第28話 同窓会




 船が止まったのは港区だった。たぶん。と言っても別に風景が様変わりしている訳ではない。場所に自信がないのは元々碌に訪れたことがないからだ。港区なんて東京タワーぐらいしか見る物ねえだろ。


「水族館行きやしょうぜ水族館!」とアラタメが先導する道なりには懐かしい風景が転がっている。電柱と電線である。帰ってきた当初も思ったが、これを見ると日本という感じがするのが不思議であった。


 街を行き交う人々の姿は一見して変わりない。十年が経って棘付き肩パットが大流行したわけでもなく、平々凡々な人々が平凡に歩いている。寧ろアラタメの姿に注目が集まるくらいだ。


 違うところを上げるとすれば、大気中に魔力の流れがある事か。いや前からあった上でそれを感じ取れるようになっただけなのかもしれんが、何にせよ、大気の魔力はただ満ちるだけでなく流れてある。


 水や空気と同じように、それを利用する流れがあるのだ。それは道路に店舗に行き渡り、いやもっと露骨なものもある。『魔法薬品店』『杖占い屋』『駅前魔法塾』等々、怪しげな文言が、カラオケや居酒屋などと並んで、当然の顔をして掲げられていた。


「人が慣れるのは早いねえ。十年もせずにこれかよ」

「これでも減った方ですぜ。俺が十五、六の頃は白い鯛焼き屋より多かったくらいでさあ」

「寧ろまた白い鯛焼きが流行っていることに驚きなんだが」


 見れば確かに魔法屋より鯛焼き屋の方が多い。そして妙に唐揚げ屋が多い。タピオカ屋はどこに行っちまったのだろうか。あれ結構好きだったんだけどな。


 それでビルの中に入って水族館に入館する。「へへへここは俺が払いやすよってこいつはいけねえ今日一日ずっとそうじゃねえか!」と受付のお姉さんに『こいつヒモ野郎かよ』という感じの冷たい目で見つめられながら、青く薄暗い館内を見て回る。


「魚が泳いでいやすね」

「魚が泳いでいるなあ」

「あんまり面白くありやせんね」

「じゃあ出ようか。つまらねえなら無理に居る必要もねえや」

「損得が早えのが好きでさあ!」


 というかアラタメの金なのだが良いのだろうか。そう思いながら、十分もせずに外に出てソフトクリームを食べながら街を歩く。本当はもうちょっと見ていたかったが、アラタメが露骨に飽きていたので仕方がない。


 しかし年の割に子供のような奴である。ぴょんぴょん跳ねて「あっち行きやしょうぜ!」と好き勝手に動き回る。そしてすぐに飽きる。身長もそれ程高くないのがまた子供っぽいのだった。


「映画でも見やしょうぜこういうのは相場が決まっているんでしょうへへへ」と言ったかと思えば、二十分もせずに「これって家で見るのと何が違うんですかい?」とポップコーンを口に流し込んでいる。


 忙しない奴である。仕方ないので「映画は島でも見れるよなあ。ひょっとしてお前利口か?」「へへへ照れやすぜ」とポップコーンだけ食い尽くして外に出た。


 駅前の時計を見ればまだ昼には早い。水族館と映画に行った割には全く時間を潰せないでいる。


 銀色の懐中時計を摘まみ上げて睨みながら、アラタメは「おっかしいなあ予定と違うなあ」とぶつぶつ呟いている。そうして振り返って言った。


「もう魔都に行きやしょう旦那本当はメインディッシュだったんですが前菜の奴等が不甲斐ねえせいで申し訳ねえですね」

「そっちに関してはマジで楽しみ。行こうぜ行こうぜ」

「走りやすかい? 競争でさあ!」

「いや、そこは流石に電車かバスを使えよ」

「ええー」


 アラタメは口を尖らせてそわそわと落ち着かぬ様子でいる。しかし用意は良いようで、電子マネーのカードを懐から取り出した。


 バスが近いらしいのでバスに乗る。一見して十年前と代わらぬようだがバリアフリーが整っているような印象がある。流れゆく景色をつまらなさそうに見つめながら、アラタメは呟いた。


「何だか予定とは全然違っちまってますよ旦那。本当ならまだ水族館で魚眺めていやすぜけっ何が水族館だ魚がふよふよ浮いているだけじゃねえか下らねえ」

「の割に一時間近くは滞在する予定だったんだな。率直に言って意外だ」

「まあそりゃ俺も別に動物が嫌いって訳でもねえし、美術芸術には詳しくねえがお客さんを楽しませるようにはなっているでしょう。静かなところが落ち着かないわけでもねえし第一俺みてぇなのが静かに出来なきゃ商売上がったりでさあ」


「ですがねえ」とアラタメは帽子を脱いでガシガシと髪を掻いた。子供のようにふて腐れているようで、落ち込んでいるようでもあった。


「旦那とはもっと楽しいことをしていたいんですよ。一分一秒でもつまらねえとは思いたくないし思わせたくないんですよ。だから焦っちまってあれもこれもって恥ずかしいなあ旦那呆れていやせんか?」

「楽しいぞ。弾丸旅行は中学の修学旅行以来だぜ」

「……へへへ、気ぃ遣わせちやしたかい? でも嬉しいなあと思う一方でムカついてきやしたぜ女慣れしている感じが凄えよなんだこの男ムカつき通り越して惚れ直すの通り越して怖くなってきやしたぜ俺今日どうなっちまうんだろえへへへへ!」


 流れるように感情を吐露する奴である。アラタメは窓辺から顔を離して俺を見つめた。どす黒い瞳が嬉しそうに笑って近付く。


「ねえ、旦那」

「なんだい」

「俺、今日は本当に楽しみなんでさあ。旦那と一緒に色々なところに行って、色々なことを楽しんで、だから……言いたいことがあるんです」


 アラタメが笑って斑の髪を掻き上げた。唇が近付く。ぽぉんと停車のチャイムが響く。


 彼女の唇が頬を過ぎ行き、右耳に囁いた。


「左から炎」

「お前らしい愛の言葉だ」


 間髪を入れずにアラタメの身体を掴み窓を蹴破る。ごろごろと路上に転がれば直ちにバスは炎上し、濛々と煙る中に炎熱の人影が見えた。


「おー生きてるか。凄えな。流石は指名手配されるだけはあるな」


 禿頭の偉丈夫が、全身から炎を沸き立たせてこちらに近付いてくる。唇を捻くらせて男は言った。


「俺はまあ、陳腐な名乗りだが殺し屋だ。カワセミだったかカワサギだったかよく知らねえが。まあ年貢の納め時って事でよろしく」

「よろしくするのはお前だぜファイヤーマン」

「へえ!」


 片手で術式を組み立てれば、怒涛が虚空より飛来し炎上を鎮火させる。しかし奴は蒸気の中に腕を振ってバスをひしゃげ飛び出した。


「ビルの上から雷撃ですぜ」

「なあにエレメント系は俺の得意さ」


 蒼天から落ち来たる雷を乱し狂わせて地に至らす。バチバチと明滅する輝きをアスファルトに延展させて、さてこれはどういうことか。アラタメはへらへらと笑ったまま抱かれるままでいる。


「氷と風が狙っていやすぜ。共に商業ビルの裏に隠れていやがらあ」

「二秒と三秒で片を付ける。雷はもう潰した」

「炎は?」

「分かるだろ? 情報源だ」


 乗客を蒸発さえながら炎くんが突っ込んで、しかし未熟も未熟。仲間が無力化されている事に気付きもしやがらず笑みを浮かべて滑稽なことだ。


「お偉いさんに言われてよ、よく分からねえがテメエを殺して金貰うんだ。良いだろ? お前もそんな力を持ってんなら、その位の道理は弁えてるよな」

「もう三秒だぜ」

「は?」


 そんな事を言っている間に仲間は全員潰した。氷と風の魔法というか異能なのだろうが殺さずに無力化出来る程度でしかない。後はこいつの首を残すだけだ。


「おい、お前達」

「コンマだよお前は」


 炎を纏う人体を手刀で切り飛ばして地面に転がす。溶けていく首の根元を凍らせて身体の方に無理矢理繋ぐ。死なねえだろ回復魔法じゃねえから死ぬほど痛いだろうけどな。


「補助部隊が取り囲んでいやすぜ」

「もう潰したよ」

「流石は旦那だぁ!」


 群衆に紛れん込んでいた戦闘者共を排除し、さて拷問に掛けようかと炎くんの顔を覗き込めば、その顔色は青く強ばっている。覚悟してねえのかよ殺し屋のくせに。


「お前の依頼者について知っていることを話せ」

「お前なんだよ。何者なんだよ」

「損得が分からねえ奴は馬鹿だよな」


 吹き上がる炎熱に対しわざわざ無力と教え諭すように氷結を編んでいく。目を見開いたって力が増すわけじゃねえだろう馬鹿が。それなら今し方消え失せた屈強な肉体の方が格好良かったぜ。


「異能で騒ぎを起こせば軍が黙っちゃいねえぞ……!」

「そんなら首持って魔都とやらに行こうじゃねえか。おいアラタメ行くぞ」

「へい逃げた車が使えますぜ」


 ガチャガチャと無人の車を操作してにんまりとアラタメは笑った。首を掴んで乗り込み超特急で車が駆け出す。サイレンが後方から聞こえている。消防車であって欲しいがな。


「で、これはどういうこったよ。お前は俺の敵だったか?」


 へらへらと非常に嬉しそうに笑いながらハンドルを握るアラタメに対し、ファイヤーマンくんの頭を撫でながら問い質す。「んな訳ねえでしょう俺ぁ何時だって旦那の味方でさぁ!」こちらの進路を遮るように突っ込んできた戦車を躱し、げらげらと彼女は笑った。


「これがデートですぜ本命ですぜ。俺が申請出して素直に受け入れられる時点で怪しいと思っていたんだいやあ楽しいですね旦那。相手は世界有数の財閥だ殺して殺して殺し尽くそうじゃねえですか!」

「やっぱり尊神尊氏かよ。そんなら水族館と映画館を楽しむんだった」

「えー本当はもっと居たかったんですかいそんならそうと言ってくれりゃあ良いのにやっぱり俺ぁ失敗していやしたか」


 言いながら、立ち向かう恐らくは異能者共を車で轢き、アラタメはハンドルを切る。砲撃がスレスレで車を横切り破裂音が響いた。


「拷問の段階は三秒と二秒と一秒だ。お前に許されているのは断末魔だけだぜ」

「た、尊神尊氏は何かを利用して軍を撃滅して都市を支配してうぎぎぎぎぎぎぎ」

「おう、精神拘束か?」

「もう使い物にならねえや捨てた方が良いですぜ旦那」


 言われたとおりに戦車に向けてファイヤーマンを投げ捨てれば爆発炎上した。自爆したようである。ギャリギャリとドリフト音が劈いて炎の只中を突っ切っていく。


「そんなら目的地はなくなっちまった。どうしやすかい旦那これから魔都観光と行きやすかい? 俺ぁこのまま荒らし回るのも悪かねぇと思いやすがね」

「俺としちゃ帰りたい気持ちでいっぱいだがね。面倒だ。面倒極まる」


 折角楽しもうとしていたのにこれである。さっさとUターンを決めて元の監獄に戻りたいものだ。


 思えばあそこの暮らしは良いものである。何もしなくても飯が出てくるし、娯楽には事欠かないし、住んでいるのだって気の良い奴らばかりである。


 そんな風にたった数時間で郷愁に駆られ、アラタメに帰るよう言おうとして、


「……あっ」

「ん? どうしたんですかい?」

「帰るに帰れなくなっちまった」


 目が合った。合ってしまったんだ。


 騒ぎを聞きつけたのか、馬鹿に長い高級車から出てきた人影。金色の髪を緩く流した、耳長の少女。


 碧色の瞳が信じられないように見開かれて、嘔吐を堪えるように首を掻き毟り、次いで何事かを叫ぶ。


 懐かしいな。そんな風に君は叫んでくれたっけね。世の不浄に、世の不条理に。涙を流して悔いるように。


 だけどまあ、もう要らないよ。叫ぶ必要はなくなったのさ。俺がその世界になったのだから。


「予定変更だアラタメ。このまま魔都まで回って、超特急東京観光と洒落込もうぜ」

「へへへ、逃げるんですかい?」

「ああ逃げるのさ。逃げ回ってどこに行ったのかを分からなくして、何時か忘れる事を願うんだ」


 二度目である。俺に二度目をさせないで欲しい。何事も。


 そんな思いで、俺は窓から乗り出して、彼女に笑って手を振った。


「勇者様! ああ、ああっ! 私は、あああっ! 貴方に、貴方に全てを押し付けてっ、だけど、だけどね! 今度こそ……!」

「相変わらずだな聖女様! だけどさよならだ。元気でやれよ!」

「……はっ?」


 おー怖っ。そんな罰を待ちわびる罪人のような眼で見つめないで欲しいものである。何せ救済は既に成されたのだから。


「罪な男ですねえ旦那は! あの女睨んでいやすぜ俺の事。何か呪いでも掛けられたのか知りやせんが心臓が苦しすぎるので何とかしてくれやせんかねぇ!」

「あっ、ごめん。俺は解呪とか出来ねえんだよ。帰ったらカナナナ君にでも聞こうか」

「その前に死にそうなんですがどうしてくれるんですかってうええ目の前が暗くなって来やがった何ですかいこれ旦那ぁ!」

「愉快だなぁ」

「笑ってる場合ですかい!」


 まあ解呪は出来ないが無理矢理引き剥がすことは出来るので、魔力をドカンとぶちまけて引っぺがす。うん。これで完全に俺だって確信持たれちゃったな。


 ほら、見覚えのある奴の気配がするぞ。跳ね返ったように空を劈き、ビルを足蹴にして飛来する人影。


 爛々と輝く赤眼を光芒として引き、向かう先を遮るように、それは道路に墜落した。


「なんてこった。初めての同窓会だぜ。高校の夏休みに小学校の奴等で集まる予定だったんだがなあ」

「軽口言ってる場合じゃねえですよ旦那……あれ本気で不味い奴じゃないですか……」


 アラタメが急ブレーキを掛け、目の前の人型を恐れるように笑みを見せる。獰猛な笑みだ。震えもどうせ武者震いだろう。


 しかし、こいつ相手に戦うのはよした方が良い。何せこいつは純粋な暴力の化身。勇者パーティーの中でも生粋の近接屋……元戦士のロンである。


 真っ赤な瞳に真っ赤な髪を長々と靡かせて、これまた真っ赤な槍をげらげらと笑いながら抜くその姿。青白い肌に、筋肉質な細身。最後に会ったときからロンは全く変わっておらず、笑みさえ溢れる。


「不味いですよ旦那……ほんとに不味い……だってあれ……」

「ああ。分かるだろう。あいつとは何度もやり合ったが、殺し切れたことは一度だって……」

「全裸の変態じゃねえですか!」

「……あ、そう言えばそうだな」


 いや、全裸ではないのだが。ほら、申し訳程度に腰布を巻いているだろう。俺が無理言って身に付けさせたものなのだが。というかそのせいで何度も殺し合いになったのだが。


 ロンの出自が全裸の食人族と言うこともあり、彼は衣服を身につけることを極端に嫌がるのだ。動きにくいだの、戦闘を肌で感じられないだの、つべこべつべこべと理由を付けては脱ぎたがる奴であった。


「嫌ですよ俺ぁ……あんな変態が自分より強いとか世の不条理に嘆いちまいそうでさぁ……うわ何か言ってますよ旦那怖えよ旦那ぁ……」

「勇者! おお、勇者っ! 生きていたか君! ならば早速、何時ものように死合おうではないか! いい加減邪魔なのだこの腰布は!」

「えぇ……変態が完全変態になりたがってやすよ旦那ぁ……」

「つくづく文明社会で生きていけない奴だなあ」


 通りで他の奴等とは違ってニュースで見かけないと思った。こんなのを表に出したら異世界人の品性を疑われるからな。


 しかし、約束を守って身に付けたままでいるとは、相変わらず律儀な奴である。天を裂く赤い一振りに準備運動をしながら、そう思った。



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