第22話 衝撃石の秘密

 ――物部寧音もののべ・ねねの視点――


 九月の終わりのことだ。

 町屋の喧噪を抜け、市電の轟音に揺れる橋桁をくぐり抜けたとき、ふと空を見上げた。

 札幌と違い、さして大きくもない岐門町の空は、広く見える。下校時の夕暮れ、雲がかった東の空に目をやる。すると浮かぶ満月のシルエットが浮かんでいた。


 それから有珠山のある北側へ目をやると、山頂にはうっすらと雪が被っている

 私の家である物部神社社務所は、市街地から五キロほど北に離れていて、馬で通わざるを得ない。

 町屋を抜けると工場があり、そこから先は男爵の芋畑と桑畑、そして牧場が広がっている。神社までは、だだっ広い田園地帯のただ中にある一本道を行くことになる。


 いつもならばおひい先生か、兼好と一緒なのだが、その日に限っては一人だった。

 遠くから遠吠えがしている。


 ――どこかの犬? 一頭ではなく群れをなしている。 なに?


 私は怖くなって、駒を走らせた。

 期を同じくして頭上を横切る暗雲から、雨が降ってきた。アーチ状に街道に覆いかぶさった松枝を抜け、道祖神祠堂の前を通り抜ける。


 ――なんなの、鳥居の後ろにいくつもある双眸は? いけない。罠だ!


 犬の群れから逃れるため、針葉樹と広葉樹が混ざった森に入り、三方を岩壁で囲まれた袋小路に追い詰められる。私を囲んだのは洋種の大型犬〝グレートデン〟だ。雄雌ペアで、ライオン狩りに使うと聞いたことがある。

 そこで、なんというタイミングの良さだろう。駐屯基地の兵隊さんたち四人が、私の背後にある岩壁の上に姿を現し、ピョンピョン跳びはねて、降りてきた。――だが、ライフル銃を担いだ兵隊さんたちの頭は魚のようだった。


 ――半魚人マーマン


 馬がパニックを起こし、私は振り落とされ、地面に叩きつけられる。――寸前、がばっと半身を起こし、目が覚めた。

 先日、太言だごん教団に拉致されたときのトラウマが、まだ夢になって現れたのだった。


 そこで――

 部屋の壁が左右にカタカタ揺れだす。


 ――えっ、地震? けっこう大きい。震度五くらいはある?


 私が固まっていると、隣室からおひい先生が入ってきて、寝床で固まっている私を抱きしめてくれた。

 そうだ、私はを受けて、姫先生の口添えで伯爵様のご厚意を受け、しばらくお屋敷に預かって戴くことになっていたのだった。


「寧音さん、炭鉱会社が坑道を掘削した際、幻夢境に至る地下迷宮・大洞窟ジンに接触したのです。吉田先生が蘇民将来の眷属神・波利采女はりさいにょと話しをつけたのですが、別な問題が生じたようです」

「問題って?」

大海嘯スタンピードが起こるようです」

 私は姫先生にしがみついて震えていた。

 が地上に溢れ出すっていうアレのことか! 

 地震で、物部神社裏手にある、姫先生や兼好立ち合いのもと埋めたはずの〝マイマイズ井戸〟が再び開口し、大洞窟ジンと直接またつながってしまったというのだ。――大量の怪異がそこから溢れでてくる。


   *


 ――おひい先生の視点――


 寧々さんを抱きながら私は整理してみました。

 所属の父は素性を隠してに潜伏し、内偵を行っておりました。

 坑道での一件で偶然再会した父が別れ際にこんなことを私に耳打ちしたのです。


 ――おまえの母様がこんなことを言っていた。……岐門くなと伯爵邸になる前のあそこは牧師館だった。牧師館が引き払われたのは、そこに住んでいた牧師さんが亡くなったことによるもので、死因というのは、地下室に収められた石が放つ不思議な波動によるものだという。伯爵様はそれを〝衝撃石〟と呼んでおられたそうだ。……伯爵邸からは理由をつけて、なるべく早く引き払いなさい。


 お見合い相手の大鳥様とのデートをした際、そのことをお話しすると、当時の捜査記録を見て下さいました。

「牧師館で牧師が変死した、二十年前の未解決事件で、捜査日誌には、――物理的に不可能な、人をスルメみたいに裂くような殺害方法だった――と書かれてありました」


 どうもですね。大海嘯スタンピードで、大洞窟ジンから溢れ出してきた怪異たちは、牧師館地下にあるかを目指して、押し寄せて来るようなのです。――あえて、おじい様がそこに居を構える理由というのは何なのでしょうか?


 私は寧音さんと着替えてまず、叔母様のお部屋のドアをノックいたしましたが、返事がありません。おじい様のお部屋も同様です。――ならば――カンテラを掲げた寧音さんと私は、居室のある二階から踊り場つきの階段を使って、一階へ降りて行きました。


 入母屋造りの家々が建ち並ぶ漁師町の背後の丘に佇む牧師館は、明治時代初期に造られた洋館で、重厚な煉瓦壁と、扇形をした小さなガラスをはめこんだ窓のある段屋根付玄関が特徴の英国ジョージア王朝様式の建物です。玄関をくぐってすぐのところにエントランスルームがあり、その奥が厨房となっており、そこから、元々、葡萄酒長蔵庫ワイナリーとして使われていた地下室へ降りることができまるようです。――牧師館に葡萄酒が貯蔵されているのは、イエス・キリストの最後の晩餐を記念する〝聖餐式〟結婚式に用いるため――というのが建前ですが、実際のところ牧師様が個人的に楽しんでおられたのかもしれません。


 私達が、エントランスルームから奥の厨房をカンテラでかざすと、地下室へ降りる床の扉が開いていて、光が漏れていました。そこから下をのぞくと、なんと……。

 円卓に似た大きな石盤があり、そこには、おじい様、家令の山川さん、家政婦長の菊乃さん、従僕の白井さん、そして夕子叔母様までいらっしゃったのです。

 おじい様の右手には小刀があり、それで自らの左腕を傷つけ、石盤の上に置いたヴェネチア・ワイングラスに血を注いでおられました。――床上の寧音さんと私が息を吞んでいると――地下にいるおじい様は、片膝をついた家令さんにグラスを手渡し、


「心付けだ、励めよ」

「ありがたき幸せに存じます、お屋形様!」


 そう言って皆様がおじいさまに深々とこうべを垂れた後と、一同は、一口ずつ口にしていきました。このとき、おじい様が床上の私を見上げて、


「片帆と寧音だな。この際だから秘密を話しておこう。降りて来なさい」私達が階段で降りてくると、おじい様は、「屍鬼しきまたは吸血鬼ヴァンパイアと呼ばれる者を存じておるか?」

「屍鬼……吸血鬼って、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』とか、シェリダン・レ・ファニュの『カミーラ』とかのことでしょうか?」

「屍鬼とは〝不死アンデット〟のことだが、俗説によると陽射しや十字架、ニンニクに弱いとされているが、これは迷信だ。だが心臓に杭を打たれたり、首を落とされたりすれば、人間同様に命を落とす」


――隕石孔から回収した星の欠片から削り出したこの円卓石テーブルストーンが放つ波動が、幻夢境の怪異を惹きつける。この屋敷の前の所有者であった牧師殿は、大洞窟ジンから湧いて出た怪異に襲われ絶命した。フリーメイソンを通じ生前の牧師殿と懇意にしていた儂は、秘密を打ち明けられ、後事を託されていたのだ」

「だから、おじい様は危険を冒してまでも、このお屋敷に住まわれていらしたのですね。――それにしても、夕子叔母様や他の皆様までだったとは……」


 夕子叔母様は申し訳なさそうに、

「人間としての夕子は二十歳のときに結核でなくなっている。そこで、おじい様の施術を受け、今の身体になったの。だから他家に嫁ぐことはかなわないってわけ。ここにいるみんなも同じような事情の人達よ」


 なるほど、そういうご事情でしたのか。

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