第35話 人外採石場跡

 おじいちゃんは腰が曲がって杖をお手になさっていましたが、もともとは長身で、長い顎髭から垣間見るお顔の輪郭から察するに、お若いころはさぞや美麗だったことでしょう。


「長い道中であったのにも関わらず、ここまで無事に来られましたのは、〝大いなる御方々〟のご加護があったのに違いありません」長老様以下集落の皆様を刺激しないように私は、顔色を伺いながら、「我々は建築家で、インクアノクの都城と周辺集落の建築様式を調査しています。それから国中の縞瑪瑙の品質を調査もしています。このあたりにも、縞瑪瑙鉱山があるという噂を聞き、こちらへまかり越しました次第です。長老様、ぜひ見学させては戴けないでしょうか?」


「残念ながらここの鉱山は酷い崩落事故があって、復旧まで数か月はかかる。坑道の途中から先へは進めなんだ」

「じゃあ中で働いていた皆さんは?」

「鉱夫は全滅した」

「鉱夫には都城の一般労務者のほかに、奴隷も混じっていましたか?」

「いたよ。一般労働者は百人、奴隷は二十人ばかりいた」


 私はポシェットから大鳥様と内東様の写真を取り出して、

「この二人をお見かけしませんでしたか?」

「よく描けている絵じゃ。さぞかし高名な絵師によるものかのお。――確かに、奴隷どもの中に、そんな感じの男が二人、混じっておったわい」


 私は瞬間、全身の血の気が、さーっと引いて行くのを感じました。

 横にいた寧音さんが、

「姫先生、大丈夫?」


「問題ありません」無理に笑顔をつくって見せてから私は監督さんに、「この先にも鉱山はございませんか?」

「さらに北へ向かうとレン高原になる。鉱山はそこにもあるが、そこにおるのは人外種族じゃ」


 ――人外種族!――


 当然そこはインクアノクの領域外に違いありません。

 身の毛もよだつ思いを隠しつつ私は、監督さんにお礼を言い、寧音さんに続いてヤックルに乗りました。

 吉田先生はガサツなようで、実はお気遣いなさる方です。私が乗るのを確認なさると、ご自分もまたヤックルにまたがり私達を先導して、レン高原へと続く悪路を行ったのです。


     *


 大地を深く穿ったような谷底というと、地学教科書イラストに描かれていたグランドキャニオンを彷彿とさせるものがあります。


 その昔、秦の帝都・長安を占領した劉邦が、実力が上回っていた項羽の横槍によって、約束されていた彼の地一帯の封土を反故にされ、代わりに痩せた辺地の漢中を与えられました。都落ちの途中、なおも劉邦を警戒する項羽を油断させるため、断崖絶壁を穿った杭列に板を敷いた桟道〝褒斜道ほうしゃどう〟を焼き落としたと言われています。


 そのような桟道があるだけでもありがたいものです。私達が今、歩いているのは桟橋の代わりに、ヤックル一頭がどうにか通れる犬走のような細道です。そして細道はしだいに四十五度にもなりましょう急斜面になったためやむなく、私達はヤックルを降りたのでした。


 私達がゆく黒ずんだ岩肌の深淵な渓谷で頭上を見上げれば、切り立った崖で、灰色の空が筋状になって望めました。

 〝肩〟は、山腹と山の頂上の間にある小峰のことをいいますが、――目の前に続く道の高いところが、今度こそ〝肩〟じゃなくて、〝峰〟でありますように――と何度も思ったものです。

 ときどき頭上から落石があったり、ヤックルが脚を滑らせて谷底に落ちそうになったりして心が折れかけたとき、意表を突くように、峠の頂きにたどり着いていたのでした。


 吉田先生がくわえていた煙草を落として、

「これは自然にできたものじゃない。けれども人工のものでもない。――巨大な知的生物が鉱石を採掘した痕――露天掘り鉱山だ!」

「兼好、なんか、吐きそう……」

寧音ねねさん、今、回復の術式を唱えますわね」

「早く、お願い……」


 ――瘴気しょうきが濃くなってくる。やはりここは人外の領域なんだ。


 私達の足元には縞瑪瑙しまめのうの鉱山遺跡が望めます。擂鉢すりばちのような地形ですがよく見ると、急斜面の側壁は平場と絶壁からなる階段状になっているのが判りました。目測ですが、平場の幅が十メートルほどであるのに対し、絶壁の高さときたら百メートル近くはあったかと記憶しています。


 ただならぬ光景、そして瘴気で錯乱したのでしょうか、私達の手綱を振り払った二頭のヤックルが峠の下り坂を駆けだして行きます。


「あらたいへん、捕まえませんと――」


 私に続いて、寧音さんと吉田先生が、採石場の縁に沿った細道を駆け下りました。そのあたりに来るともはや、修験者達がつかうような険道になっています。〝擂鉢の縁〟から北にそれた下り坂は道というよりもはや鉛直な崖で、そこにあるわずかな足場を山羊のようにピョンピョン、駆け下りて行った次第で、――幻夢境転移における修行の賜物というところでしょうか。


 夜のとばりが迫ってまいりましたためか、怒気を帯び、手を振りかざした人食い鬼に見える尾根の向こう側で微かに、ヤックルの悲鳴が聞こえた刹那、馬に似た頭で、象よりも大きな胴体をして、背には蝙蝠のような翼のついた生き物が多数、姿を現したのです。


 またまた吉田先生がくわえ煙草を落として、

「もしかして、これが噂のシャンタク鳥ってやつか?」ドラゴンとワイバーンにはともに蝙蝠こうもりのような翼がありますが、ドラゴンの場合は四本脚で、ワイバーンの場合は二本脚だという違いがあります。「――つまるところはワイバーンじゃないか!」

 

「私、食べられるのやだーっ!」


 寧々さんは軽くパニックになっていましたが、まあ、仕方ないでしょう。そんな寧音さんのポシェットからイタチ系の式神〝管狐くだぎつね〟さんが跳び出して、戦いの踊り〝ウォーダンス〟を始めましたが、蟷螂とうろうの鎌のようなもので、威嚇にすらなっていません。


 私達は、数十頭からなるシャンタク鳥に囲まれていたわけですが、意外にも襲い掛かったりはいたしませんでした。――というのも、シャンタク鳥のうちの一羽に、ターバンを被ったドワーフ族系の商人が乗っていて、それらを制止していたからです。――そういえばこの方、ウルタールや、バハルナ、セレファイスといった交易都市で見かけたことがある。


「もしかして貴男、(※ストーカーともいう)でしょうか?」

「ふふふ、お戯れを……。初見ですよ」ドワーフ商人は笑って、「うちのシャンタク鳥は皆いい子なのですが、五羽の若鳥組を入れたところ、貴女様方のヤックルを食らってしまったのです。――お詫びといってはなんですが、弁償いたしますとともに、目的地へお送りいたしましょう」


 私の背に隠れた寧音さんが、

「わーっ、胡散臭いおっさんだあ」

「仮にあの人が僕らの敵だとして、ヤックルを失った僕達は、ここでまごついているよりも、――勝てるかどうかは別として――罠に乗ったほうが手っ取り早く、ラスボスに会えるかもね」

「その賭け、乗りましたわ!」


 そういうわけで私達三人は怪しげなドワーフ商人のシャンタク鳥達の背中にそれぞれ乗った次第です。――このシャンタク鳥というのは体表が、羽毛の代わりに鱗で覆われておりまして滑りやすく皆、振り落とされないように、優雅ならざる格好でしがみついたのでした。

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