアナが両手を広げてジャーンと見せてくれたのは校舎の裏側、色とりどりに咲き乱れるお花畑だった。


 わかんない。


「なんか建物建てる予定地みたい。世話してる人もいないみたいだし、ちょっとぐらいなら大丈夫でしょ」


 明るく言われてる私は走馬灯の中で答えを探す。


 ……ゲームでは、確かお花はアイテムだった。


 用途は様々、日本と同じように飾ったり贈ったりできるし、染料や薬の材料になるものもある。だから種類によっては見かけ次第刈り取ったり、あるいは集めてくるクエストがあったりする。


 だからお花摘みはお花摘みなのだ。


 違うそうじゃない。


 限界近い股の間に力を込めながら更に深く、必死に探す。


 ここに来てからの光景、これまでプレイしてきた経験、ネットとか本とかで仕入れた知識、その他全部、思い出し、思い返して、けれどどこにも、この世界には『トイレ』という設備がなかった。


 そもそもそんな、トイレを使用するとか、出すという行為自体がゲームにない。


 戦闘とか出血とか死亡とか、そういったシリアスなものは存在しているけれど、卑猥の一環なのか、その行為も、関連施設も、連想させるものも、トイレットペーパーすら存在なかった。


 そしてその環境の中、プレイヤーもNPCもモンスターも生活していて不便がない。


 つまりこの世界にトイレは、トイレを使うという概念が、ない。


 一番のカルチャーショック、これが、この世界の現実、なんだろう。


 異世界転生から始まって、魔法があったりエルフがいたりピー音があったりする常識を超えた状況中で、そういった概念や現象自体が存在してなくても不思議でもないんだろう。


 トイレのない世界、出す必要のない体、異世界はファンタジーに溢れてる。


 けど、私は異世界でもファンタジーでもなかった。


 異世界転生の弊害か、トイレがあろうとなかろうと、血の気が引いても出るものは出る。


 それも、もうすぐ、限界、漏れる。


 身震い、脂汗、漏らしたら、貴族とか可愛いとか以前に人として終わってしまう。それも、よりにもよって、せっかくできた友達の前で、醜態、そんなのは嫌だ。


「あーーでも、今日はやめといた方がいいかな」


 私の心中察してくれた、わけでもなさそうにプロアナ、呟く。


「これから歓迎会でしょ? だったらその前に寮に行かない? 荷物も置きたいし、それにここまで船旅だったし、流石にシャワー、浴びたいでしょ?」


 聖女がいた。

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