第30話 碌でもないのしか居ないのか
爆発炎上する戦車を背景に、赤髪の少女が佇むという、ファンタジックでメルヘンな光景が目の前にあった。何がファンタジーって戦車がある事だ。もう二度と見ることもないと思っていたからな。
ともかく室戸の「どうどう、ドードー、モーリシャスドードー」という激寒ギャグに、葛城が青筋を立てながらも不肖不肖に腕を下ろした。別の理由で睨まれているぞ室戸。
「貴方に救援を頼んだのは、カワセミさんを倒すためではありません。貴方の足下をご覧なさい。どうです、異常事態でしょう?」
「ええ、異常事態ね。元勇者の狂人に加えて、エルフのお姫様に大迷惑の全裸男まで揃っているわね」
「全裸ではないだろう。全裸にはなりたいのだが」
「ちょっと貴方は黙ってて下さる?」
ロンの逞しい上半身を侮蔑した目で見つめながら、聖女様は溜息を吐いた。
「結局、貴方は変わらないのですね。どこへ行っても面倒事に巻き込まれて。ゆっくり話す時間もない」
「そりゃあ最初から面倒事だったからな。というか異世界での出来事全てが面倒事だな」
「あは、それはあの女との逢瀬も?」
「ぴゅるるるるう~」
「なんでこの狂人は急に口笛を吹き始めたの……?」
葛城は引いたように言うが、だって撤回するには、あー、あー。こう思い悩むこと自体が面倒だからな。ああ面倒面倒。面倒って大嫌い。だから聖女様も得心がいったような顔でほくそ笑まないで欲しいものである。
「とにかくだ! 身の振り方を考えなけりゃな。俺はさっき吹っ飛ばしたアラタメに話を聞こうと思うんだけど、あんたらは?」
「無論、戦争ごっこですよ。要人足るエルフ代表のトーテンツさんが襲われたともなれば、国際問題で決まりです! ここらで影響力を稼ぎましょう」
「えっ、私一人で戦うの……? お荷物を抱えて……?」
「お荷物呼ばわりとは言い当て妙ですね! 頑張って私を抱えて下さい、葛城さん」
「自信満々で肯定しないで欲しいんだけど……」
今度は葛城がげっそりとした顔になった。成程、迷惑を掛け合う上下関係というのもあるのか。
「で、ロンは?」
「暇なので付いていっても良いか?」
「良いよ」
「で、では、ではっ! 私もかつてのように、ああ、かつてのように! 勇者様のお供を!」
「それはダメ」
「なんっ! でっ! ですかあっ!」
怒りのままに杖を振り回す聖女様こと肉体派エルフ姫であったが、そもそも室戸が聖女様の身の安全を建前にしている以上、離れるわけにはいかんだろう。
まあそれは、それこそ建前で、本音としては浮気になっちゃうからな。アラタメやオワリちゃんとは違って、聖女様は名指しされているから。『二度とあんな、人間みたいな面を見せないで下さい、私の勇者様』って。
「というわけで行こうか」
「行こう」
「そういうことにしないで下さいよ! 呪いますよ!? ああでも力関係の云々としては私が居た方が良いのも腹が立つ!」
まあ権力というのは往々にして面倒なものであり、面倒だからこそ役に立つものである。聖女様はそれを知悉しており、溜息を吐きつつ「終わったら連絡して下さいよ!」と言い残して、転がっていた車を地面に乗せた。
「えっ、あのオンボロに乗るの私……? それでお荷物と聖女様を預かるの私……?」
「乗っちゃうんですねえ、これが。緊急事態とは言え、まさか善良なる市民の私物をかっぱらうわけにもいきませんし!」
「動くなら動けます。なら良いでしょう?」
「そこは特権を使って欲しかったですよ、聖女様……」
「僕達には貧乏性が染みついているからなあ。仕方のない話だ」
やれやれ、とロンは肩を竦めた。さて、また面倒なのが来ないうちに急ごうじゃないか。
手を振って別れを告げて、「そう言えば連絡に関する返答がないのですが?」という声を後方に置き、ビル街をロンと共に駆け抜ける。
街には戒厳令が敷かれているようで、所々に物々しい装備を備えた兵士達(恐らく私兵ではなく政府の兵)が屯していたが、彼らの反応すらも無視して駆けていけば問題はない。と言うか本気で何が起こっているのだろうか。
訳が分からぬのは彼らも同じようで、頻りに通信機に耳を傾けては、マスク顔に悪態を吐いている。そんな目的意識のない緩んだ雰囲気からか、駆け抜ける速度に銃撃の手も追い付かず、気が付けば俺達は新宿を目の前にしていた。
「あれが目的地か? 君がたまに言っていた新宿という都市か」
「多分そう。恐らくそう。自信がないな」
「なんだそれは」
何せ港区とは桁外れに様相が変わっている。これが本当に現代日本の延長線上にあるのかと、我が目を疑いたくなるくらいだ。
まず目に入ったのは異常に増築された建築群である。その地域だけが要塞にでもなったかのように、四角柱のビルが押し合い圧し合い犇めいて、時には中空に一角だけが乗り出してまで、狭い地域にこれでもかと人の住む領域を作っている。
成程、魔都とは言い当て妙だ。こんなのは人間に対して魔的でしかない。しかし道は開かれており、巨大な鳥居が門として聳え立っていた。
そこで鳥居の近く、フロントがベコベコになり、硝子が砕け散った車が目に付いた。急停止すれば傍から手を挙げられる。
見慣れた斑模様の髪の下、夥しく刺さったピアスを弄りながら、「いやなんでそいつも連れてきていやがるんですかい」と不満げに言うアラタメであった。
「あの高高度から落ちて車も無事とは、やはり俺の信頼は間違っていなかったな。無事で何よりだよアラタメ」
「俺はともかく車は無事じゃありませんぜ旦那。もう大破も大破のポンコツでさあ。ちょいと小突けば爆発炎上のスクラップですぜ」
「それより俺に何か言うことはありませんかね旦那ぁ」とアラタメは口を尖らせて俺を小突いてきた。
「ああ、ごめんな。流石にホームランは悪かった。ツーベース辺りにしておけば良かった」
「俺ぁ野球は知らねえんでそのたとえは分かりやせんよ。それと謝罪じゃなくー、なんだって俺にも戦え言わなかったんですかい? お姫様扱いなんて腐っちまいまさあ抱き上げられたわけでもねえのによお」
「まあ、まあ。こういう男なのだ。仕方ないと思ってやってくれ。有り体に言えばデリカシーと品性と人格に欠けるのだ、彼は」
「そこん所ぁ分かっていたつもりですがねー、旦那が碌に女の世話もしねぇド畜生だって事ぁ」
「悪く言い過ぎだろお前ら……」
まあ、とにかく事情を知っていそうなアラタメと再会できたので話でも、と都市の中に入り、落ち着けるところを探そうとした。
しかしまあ、そんな目的とは裏腹に、全く落ち着かぬ街である。道路には始終車と人が行き交っている。車の間を縫って人が歩いている。そしてその往来へ呼びかけるようにして、あちらこちらに怪しげな出店が出ており、ここ本当に日本か? という様相を見せていた。
そして往来を歩く人々の姿もまるで日本らしくなく、あからさまに魔法使いっぽいとんがり帽子が平気の平左で歩いており、獣の顔をした男や、常に口から火を噴く女など、ここではアラタメもまるで目立たぬような場所である。流石に殆ど全裸のロンは変態を見る目で見つめられていたが。
「とにかく店にでも入ろうぜ。アラタメ、オススメは?」
「おっ、予定表の出番が来やしたかい! えーと喫茶店に饅頭屋に団子屋にどうしよっかなあええー迷っちまうなあつうか昼食ってねえから腹減ってきた。なんだこの甘ったるい輩共は小腹埋めるだけじゃねえかって事で俺ぁラーメン食いたくなってきやしたよそこの中華屋入りやしょうぜ!」
「おい君、なんだこの、なんだ」
「そういう奴なんだ。気にするな。それはお前にも言えるからな」
『また変なの拾ってるな……』とでも言いたげなロンの目に、お前だって変なのだろと思いながら、アラタメが適当に指差した中華料理屋へ入っていく。
近未来だというのに軋んだ音を立てるガラス戸を押して、入店すれば中々の繁盛振りである。小汚いが。そこは味で勝負って所だろう。たぶん恐らく。
「三人で」と忙しなく働くおばちゃんに声をかければ、ちょいと店内を見回した後、「相席でよろしいですか」と素っ気なく言われた。まあ良いだろう。
「相手の方が困りそうだけどな。斑髪に半裸野郎とか」
「そうだな。くれぐれも失礼のないようにしろよ、君」
「おいおい俺が異世界では品行方正で通っていたのを忘れたのかよ」
「飯が気に入らねえからって暴れ出さねえで下さいね、旦那」
「おいおい俺がこの世界で模範囚として過ごしていたのを忘れたのかよ」
「つまりは不安ではないか」「でさぁ」と言われながら、案内された卓に行き着く。そこでは男が一人、非常に不味そうな顔でラーメンを啜っていた。
視線が交差する。見覚えのない、顎髭を生やした眼光鋭い男である。彼は陰気な雰囲気をそこら中に振りまきながら黙々とラーメンを啜っていたが、こちらを見るとぎょっとした顔を浮かべ、瞬時に懐をまさぐって舌打ちをした。
「だから銃の携帯を常時許可しろと言っているのだ。こうして害獣が檻の外に出たときに、直ちに駆除しなければならないというのに」
「その口振りはもしかして、何時ぞやに出会った軍人指揮官君。ひょっとしてクビにでもなった?」
「なっていれば良かったのだが、生憎今日は非番だよ。この緊急事態に非番継続中だ。それは貴様……らのせいか?」
どこかで聞いた声だと思ったら、少し前にヨビソン爺さんへの尋問目的に島へ訪れた指揮官君であった。彼は俺を睨み付けながらも、その中途で視線をロンに向け、眉間に皺を寄せた。
「存在がどうとかではなく、普通に公然猥褻罪だな。所轄の警邏に連絡してやろう。ここよりは上等な飯を食えるだろうしな」
「あんたの存在以上に出て行きたくなる言葉を聞いたんだが」
「安いだけが取り柄の店だ。小汚い店など味も小汚いに決まっている。まあ食いたいなら食っていけ。今の世の中では貴重な体験が出来るぞ」
そう言って彼は箸で空いた座席を指し示し、俺達はそれぞれ座った。アラタメは彼の言葉に謎にワクワクとして「どれが一番不味そうですかねえ旦那ぁ!」とメニューを見せてくる。店のおばちゃんが無表情でじっと見つめているぞ。
「この店はともかく、俺が中華料理で一番不味いと思ったのは皮蛋だな……。子供の頃に美味いから食えって食わせられたんだけどクソ不味かった。そもそも作り方からして正気の沙汰じゃないだろあれ」
「残念だが、この店では皮蛋は美味い部類に入る。何せ業務用の物をそのまま出しているからな。私が食っているラーメンなど酷い物だ」
「何でそんな店が繁盛しているんだよ……」
「安いからだ。そしてこの町に住む輩はまともな舌を持っていないからだ。そろそろ引っ越そうと思う」
そう言って現場指揮官君は「言い忘れていたが、甲斐だ」甲斐は非常に不味そうな顰め面でラーメンを啜った。
そこまで言われると興味が湧いてきたので、彼に合わせてラーメンを注文する。醤油とか味噌とかもなくラーメンである。アラタメとロンも同じ物を注文し、数分もしない内に出てきた。
「はいどうぞ。三人分ね」
「へえ、へえ。不味い割には普通の見た目をしやがってるじゃねえですかよ」
「そんな事を面と向かって言うなアラタメ。毒でも入れられたらどうする」
「入れませんよ毒なんて」
見た目は普通の醤油ラーメンである。具材は叉焼とメンマとナルトにネギとワカメと、実に古典的な顔ぶれだ。
「君が昔語った物をこうして食せるとは、泰平の世も意外と悪くないな。しかし不味いと言う割には中々の香気が漂うではないか」
「味だって悪かねえですぜ普通のラーメンでさあ何が不味いだよてめえ無駄に期待しちまったじゃねえかよええ?」
「うん。美味い。こういうので良いんだよこういうので」
特筆して語るところのない味だが、それが安心できる味であった。これで500円なら十分安くて美味いだろう。甲斐の奴は何を不味そうにしていたのだろうか。
しかし彼は不思議な物でも見るような目で俺達を見、侮蔑するように「貴様等の舌も腐っているのではないか?」などと抜かす。
「味がないだろうこの料理には。この店の料理には殆ど味がない。強いて言えば貴様の言った皮蛋やら搾菜などだけがまともな味をしている。……だろう?」
「いや、美味いが。美味いな。なあ君、美味いぞ。おかわり良いか?」
「旦那ぁ、こいつの舌が特別おかしいだけみたいですぜ。刺激物にしか反応しない舌でさあ」
そう言ってアラタメがべーっと悪戯っぽく舌を出す。長っ。蛇みたいな舌をしている。あと食事中にそんな事をしちゃいけませんよ。ばっちいでしょうが。
しかし甲斐は心外そうに水を飲み、煙草の火を付けた。食事中に吸わないで欲しい。
「な訳があるか。私だって普段の食事には味を感じる。支給品のこの煙草も美味いと感じるのだ。私の舌は正常だ」
「うげえ喫煙者! そりゃあ舌もおかしくなりまさあ。しっかし煙草言う割には妙な匂いもしやがりますね。煙草じゃねえんじゃねえのかそれ」
「アラタメの言うとおりだな。それ碌でもない薬効入ってるぞ。毒か何かじゃないのか」
「なんだと。マジか」
そう言って甲斐はしげしげと煙草の箱を見つめた。表面には『対精神異常・七』と仰々しい字体で書かれている。やっぱり碌でもなさそうじゃねえか。
異世界から帰ってきた勇者、監獄にぶち込まれる 生しあう @nameshowyou
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