第4話 熊野について

 警察庁公安部特殊係13課。

 便宜上、警察組織の一部になっている、怪異を始めとしたオカルト案件全般を担当する部署。直桜たち惟神や護のような鬼など癖のある術者たちが多く籍をおいています。

 そこの副班長、神倉梛木。神倉神社が御神体とするゴトビキ岩の化身。熊野の始まりの信仰であり、熊野そのものともいえる存在です。


 熊野と言えば熊野三山(熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野新宮大社)が有名で、大昔から熊野詣は盛んに行われていました。

 平安貴族は熊野詣大好き。

 かの和泉式部が「頑張って熊野まで来たのに直前で月の障り(生理)になっちゃったよ。熊野詣できない、悲しいんだけど」って和歌を詠んだら、それに対して熊野本宮大社の神様が「自分は塵芥に塗れた神様だから生理くらい気にすんな、詣でていいよ」って夢で返歌してくれて、和泉式部がめっちゃ感動して無事に熊野詣でできましたっていう逸話が残っています。

 この時代の人々にとって、血は死と同じように「穢れ」です。今でも女性は生理中に神社を詣でてはいけない、みたいな風習が残っていますね。


 時代が下ると「蟻の熊野詣」と言われるくらいに一般庶民にも熊野信仰が普及します。けど、白装束で遺書を携え詣でる人が多かった。それくらい切羽詰まって真剣に神頼みする人たちが多かったし、熊野古道って割と険しい道が多いから、本気で命懸けでした。修験道もあるしね。その辺が、お伊勢さんとの違いです。


 んで、神倉神社に戻りますが、熊野三山より先に信仰があった神社が神倉神社です。山の中腹にドデカい岩がボコってハマっているような感じ。近くで見ると圧巻です。怖いくらい。

 ゴトビキ岩に辿り着くまでの石段もめちゃくちゃ急で、降りる時とか怖いくらいなんですが、その石段をでっかい松明を持って駆け降りる「お燈祭り」というのがあります。転んだら死ぬだろうなって思う。

 那智大社でも火祭りやってますが、那智には滝があるので、竜に見立てた火をもってやっぱり階段を駆け下ります。こっちは神倉程急じゃないけど、滝の足元に下っていくから神秘性がありますね。


 熊野信仰は日本古来の自然信仰が元になっているので、巨石、滝(水)などが御神体であり、山そのものが御神体、もっと言うなら熊野という場所が神域です。

 後世になって、色んなものが入ってきて今の形になっている。


 そんな熊野信仰の起源がゴトビキ岩です。古代の信仰には巨石信仰多いですが、まぁ、デカいですよね。よくゴトビキ岩が女性の子宮、那智の滝が男根に例えられたりしていますね。滝を御神体にする神社ってどこもそんな感じですが。

 それも含めて、熊野の根底には女性性が流れているなと感じます。母なる大地、自然、生き物を産み出し慈しむ精神みたいな。

 古い信仰は神に女性性を投影している考えが多いですね。命を生み出すという行為が如何に尊くて神秘的に捉えられていたかが伺い知れます。今だって、命を生み出すのは大変だし尊いですからね。

 人間一人を科学技術で作り出そうと思ったらガチで大変ですから。人間に限らず生き物ほど効率的で順応性の高い高性能な存在もない。ロボットでもIPSなどの再生医療でも大変です。


 生と死が同じ価値観で隣り合わせに存在する。

 意外なようで当然な感覚が自然に流れる場所、それが熊野だと感じます。


 鬼が討たれていたような古代において、熊野は紀ノ國とよばれ、死の国という認識でした。大和国があった奈良盆地から見ると、吉野山の向こうにある、なんか怖い場所、みたいなイメージ。だから、死の国、夜見(黄泉)の国、夜見返り(黄泉がえり・蘇り)の国だったんですね。


 何で死の国だったか。海流の関係で死体が流れ着く半島だったから、というのも大きいです。同じ理由で境港も昔は夜見の国でした。大昔の境港はまだ本州とくっ付いていない小島で、水葬した死体が流れ着いて打ち上げられていたので、島そのものが夜見(黄泉)の国でした。

 日本は細長い島国なので、全国各地にそういう場所が割とありました。


 熊野や吉野も土着の日本人が住んでいた場所でしたが、中央に攻撃されることなく管理下ながら割と自由を許されて守られてきたのは、そういった神秘性を多分に含んでいたからだと思います。


 日本書紀でも神武天皇の東方遠征で熊野が出てきますが、地元の偉い人は友好的に描かれています。悪神の疫病にかかって仲間がバタバタ倒れて、武御雷神が韴霊剣ふつのみたまのつるぎを降ろして疫病退散した話、あれは熊野です。


 その神武天皇は吉野山にも入って、地元の土着民と会ったりしていますが、話し合いで仲良くなって通過したりしてます。

「いまいち何言ってるかわかんない」みたいな描写が出てくるんですが、縄文の文化を色濃く残した先住民であったために言語が微妙に違った(或いは地域限定の言葉を使っていた)のかな、と個人的には解釈しています。

 井光いひかっていう国つ神(国津神)が出てくるんですが、見た目の描写は妖怪です。吉野よしのの首部おびとの祖たる人物なので、人間なんですけどね。


 ちなみに天津神と国津神の違いは、高天原にいる神々、または高天原から天降った神々が天津神。葦原中国に現れた神々が国津神です。

 要は土着の日本人か渡来系かってことやんな、と勝手に思っていますが、この解釈は乱暴なのでお勧めしません。

 昔の貴族様って系譜をたどると大体が皆、御先祖は神様なので、そんな感じかなって勝手に解釈しています。


 熊野の神様は、国津神です。

 なので、本作に登場する梛木は「日本最古の国つ神」の一人としています。

 あ、国津神の「津」は「の」と同じ意味合いです。だから国津神は「国の神様」って意味。何となくひらがなの方が可愛いので本作では「国つ神」を採用していますが、小説としては漢字表記の方が読みやすかったなと、ちょっと反省。


 梛木はガチ強い本物の神様なので、警察なんていう俗っぽい組織にいながらもあまり俗世に干渉しません。見守っている感じ。

 直桜を始めとした惟神という、神様の中でもイレギュラーな存在をサポートしてくれる、厳しくも優しい神様。だから、皆が言いずらいなと思っていることをズバズバ言ったり、敢えて手を出さなかったり、時々親身になてくれたり。


「神様の本能は理を守ること」というのが、本作の根底に流れる精神です。


 本作はBL作品で、同性で番でも神様たちがめちゃ祝福してくれます。生殖能的に考えたら理に反するのでは? ってご意見がありそうだから先回りして書いておくと、倫理道徳観が発達した人間において、番が持つ役割は生殖能に限定しないと考えます。故に「その人がその人らしく生きるために必要な生涯のパートナー」が番であり、そんな運命的な相手に出会えた奇跡にも近い事実を、神様たちは祝福してくれる。

 だって、なかなかないですよ。一生を共に過ごしたいとか、この人を命懸けで守るとか思える相手に出会うって。

 命のやり取りをしている13課の人々だからこそ、というのもあると思うけど、同性だろうと異性だろうとそれ以外だろうと、そんな相手に出会えたら幸せだなって思います。


 話しが逸れまくって、あんまり熊野の話が出来ていませんが、熊野は逸話の宝庫です。本作にも出てくる八咫烏とか、熊野水軍、補陀落渡海や伊弉冉の墓。

 小栗判官と照手姫の伝説というのがあるんですが、鎌倉初期に作られたこの話には「蘇りの湯」である「つぼ湯」が出てきます。何と今でもあって、入れます。入浴料700円くらいだった気がする。

 死んでしまった愛する婚約者を生き返らせるために小栗判官の遺体を荷台に積んで照手姫が熊野まで旅をして、つぼ湯に小栗判官を突っ込んで見事蘇らせる話なんですが、途中に出会う人たちが、熊野を反映していて面白いです。

 ネットで検索すると出てきますので、ご興味ありましたら是非に。


 余談ですが、熊野本宮大社の宮司である九鬼(実際は角がない鬼の漢字です)様は、九鬼水軍の末裔なんだとか。海で負けて山に籠って神社を守ってるんですよ、とお話されていた宮司様はチャーミングでお優しい方でした。


 なんか全然まとまらなかった。

 熊野に関しては書きたいことがあり過ぎて、筆が迷いまくりますね。


 

 さて、次回は「呪禁道」について。




本作はこちら↓

『仄暗い灯が迷子の二人を包むまで』

https://kakuyomu.jp/works/16818023212261037641


『仄暗い灯が迷子の二人を包むまで・Ⅱ』

https://kakuyomu.jp/works/16818093078564930840


『仄暗い灯が迷子の二人を包むまで・Ⅲ』

https://kakuyomu.jp/works/16818093081595698958


※現在Ⅳを執筆中(まだ非公開)。

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