第32話 風立ちぬ

「貴女のパーソナル・カラーは青だから、素敵なドレスをセレファイスのブティックで特注したの。プレゼントするわ」


 母は私ドレスに合わせた帽子とか靴とかも用意していたので、それに着替えます。


 結婚ではふつう、どんなお相手でも、それなりに幸せになるといい。仮に駄目でも次を見つければいいとも言われています。あるいは結婚=幸福とは限らない。――結婚したことのない私にはどの言葉もピンときません。


 私は、広大な庭園の蓮池にかけられた橋から中ノ島に渡りました。島の真ん中には奥へと通じる道、両側には、とんがり帽子のランベンダーの花にも似たトリカブトの花の群生が広がっておりました。


 隣に寄り添って歩くのは婚約者候補……、いえ、婚約者の大鳥様は、私よりも一回り年長です。

「あのお、大鳥様、私との結婚ですが、ヴィジョンとかございますか?」

「そうだね。幸福へのロードマップか。幸福の定義はいろいろだけど、ふつうに貴女を幸せにしたいな」


 中ノ島からまた橋を渡ると、池の北端に張り出した半島のようになっていて、東屋が佇んでいます。そこには、東屋にはテーブルと椅子があったので、私達はそこに腰かけます。


 白いジャケットを羽織った大鳥さんが、指をパチンと鳴らす。すると控えていたメイドさんが、ビスケットと、紅茶カップを並べ、お手にしたポットのお紅茶を注いでお給仕を始めます。


 長身細身で色白の貴公子と、お天気や庭園の美しさを語り合い、二杯目の紅茶をお願いする。


 ――まあ、大鳥様ったら。


 カップを置いた私の手に、その人と手を伸ばしてきて絡める。

 視線が重なる。どくん、どくん……。私は頬がほてってくるのを感じました。

 鼓動が高鳴ってゆきます。


 ところが――

 テーブル越しで私の手に手を絡めてきた大鳥様が、意外なことを口になさいました。


「片帆さん、僕はこのゲームを降りるとするよ」白鳥さんが続けます。「僕はさ、クロエにとっての騎士でありたかったのさ。ちょっと頼りないけど愛おしい僕の妻、魔界の貴婦人になって貰いたかったんだ。それがどうだ。今や君は、僕の助けなど必要としないと思うんだ。――ほんとうに、ごめん、」


 ――なんて残酷な人なんだ。


 突然のお言葉にパニックを起こした私は涙が出てきました。

 大鳥様は、私の手をとり口づけし、それからかつて鹿鳴館で催されていたというダンスパーティーで行われていたという恭しい、宮廷流のお辞儀をなさって後ずさって行かれました。だんだんお姿が霞んでゆかれる……。私の腕には赤い薔薇の花束だけが残されていました。


     *


 ――夢でよかった――


 母のいる船長室で夜を明かした私は半身を起こしました。


「悪い夢をみたのね」


 入り江に停泊する交易船団旗艦のガレオン船、その船縁で私は母と二人きりになり、

「私の職場・岐門くなと女子中学校で、担当している英語授業があります。せっかく母さんにお会いできましたのに、また岐門町に帰えらなくてはなりません」

「それは残念。――ときに、寧音ねねちゃんは二年生に進級したのよね。どう、次期聖女様は今回の冒険で成長した?」

「目覚ましいもので、全方位ビームとか通力では、私なんか、もう抜かれていますよ」


 すると母はふっと笑って、

「貴女ってトリカブトみたいな人だわ」

「やだわ、母さんったら、――トリカブトって猛毒のお花でしょう?」


 盛夏に咲く花は意外と少なく、陽射しが柔らかくなった中秋に、多く咲くもの。母の実家・岐門伯爵邸の置かれた北海道の中秋は駆け足で、すぐに冬がやってくる気配を感じます。

 トリカブトは盛夏から中秋にかけて咲く花で、確かにアイヌ族が熊狩りの矢に塗る毒として知られているのですが、中世の騎士の兜を彷彿とさせ形で、気品ある鮮やかな青であり、騎士道、栄光、復讐、厭世的といった花言葉を紡いでいます。


「片帆、聖女ってね、便利な妖怪退治屋じゃないんだ。――もっと重要な役割がある……」

「重要な役割って?」

「聖女は〝事変〟に備えるために存在する。――私もそうだった」


 海賊服にポニーテール姿の母は私を抱きしめ、そう言いました。

 関東大震災で行方不明になって以来、幻夢境で交易商をしている先代聖女が担った役割とはいったい何なのでしょう。


 吉田先生と寧音ねねさん、大鳥様、それから夕子叔母様以下岐門屍鬼衆くなと・しきしゅうの皆さんが甲板デッキ後方で待っておりましたので、母との別れを終えた私は、そちらに身体を向けました。


 甲板からキャビンに入る壁の扉に、吉田先生が〝銀の鍵〟を差し込みます。吉田先生ご自身に続いて、今世から来た皆さんにと、最後に残った私も中に入ります。――扉の向こうはキャビンの士官室ではなく、木造二階の洋風建築の岐門伯爵邸・エントランスでした。そこの吹き抜けになった大広間から二階にあがる階段の上がり口・壁に、トリカブトのドライフラワーが飾られているのが目に入りました。


 吉田先生と寧音さん、そして私の三人がおじい様に、リビングテーブルを挟んだお客様方の向かい側に座るよう言われましたので、そういたします。

 私達をお出迎えして下さったおじい様ですが、内務省神社局と文部省宗教局、陸海軍部の担当官の皆様がいらして、早速、異世界〝幻夢境〟に至る大洞窟〝ズィン〟の綻びや、寧音さんの成長について吉田先生とご説明をいたしました。


「もっと詳しく知りたい。――岐門校長、どうでしょう、生徒達には申し訳ないが、吉田先生、千石先生のお二人の授業を自習にしてもらって、明日中にでも報告書をまとめてもらいたい」担当官の方々が、そうおっしゃって退室する際、「千石先生、婚約者の大鳥署長の件は残念でしたね。まさか趣味の登山で命を落とすとは――。大峰連峰だったかな……」


 吉田先生と寧音さんが、ソファの後ろと私を交互に見遣っています。


「そ、そんな……、先ほどまで、大鳥様と行動を共にしておりましたのに……」

 

 特定の場所や物に関わった人の想いがそこに残存する現象を、残留思念といいます。――大鳥様は今回の冒険で私を助け、そして想いを伝えると、幽世かくりよへと旅立たれたのでしょうか?


「第Ⅳ章 七十七階層大洞窟〝ズィン〟」了

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