第23話 大海嘯《スタンピード》
深夜、市街地を見下ろす丘の上にある洋館・
吉田先生は神出鬼没で、いつの間にだかすました顔で、私の横に立っていらっしゃいました。
「これは興味深い幻夢境生態の一端。
「幻夢境インクアノク王国辺境に棲む奴隷種族レン人のようです」
「レン人っていうとイカ野郎、――黒いガレー船にいた商人や上級船員、オールを漕ぐ奴隷達でしたね」
「長槍を持っている。――動物園から脱走してきた猛獣というより、明確な侵略の意思を持った軍隊と見ていいでしょう。――恐らくはレン人徒歩の背後には将領たる
レン人は羊のような角と蹄をもった、半透明な軟体動物系の亜人で、上体を左右に振りながら歩行します。
指揮官である月面獣一体に対し、レン人数百体が付き従い、伯爵邸を目指してきました。
敵の一団は一様に、すこぶる長い槍を手にして、寝静まった深夜の岐門町町屋に押し入ったようで、随所から悲鳴が上がり、警報が鳴り響いてきました。やがて火の手が上がります。
「
――此は神々の主、世界の主なり。此は四方位の恐るる者なり。聖訓に声発しける、万物の主、王、支配者、そして援助者なり。我が声を聞きたまえ。そして、全ての霊を我に従わしめよ。大空の霊、エーテルの霊、地上と地下の霊、襲う炎の霊、全ての霊を我に従わしめ、広大なる一者、神のあらゆる魔力と天罰を、我に従順ならしめたまえ。……ケテル、コクマー、ビナー。ケセド、ケブラー、ティファレント!/(※イスラエル・リガティー:著 片山章久:訳 『柘榴の園』より)
屍鬼衆の皆様が方陣を組んで召喚したのは、頭に角、背中に蝙蝠のような羽、尻尾も生えている。さらには全身をゴムのような被膜で覆っている黒い生物。――そうです、
ほどなく月を背に四体の有翼種族が現れ、岐門伯爵邸のお庭に舞い降りたのでした。
「頭に角、背中に蝙蝠のような羽、尻尾も生えている。さらには全身をゴムのような被膜で覆っている。伯爵家の皆さんと懇意のようですが、姫先生、あいつらは何者なんです?」
「
家令さんが、
「我らはひと呼んで岐門屍鬼衆――」
岐門屍鬼衆は、夕子叔母様、家令の山川さん、家政婦長の菊乃さんに、従僕の白井さんからなるカルテットで、皆様は一様に重機関銃を携え、それぞれ夜鬼の背に乗りますと、蝙蝠に似た被膜質の大きな翼を羽ばたかせ、宙に舞い上がったのでした。
「ブローニングM1919、先の大戦《※第一次世界大戦》の末期に、米軍が使っていた機関銃だな。戦闘機なんかにも搭載されていたって聞いたことがある」
おじい様は家にあるありったけの槍と、日本刀とをお庭の地面に突き刺し、敵兵を迎え撃たんとしています。そのおじい様が、空を見上げ、飛び立つ屍鬼を見送っていらっしゃる後方、扉が開いたままの伯爵邸本館エントランスから、誰もいないはずなのにレコードがかり、ワグナーの「ワルキューレ騎行」が流れているのが聴こえてきたのでした。
さらに、特務に所属する父が銃剣を装着した三八式歩兵銃と手榴弾を持参して駆け付けて参ります。
「伯爵様、及ばずながら助太刀いたします」
「
「ははっ、ありがたき幸せ」
時代劇みたいな掛け合い。――おじい様は旧幕時代(※江戸時代)、信州に所領があり、ご維新後、北海道に旧家臣・領民を率いて移住なさった、お殿様でありました。
そういうわけで吉田先生と寧音さん、そして父と私の四人は、おじい様の左右を固めるように横一列に並んで、怪異からなる敵勢が狙っていると目される、本館地下の衝撃石に対する最終防衛線となったのでした。
*
岐門市街地の上空から、重機関銃が鳴り響いていました。
わんさか群れる敵レン人に、弾丸が命中すると、炎が上がりました。
吉田先生が、
「ほお、焼夷弾か……」
すると横にいる寧音さんが、
「兼好、焼夷弾って?」
「第一次世界大戦のとき、ドイツ飛行船がロンドンを爆撃した。飛行船は可燃性の水素ガスで浮かんでいたが、普通の機関銃弾丸が当たっても発火しない。そこで開発されたのが、爆撃用飛行船撃墜に使われた発火タイプの弾丸だ。そいつを軟体系のレン人に掃射したってわけだね」
そういうそばから、
ザクッザクッザクッ……
二百メートル離れている場所まで迫ったレン人が投げた投槍が、丘の上の伯爵邸まで飛んできて、目と鼻の先の地面に突き刺さりだしました。
おじい様が、
「屍鬼衆が撃ち洩らした連中が、第一波となって押し寄せてくる。者ども、本館には一歩たりとも踏み入れさせるな」
おおっ!
上体を左右に振りながら、レン人長槍兵が突撃して参ります。
最終防衛線にいる我々五人の得物は、一般の槍と刀のおじい様、銃剣と手榴弾の父、〝鬼撃丸〟と名付けたS&W拳銃の吉田先生、そして寧音さんと私は、〝
数に任せて丘の坂の一本道を突撃してくるレン人達の攻撃は単調で、私達の前には、屍死累々とイカのお刺身に似た怪異が積まれていったのでした。
ところが――
ドーン……。
後方の本館から、物凄い音がしたのです。
おじい様が、
「月面獣か……盲点であったな。――吉田君と寧音、片帆の三人で屋敷へ迎え、この場は千石君と儂で対処する」
下知に応じた私達三人は、本館の裏手に回ると、崖をよじ登ってくる巨大ヒキガエルの〝鼻〟についた複数の触手の先に長槍を持って、厨房の窓ガラスを叩き割り、触手のうちの一本を床に這わせ、衝撃石を収めている地下室に伸ばしていったのです。
寧音さんが、
「おえっ、キモい、吐きそう……」
そう言いつつも私と一緒に、桃色の触手を〝幽剣〟で切り落としていきました。
ブスンブスンと、月面獣に撃ちこまれた弾丸は、内部から押し出されるような感じで、肉の外面に押し出され、パラッと地面に落ちました。この怪異に対して、拳銃の弾丸はあまり有効ではないようです。
吉田先生は拳銃弾丸を撃ち尽くすと不敵な笑みを浮かべ、
「今度はただの弾じゃねえ、」
新たに装填した弾丸全弾も、一点を狙い、撃ちまくったのです。
ほどなく、ドスン、と月面獣が崩れ落ちました。たぶん、仕留めることが出来たのでしょう。
仕留めた吉田先生は、
「こいつ、イカ天何人前になるだろうな」
「兼好、やめて――」
それから寧音さんはイカ類が苦手食材になったそうです。
内浦湾に朝日が昇るころ、おじい様とお父様に再び合流した私達は、残ったレン人達を一掃し終えました。同じころ、岐門の町屋中心部にある町役場には、逃げ遅れた避難民達が集まっていたのですが、大鳥様と麾下の警察官の皆様が、町衆の協力を得て、トラックや荷車、家具でリケードを築いて抵抗し、近隣駐屯基地から来た陸軍一個連隊の到着まで、守り切ったといいます。
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