第3話 姫先生の初授業 

 思いのままに操れる夢を〝明晰夢めいせきむ〟というのだそうで、私は外国語・英単語の暗記に利用していました。反復訓練をするときに便利なのですが、ただときどき、思わぬ世界に迷い込むことがあるのです。


 (※女子高等師範学校)時代のことです。

 奈落の底へと延びる筒状になった縦坑があり、その壁を穿った斜路を下っていくとやがて、日本神話にでてくる天岩戸あまのいわどのような門があり、そこをくぐると、巨大な回廊をなす横坑となっています。そこは四腕大鬼ガクが築いた都城があり、彼らに見つからぬように、そっとすり抜けてゆきます。大鬼は人食いですが寝ていることが多く、わりと安全なのです。


 石柱が建ち並ぶ回廊では彼らのほかに、ときたま、人の形をした軟体動物〝ガースト〟と遭遇します。それは、カンガルーのように、ぴょんぴょんと跳びはねる可愛いしぐさのわりに猛獣で、誰彼かまわず咬み殺そうとするため、むしろそっちのほうが厄介な存在でした。


 思わぬ方角からガーストが跳びかかってきたとき、拳銃でその核〝コア〟を撃って助けてくださったのが、彼でした。

 私と同じ着物と袴姿で、手には銃口からまだ硝煙がゆらめく、六連発拳銃がありました。

「それなりのリアクションをしてくれると嬉しいな、お嬢さん」

「助けて戴きありがとう存じます。千石片帆せんごく・かたほと申します」


 その人は伸ばした髪を搔きながら、

「できれば、勘違いしないでよね、助けてくれなんて頼んだ覚えはないわ――なんていってくれると僕的には萌えます。……僕は吉田兼好よしだ・けんこうだよ」

「吉田兼好? 源氏名でございましょうか?」

「ああ、実家が神社をやっててね、代々、〝兼〟という一字をつけるんだ。先祖の中にも何人か兼好を名乗っている」


 そんなやりとりをしていたら、眠っていた四腕大鬼たちが銃声で目覚めたらしく、のっしのっしと、こちらへやってきます。

 吉田様が、

「やばい、いったん逃げよう」

 私たちは大急ぎで元来た岩戸に駆けて行きました。


     *


 古典の教科書にでてくる『徒然草つれづれぐさ』の筆者のような名前の方と、二回目に出会ったのは前倒しの卒業旅行のとき、そして三回目が上野発の夜行列車に乗ったときでした。

 三等車Xシートの頭上に設置された荷棚に、家財一式を詰め込んだトランクを上げようともがいていると、いつの間にか後ろに吉田様が来ていらして、手伝ってくださいました。

「おや、千石さん、またお会いしましたね。これはもう僕たち、運命の仲なのではありませんか?」

「ただの奇遇よ。勘違いしないでよね! ――これでよくって?」

「あはっ、最高です。超萌えます」

 奇遇はさらに続きました。


     *


「あら意外、片帆さんは乗馬がおできになるのね」

「東京の家の近くに乗馬クラブがあったので、両親の奨めもあり、通っておりました」

 私も瞳叔母様も、ドレスよりは動きやすい、着物・袴を普段着にしておりました。

 蹄鉄につまった泥を小さな棒でほじってやることで、馬は懐きます。ハナと名付けた甘えんぼさんは女の子でした。


 ちらほらと梅が咲き出した母方実家のお屋敷裏手には厩舎があり、馬が二頭おりましたが、さらにもう一頭、私のためにおじい様が用立ててくださった子でした。

 雪の季節ではないのですが、北国の三月下旬の遠くを望んだ峰々には残雪が見受けられました。

 若い娘が一人で馴れない土地で教鞭を執るということは正直なところ不安でしたが、母方の実家があったというのは天祐というものでしょう。


 実家といえば亡くなった母方祖母の実家が岐門神社なのだそうで、ご挨拶のため、瞳叔母様と駒の轡を並べて岐門神社の杜に伺い、大鳥居横の厩舎で下馬しました。するとたまたま、石畳の桟道に散った杉落ち葉を、ほうきで掃いていらした手を止めた神官服の若い禰宜ねぎさんが、手綱を預かってくださいました。


 吉田様は東京生まれだそうですが、二年前からご親戚にあたる岐門神社の神主さんのところに下宿しているのだとか。

「谷間の南を川が流れ、北がコの字になった場所を〝竜穴〟といい、古い神社仏閣の中にも竜穴に建てられたものがあり、ここ岐門神社の立地もそうです。――ようこそ祝福の地へ」


 夕子叔母様がショートカットの髪を掻きあげて、

「よくいうわね、吉田さん。こないだ〝神隠し〟があったでしょ」

「人聞きの悪い。ささいな事故ですよ。幽世かくりよに飛ばされた女の子は、僕が無事に連れ戻しましたよ」


「じゃあ先日、吉田様が四腕大鬼ガクの都城回廊にいたのは、神隠しの女の子を探していらしたのですか? 私、すっかり、お邪魔してしまったみたいで……」

「片帆さん、吉田さんとずいぶん親しそうじゃない。ふふーん、そういうこと?」

 幽世かくりよとは異世界のことで、私がときどき転移する幻夢境げんむきょうもその一つのようです。叔母様がおっしゃるには、岐門神社にはときたま、幻夢境と現世うつつよとを自在に転移する〝夢見姫〟と呼ばれる巫女が生まれのだとか。

「吉田様も〝夢見〟の通力ちからを?」

「僕のは片帆さんのような先天的なものじゃなくて、ここの神社から預かっている〝銀の鍵〟をつかって岩戸を開ける。こないだみたいな迷子ちゃんをお迎えしてやるんだ」

 なるほどです。――いやいややっぱり、吉田様は謎の多い男性です。


 このとき、境内にいくつかある客神を祀った小さな社殿の陰から、敵意剥き出しの視線を感じたので、そちらを向くと、幹回りの太い古木の枝にブランコがあり、揺れてはいましたが人影はありませんでした。ですがほんの一瞬だけ、残像が視界を横切ったような気がしました。――女の子?


     *


 四月上旬――

 新学期が始まり、私は岐門高等女子中学校一年二組の担任を拝命しました。高等師範学校の学生時代はドレスが制服でしたが、馬に乗る都合上、着物と袴姿で通勤しておりました。


 禰宜の吉田様はどういうわけだか私と同じの学校の教員で、しかも吉田様が一組で私が二組の担任。ですから職員室の机もお隣さんでした。

「これまた奇遇、こうなるともう運命でしかない。肩帆先生、いっそ僕のお嫁さんにならないかい?」

「吉田様、いえ吉田先生、そういう軽口は(※お嬢様ことば翻訳:汚ならしい)。およしくださいませ」

「ああ、いいなあ、ツンデレ設定。ますます萌えてくる」

 いえ、これは〝設定〟ではなく、本音です。


 校舎は木造平屋で三棟あり、渡り廊下で連結されています。気分を切り替えた私が職員室のある棟から一年二組の教室のある棟へ渡り、戸を開けると、着物・袴姿の女生徒三十名ほどが机を並べて出迎えてくれました。数年前から制服は着物・袴からセーラー服に代わりました。一年生は十二、三歳で元気いっぱい。数日前から授業の下調べをしていた私は準備万端です。さあ、はりきって授業をいたしましょう。


 おはよう存じます!

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