第36話 無窓の修道院

 先代聖女である母・千石瞳から伝え聞くところによりますと、蕃神ほしがみのうち、旧神ノーデンスに敗れた魔皇アザートス以下旧支配者達は、かろうじて逃亡に成功したナイアルラホテップ神を除いて、知性を奪われ、宇宙各地の星々に封印されているのだそうです。よく聞く邪神〝クトゥルフ〟とは魔皇子達のうちの一柱を指す場合と、旧支配者全体を指す場合がある。シャンタク鳥は旧支配者クトゥルフの奉仕種族であるため、背中に乗った者が油断していると、主人の元に連れて行かれ、彼ら邪神達を見た途端、発狂するといいます。


 太古のレリーフが刻まれている北方連山を尻目に、シャンタク鳥ことワイバーン二十羽の群れが上昇気流に乗って、凍てつく灰色山脈の尾根を越えるや今度は低空飛行を始めました。


「岩石には堆積岩と火成岩とがあり、そのうち火成岩には火山岩と深成岩とかあってさらに、深成岩のうち白っぽいもの、灰色のもの、黒っぽいもので分類すると、花崗岩かこうがん閃緑岩せんりょくがん斑糲岩はんれいがんとなります」ドレスが制服の女高師(※女子高等師範学校)に私が在学していたころ、授業で先生がそう仰っていました。そして、「このうち花崗岩は私達がよく目にするもので、墓石や洋風建築の石材に用いられています」のだとか。


 隣のシャンタク鳥に乗っている寧音さんが、

「ここ、くっさーい!」


 知性を奪われた旧支配者クトゥルフは、やはり知性を奪われた数多あまたの取り巻き・眷属神を侍らせているのですが、眷属神達は主人を囲んで、でたらめな旋律で横笛を吹き鳴らして延々と回り続けているといいます。


 まばらに草木が生える白っぽい岩場の土地――そここそがインクアノクの居酒屋にいた鉱夫をして悪名高い〝レン高原〟でした。岩盤をくり抜いた家というか、巣穴から、背びれの生えた二足歩行の軟体動物〝亜人〟が、肩を左右に振りながら這いだし、ゆらゆらと広場に集まりだすと焚火を囲い、でたらめで不快な笛を鳴らし、かの〝クトゥルフ神話〟さながらに、舞いだしたのでした。レン人達はつま先が蹄のようになっていて、ピョンピョン跳ねていました。


 ――寧音さんじゃないけれど、くさいというか本当に、なんという瘴気なのだろう。私達を先導するシャンタク鳥とその主人たるドワーフ商人でさえ、おどおどしている。あの動きには見覚えがあります。そうだ、月面獣ムーンビーストの奴隷達、ダイラスリーン、バハルナ、セレファイスにやってくる奴隷船〝黒いガレー船〟の商人と漕ぎ手なんだ!


 シャンタク鳥は三十羽おり、先導役のドワーフ商人、吉田先生、寧音さん、そして私・千石片帆は、群れの中でもっともよく馴らされた四羽に分乗しております。この群れは、亜人達の集落が散在するレン高原を北に飛び、そこからさらにどんどん高度を上げていきます。空気は薄くなるし、雪がちらついて凍てつくしで大変です。そして飛ぶ鳥の背中で一昼夜を明かす羽目になりました。夜明けになってたどり着いたところは、高さ五メートルほどの立石メンヒルに囲まれた岩屋でした。

 その岩屋というのは、横幅が十メートル、奥行き二十メートル、高さ十メートルといったところでしょうか。大きな板状の割り石を組だ造りで、窓というものがなく、ぽっかりと入口だけが開いているだけです。


     *


 シャンタク鳥の群れは墓室の屋根で羽を休めており、その墓室の開口部に商人が入って行きます。


 その背を見送った吉田先生が小声で寧音さんに、

「こいつは〝ドルメン〟だね」

「ドルメンって?」

「新石器時代の古墳石室だよ。土を盛った墳丘が風化して剥き出しになったヤツで、世界中にある。ここのはフランスにあるタイプの横穴式石室だな。――それだけ古いってことさ」それから吉田先生は私の方を向いて、「この建造物の構造はレン高原の亜人集落とはまったく違う発想から来ている。まごうことなき我々人類〝サピエンス族〟のもの。――〝おひい先生〟これは仮説なんですが、レン高原って、レン人じゃなくて、もともとは我々人類の生存圏だったんじゃないですかね?」

「つまり吉田先生、新石器時代まではこの高原に、ノーデンスの奉仕種族たるサピエンスの王国があった。けれどそこを邪神の奉仕種族が襲い、取って代わったということでしょうか?」


 そこへ先ほど、〝修道院〟内部に入ったドワーフ商人がまた出て来ると、揉み手して私達の前に立ち、

「えっへっへっ、ここはレン高原の外れにある修道院でしてね、途中休憩します。そうだ、せっかくだから、ここの修道院長に皆さんをご紹介いたしましょう」


 商人の後に続いて私達も内部に入ります。

 カンテラの手をとった吉田先生が振り向いて、寧音さんの手を取る私に目配せしました。


 墓室の天井や側壁には線刻画が施されてあり、先ほどの吉田先生の仮説を裏付けるように、イソギンチャクのような顔面の月面獣人〝ムーンビースト〟や、奴隷種族のレン人がガレー船に乗ってきて、サピエンス族と交戦している様が描かれていました。――レン人によって修道院に転用された墓室はおそらく、レン人に抵抗して討ち死にしたサピエンス族王侯貴族を埋葬したところなのでしょう。


 中央の床面には彩色された六つの石の祭壇が環状に配列され、真ん中には魔法陣の線刻がありました。私達がさらに奥へ進むと突き当りに、五段からなる階段の上に台座の上に、禍々しい人物が座っているではないですか。


 祭壇のある奥壁に立っていたフードを被っているたった一人の修道士、レン人の修道院長が、術式のようなものを唱えだしますと、足元の床面に施された魔法陣の線刻が赤い閃光を放ちます。


「やだやだやだ。息が詰まる。私、ここ、駄目だ――」


 寧音さんのポシェットから管狐さんが跳び出して、またウォーダンスを始めています。


 吉田先生が、

「おい、寧音ちゃん、しっかりしろ!」


 ―― 全方位ビーム ――


 レン人修道士とドワーフ商人に、寧音さんが十本の指を向けると、それらが発光して、二人の身体を〝蜂の巣〟状のあなを穿ちました。私は前面に、通力による障壁を張って、吉田先生と私自身を守りました。


 二人が前屈みに倒れると、邪悪な瘴気が薄らいでゆきます。

 ところが、「ああ危なかった」と安堵するのも束の間、私達は、見知らぬ場所に転送させられていました。


     *


 そこは灰色の深成岩・閃緑岩を穿った横坑で、納骨堂を思わせる腐臭がしていました。カンテラ手にした吉田先生に続き、寧音さんと私が続き、少なくとも一キロは歩いたと思います。坑道は突如として終わり、視界の先に大きな狛犬のような彫像と、さらに奥に、大神とおぼしき髭の男性立像がある広場へと出たのです。

 さらに奥には神殿に至る大路があり、沿道には樹木や蔓草つるくさに覆われた石像建造物群が佇んでいます。

 私の脳裏で浮かんだのは、インクアノクの居酒屋にいた鉱夫さん達の噂話しでした。


 ―― サルコマンド ――


 かつて北の大陸沖にあった島で、邪悪な種族によって国土を奪われたサピエンス族の古代王朝・王都です。

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