第29話 喧嘩を売る相手は選びましょう
車を降りて腕を伸ばし、足を伸ばす。その度に戦士の笑みが深まっていく。
そうとも、散々だらけて食っちゃ寝したって、俺の身体はちっともなまっちゃくれない。
感覚は常に鋭敏に、足先の動きは申し分なく。後は脳のスイッチを切り替えるだけ。まるで遠い何時かのように、まるで遠い誰かのように、同じで異なる自分に成るだけだ。
「だから、アラタメ。シートベルト締めろよ」
「へ? そりゃあ俺ぁ安全意識キッチリしていやすから毎度キッチリとおおおおおぉぉぉぉ……!」
「おお」
ロンが彼方に消え去ったアラタメを、正確には車を見つめ感嘆したように言った。
流石に巻き込むのは忍びなかったので、俺は車ごと彼女をぶん投げたのだ。着地地点はおおよそ北西である。そっちに消えていったから多分そう。
ロンは腕組みをして「死んだかな?」とか呟いていたが、多分死なないでしょ。あいつ、何か隠し球とか持ってそうだしな。
「肉体だけじゃないな。あれには魔法的な力もある。だから大丈夫だ大丈夫。俺の特大ホームランだって守備範囲内だろう」
「投げたのにホームランとはこれ如何に」
「おもしれー」
「面白くっ、ないですよっ!」
急ハンドルを切って背後に止まった車から、聖女様が飛び出してきた。その更に背後からは物々しいキャタピラ音なども聞こえ、戦争の気配が充満していやがる。
聖女様の車がベコベコに凹んでいることから、彼女が仕掛けたわけではないだろう。じゃあ誰がこんな真っ昼間から重火器持ち出してんのかって話になるが、それはまあ、
「尊神尊氏。知ってる? 聖女様」
「は……? く、ふ……! ふふふ……あ、あんな別れ方をした後で、私に掛ける言葉がそれですか……! あ、貴方は何時もそうですね! 何時も何時だって私の心配を他所に……」
「ロンは知ってる?」
「すまん。知らん」
「聞いて下さいよ私の話をっ!」
と言われても絶対長話になるから嫌なんだよなあ。聖女様って何時も話長いし。その割に要領を得ないし。お姫様と違って迂遠な言葉が多すぎるのだ。あっちは単刀直入に『死んで下さい』と言ってくれるのだが。
しかし、これは不味いことになった。流石に戦士と聖女に挟まれては遊んでいられない。準備運動も済ませたところだし、さっさと始めるとしよう。
「すまないが、今の俺は勇者じゃない。元勇者だ。なので期待には応えられんぞ」
「何を言うか! 今の君も代わらず……いや、確かに勇者ではないな。髯の剃りが甘い。不格好だぞ」
「えっ、マジで?」
「隙を晒したな死ね!」
あっぶね。喉元を狙った槍をスレスレで避ける。伸び出した槍は直ちに手元へと戻り、連続して刺突を放った。ステップを踏むようにギリギリで避けていき、途中途中で拳を挟む。乾いた音が木霊する。
しかし奴の踏み込みは以前にも増して速く、不意に音を劈く一撃を放つ。辛くも避けた。 その刺突の途中から軌道を変えてくるのは流石だが、いや、流石すぎるわ。カウンターを決めようとして普通に吹っ飛ばされた。
くるくると宙を舞ってビルの壁に足を付く。その勢いのまま足に力を込め、一直線にこちらを狙い来るロンを蹴り飛ばす。お返しだ。聖女様の近くに着弾して「邪魔っ!」と横面を蹴っ飛ばされるおまけ付きである。
「はははは! 流石、流石は勇者だな! ちっとも鈍ってはいないではないか!」
「ええ、ええ! ちっとも、ちっとも変わっていなくて、貴方は貴方のままで、だというのに貴方は私を! ああ、変わっていないからこそ私は!」
「なあ勇者。いい加減、彼女を何とかしてくれ」
「いやそっちで引き取ってくれよ」
「僕に死ねと……?」
「誰が貴方以外の貴方に貴方は私の勇者様っ!」
おお怖。車のトランクから引きずり出した身の丈ほどもある木の杖を振り回し、聖女様は何やら文言を紡ぎ上げる。その最中にも笑ったり泣いたり怒ったりと情緒不安定なこと大変心配であるが、しかし絡み付く呪詛はよろしくない。
空中に固定されたように身体が動かん。成程、確かにこの身体は永遠不変だが、それ以外の世界を固めてしまえば動けない。無理に動けば世界を壊す。つまりはちょっとした自己否定だったりする。
まあ、今は否定しても良いので動くのだが。というかずっと否定したかったんだけどね。聖女様も「はっ……?」とそんな信じられないものを見るような目で見ないで欲しい。確かに弱体化するけど、魔王討伐に臨むわけじゃ無いんだから。
「と言うわけで、俺は元勇者だ。分かってくれた?」
「ううん、ちょっと信じられない気分だな。君は何時でも最強を求めていたのに」
「必要だったから、そうせざるを得なかっただけだ。今は自由だ! 最強はお前が目指してくれ」
「ではこの腰布を脱ぐ権利を……」
「それは保持したままでいよう」
「では殺す!」
声と共に槍が劈く。最初の一撃の再現である。違うのはこちらも合わせて蹴りを放ったことか。
真っ直ぐに首を狙う穂先を、下から突き上げるようにして捌き、露わとなった胸元に一撃二撃と食らわせる。二撃が限界であった。直ちに聖女様が後ろからぶん殴ってきたからだ。
しかし、それもひょいと避けて蹴りを合わせる。合わせるだけである。勢いを止めるように舞を踊る。
「安心して下さい勇者様! 眠らせるだけですから! 私はね、ずっと勇者様を思って待ちわびていたのです!」
「殴る機会を?」
「ええ! ぶん殴る機会を!」
「肯定するのか……」
木製の杖と侮るなかれ。その杖は女神が寄り付くと言われる世界樹から切り出した一品である。つまりは代替わりした以上、俺自身に由来する一品だ。聖剣ちゃんの類似品にして劣化品と言った所である。
勿論、劣化品でも当たれば滅茶苦茶痛い。痛いというかヤバイ。自己否定の矛盾に繋がるからな。だから拳も合わせるだけなのだった。
こうして思うと、聖女様って俺へのメタとして作られているよな。流石はクソ女神教の聖女様だけはある。絶対俺のスペアと言うか安全装置扱いだったろ彼女。
まあそんな終わった話はどうでも良いとして、そろそろ碌でもない連中が集まってきた。
「うん? なんだ、君はまた国と戦っているのか。ここまで来ると趣味か何かか?」
「好き好んで戦うわけがないだろう。成り行きだよ」
「成り行きでも国と戦うものではないと僕は思うがなあ」
ロンはそう言うが、そもそも相手が国なのかすら分からない。アラタメの口振りからしてあの奇怪な男、尊神尊氏が関わっているらしいが、何のために真っ昼間からこんな戦争ごっこをしでかしているのかも分からないのだ。
それで後々話を聞くために、アラタメを安全地帯へと放り投げたのだ。今の東京の状況は知らないが、俺達が戦う以上、この場が世界で最も危険な場所であるのは確かである。
ドン、と、開戦の号砲は戦車のそれであった。砲弾は俺達三人が集っていた位置に着弾し、舗装ごと地面を吹き飛ばす。「ふん」ロンがつまらなそうに闖入者を見やった。
素顔を晒した黒服の身なり。数十人の隊列は、人の身で機関銃を携えて、狙いも糞もなく掃射を行う。
「不遜!」と聖女様が咄嗟に乗ってきた車を蹴り上げた。機銃掃射を避ける形でぽおんと宙に浮かんだ車から「うげええ」と男が落ちてくる。見覚えがある顔だった。
「おや、役人さんじゃないか。室戸だっけ? 久しぶりだな」
「いやあ、お久しぶりですカワセミさん! そして助けて下さいカワセミさん!」
「あい分かった」
運転席からこぼれ落ちた室戸をキャッチし、ひゅっと宙に指を切って地面を隆起させる。俺達はこんな物がなくても平気だが、室戸には大した防御力もなさそうだからな。
「しかし、聖女様の運転手もこなさなきゃならんとは、役人さんとは大変だね。今日は厄日かな?」
「ええ、全く厄日です! 特に貴方に抱えられているという今がですね!」
「これはすまん」
間断なく繰り返される銃撃から隠れながら、室戸はペコペコと聖女様にお辞儀をする。聖女様もそんな目をするんじゃ無いよ、世話になっているのに。
しかし、室戸がここに居るのは都合が良い。彼に逃げ場がないのも都合が良かった。たっぷり話を聞けるからな。
ロンも聖女様も、相手方の様子が知れぬのか、ぞろぞろと岩陰に集まって不満げな顔をしている。かつては知らない間に戦争に巻き込まれたりしていて大変だったのだ。殴る相手を選ぶのは勇者パーティーとして基本である。
そして、その視線が集うのは室戸である。彼は真っ青な顔を浮かべていた。
「で? こりゃ一体何事だよ。まさか知らぬ存ぜぬと言うわけじゃないだろう?」
「はは、知らぬ存ぜぬですよ!」
「なあ聖女様、彼の身体はどこまで残して良いのかな?」
「何かと便宜を図って下さるありがたいお方なので、精々爪の垢でも煎じて下さいませ!」
「爪の垢だけかぁ……」
「当然のように『どこまで残す』という文句が出てくることに心臓が張り裂けそうですね!」
室戸は冷や汗を浮かべながらニコニコと笑う。相変わらず食えぬ男である。それでも話す気になったのか、左手の腕時計を見つめつつ、「膠着は何秒です?」と言った。
「二三分かな。土塊出しただけだからな。今は銃撃で様子見しているが、そろそろ突っ込んできそうな気配だ。奴等殺意に満ちてんな。白兵戦なんてとっくに滅んだと思っていたが」
「まさか街中にミサイルを着弾させるわけにもいかんでしょう。戦車は出してきましたが。そして何より、現代では白兵戦ではなく、異能戦と呼ぶのですよ」
「なら、それはあんたの管理下じゃないのか?」
「生憎、私は調査局の局長に過ぎません。軍とは犬猿の仲ですし、何よりあれらは軍ではない」
岩陰からそろそろと差し出した手鏡から、相手方の様相を伺いつつ室戸は言った。直ちに破壊される。「ああっ、ブランド物なのに!」室戸はひゃあひゃあ言って破片を掻き集めた。
「後で私の方から経費申請してあげますよ。お上り聖女の我儘扱いで通るでしょうし」
「いやあ何時もありがとうございますトーテンツさん!」
「なあ君、僕は政府の闇を見てしまったのだが」
「癒着と賄賂なんて浅瀬も浅瀬だろう」
「そう言えばそうである」
ともかく、相手が軍ではないとはどういうことか。室戸は腕時計を見つつ話し始めた。
「あれは私兵ですよ。軍にしては、あれ、あの防護マスクを付けていないのはおかしい。人外排除を大々的に掲げているのが軍ですからね。異能対策への装備は不可欠です」
「そういやあの火だるま男と協調しているような動きだったな。奴はお偉いさんに頼まれたとか言っていたが」
「ならば相手は絞られます。こんな騒ぎを起こしても痛手にならない、政府相手に鼻薬を効かせられる相手ともなれば」
「尊神尊氏」
俺と室戸は同時に言った。彼はニンマリと笑みを浮かべる。
「何故という疑問は尽きませんがね。詳細な人となりを知っているわけではありませんが、わざわざ統一政府に喧嘩を売って、何をするというのでしょうか。算段があるのなら別ですが、それにしては喧嘩の規模が小さすぎる」
「たとえば俺を抹殺するため」
「それでは尚更規模が小さい。貴方相手には政府ごと殺す勢いでやらなければ」
「世界ごと殺す勢いでも死ななかったぞ、こいつは」
「ええ、女神が己ごと殺す気であっても死ななかったのが勇者様です。素晴らしく、どうしようもなく、愛おしく、そして、そして……!」
「聖女様は無視して良いから話を進めてくれ」
室戸は時計を見つめながら言う。何か時間を気にすることでもあるのだろうか。
「尊神尊氏というのは、あれですね。あけすけに言ってしまえば大富豪です。強い影響力を持っていますよ、表でも裏でもね。だからこそ、既存利益を無視するとは思えんのです。彼の在り方は、魔法使いというよりも商人です。自らが魔法を使うのではなく、魔法を使うものを使うのですよ」
「その割には、一銭の利益にもならないものを産み落としたようだが」
「尊神の神子ですか。あれはちょっと分かりません。大体、神って何なんでしょうかね?」
「さあ?」
そう言った俺をロンと聖女様が何か言いたげな半目で見つめてくる。が、こればっかりは本音である。成った当人もいまいち分からぬのがその座なのだから。
「まあ考えられるのは、貴方を引きずり出すための策ですね。貴方が何時までもあの監獄に引きこもっているものですから、業を煮やして罪なり何なりおっ被せようとする気かも。あそこは不可侵の聖域ですから」
「爺さんの邪域の間違いじゃない?」
「そうとも言います」
言うのかよ。
「しかし、それでも何故は尽きない。貴方を引きずり出して、それで何をするつもりでしょう? かの神子を聖域へと追いやったのは、他ならぬ尊神尊氏ではないですか。今更彼女を利用するつもりなのか、それとも貴方を利用……出来るわけがありませんよねえ!」
「出来た奴は結構いたんだぜ。全員死んだがな」
「それは良い証言が取れました。トーテンツさんの意見と合わせ、上へ報告しておきましょう」
カチリ、と室戸は懐に手を入れて何かのスイッチを切った。会話を録音していたらしい。つくづく食えぬ男である。
そして、録音を終えたということは、即ち室戸が気にしていた時間が来たと言うことでもある。
何せ、彼方より流星は飛来した。
「いやあ、仕事熱心なのが彼女の良いところです。これで礼節を覚えてくれれば文句なしなんですがねえ」
不用意に岩陰から顔を出した室戸であったが、その頭が破裂することはない。何せ機銃を構える隊列は、天空より着弾した流星により壊滅したからである。
燃え上がる赤髪を靡かせ、炎上する大隊を足蹴にし、少女葛城は降り立った。
「……で?」
少女は獰猛な笑みを浮かべ、岩陰から顔を出した俺を見つめた。
「遂に、遂にその男と決着を付けるときが来たって訳ね、局長! 第六調査局は一級調査員の力、見せてあげるわ!」
「失礼、先の一文に『これでそそっかしくなければ』というのも付け加えて下さい」
「はあ!? そそっかしくなんてないけれど!?」
激昂する葛城の言葉に、室戸はげっそりとした顔を浮かべた。このまま行くと文句だらけになりそうだな彼女。
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