第25話 魔法使いとの再会
思い出は少女の形をしている。美しい瞳を備えた少女は、その柔らかな唇で一つの歌を歌うだろう。『どうして私は美しいのか』と。
思い出ほど美しい物はこの世になく、いっそ未来よりも尊く輝く。成程、夢想に生きることは耽溺である。しかし現実に生きることは飽和である。
生きるということは選択し、行動することである。しかし、際限なく繰り返される選択の内に、やがて決意は無為に帰し、決断も単なる反応へと変わる。
だからこそ思い出は美しく、そして耐え難い。かつて若々しかった自分は、若々しいだけの判例になり、やがて判例さえも打ち捨てられることになるのだから。
……ここに一つの追憶がある。
『ああ、私もどうか連れ去って下さい。貴方だけに全てを押し付けるなど、この世界の人間として、いいえ。貴方の妻として耐えきれないのです』
黄金の目と髪色の、美しい少女が俺を引き留めている。夜の王城は静まり返り、月光が冴え冴えとして窓辺から差し込んでいた。
『それでも置いていくというのならば、今ここで斬り殺して下さい。私を殺して下さい。ああ、私は貴方の記憶の中に、美しく在りたいのです。貴方に討ち滅ぼされる者ではなく、美しく笑っていたい』
彼女は縋り付き、涙を溢して笑っていた。月光が肌を青白く輝かせ、一筋を引く雫を煌めかせた。
それでも俺は一人で行った。身体も命も連れ出さず、ただ言葉だけを胸に夜を駆けた。
彼女と再会したのは、その数年後。燃え上がる宮殿での事である。
『殺しましたね』
父母の亡骸を抱きかかえ、彼女は美しく笑っていた。少女はいつの間に女になったのだろうか。まるで他人のように俺を見つめていた。
『分かっていたことです。殺さなければならなかった者共です。だからこそ、私は貴方を恨むのです。どうして私を殺さないのか』
聖剣からは血が滴り、ガタガタと奇怪に震えている。焼け落ちた天井が轟音を立てて崩れ落ちる。幾多もの悲鳴が聞こえている。
『貴方は私に酷いことをする。貴方を嫌悪するこの世界に、君臨しろというのです。私に貴方を恨めと、貴方を殺せというのです』
首に刻まれた魔法が熱を発し展開する。痛みが走る。血飛沫が迸る。その血潮を受け、聖剣は宙を舞い、怨敵を討ち滅ぼすように魔法を切り裂いた。
『酷い、本当に酷い人。女神すら貴方を望まぬというのに、それでも貴方は世界のために。だから私にやれと言うのですね。悍ましく汚らわしい女王を』
彼女は父母の瞼を閉じ、俺に手を伸ばした。細く儚い指先は俺の手を取り、彼女は小さく歌い始める。それに合わせ、俺達は踊った。
『今ここで、死ぬことを、許されるのならば。永遠に美しく、貴方の傷になれるのなら。私はきっと、魂から、幸福に包まれて……』
ああ、それは懐かしい踊りだった。結婚式の為に練習した、美しい思い出の結晶。
彼女はきっと、決別のために歌い、踊った。
『女神すら救えぬ世界を、人の手で救おうとすることが間違っているのです。何故、貴方は善い人なのですか。何故、貴方は救世主で居続けることが出来るのですか』
星が落ちる。星天に炎が舞っている。女神の声が雷鳴のように落下し、大地を燃やして腐臭を放つ。
『死んでしまえ。死んでしまえ。尽く死に絶えて、あはは。ああ、ああ……。そんな顔を浮かべないで下さい。ああ、間違っている。だから貴方は選ばれて、だからこそ、全てが間違っていた』
彼女は俺に口付けをして、何かを見送るように微笑んだ。
『だって……人の世に、貴方のような人間が、居て良いはずがないのだから』
その言葉と共に彼女は。
「おはようカワセミお兄ちゃん! ってすっごい顔だねどうしたの? 寝不足?」
「物凄い悪夢を見たんだ。朝っぱらから飲みたい気分だ。おい爺さん酒をくれ」
「不健康な奴じゃのう。そんな酔いたいだけの奴にはやらん」
「けっ、そんな理由がなくてもくれねえくせによ」
あー吐きそう。マジで吐きそう。どうせ夢を見るなら楽しい夢を見させろよ。おい脳味噌どうなってんの? どこに文句言えば良いわけ?
カラカラと車椅子を回して「……はい」とオワリちゃんが水を持ってきてくれた。ありがたいし「ありがとう」と言ったが、今だけはその手を取りたくない。「そこ置いといてー……」と言うのが精一杯である。
「……体調、悪いんですか? マムロ先生に見て貰った方が良いのでは」
「いや悪夢を見ただけだから大丈夫。それに今の頭でマムロ先生見たら余計悪化しそうだわ」
「あれと生活している時点で精神に悪影響が出ていそうじゃがの」
「言えてるー!」
そんな事を言っている内に「いやメチャクチャ失礼ですね」とぬるっとマムロ先生が現れた。触手には固定電話を抱えている。そのコードどこに繋がってんの? 何か触手の中に埋もれているんだけど。
「カワセミさんにお電話です。どうぞ」
「電話? 俺に? なんで?」
「お知り合いじゃないんですか? ユラウさんと名乗っていましたが」
「えっ、あいつが?」
電話とか使えるのかよ魔法使いのくせに。と三角帽子に夥しく魔道具を吊り下げた姿を思い出しつつ受話器を取る。というかどうやってどっから掛けて来てんだろ。
「はい人見です」
その声にザラザラとノイズが聞こえる。ややあって返答が聞こえた。
『やあ、元気かい。念願の地球暮らしの心地はどうかな』
「監獄にぶち込まれたが苦労はしてないね。ゲームも漫画も事欠かねえ」
『それは僕も苦労した甲斐があるというものだ。近い内に会いに行こう。今どこに居るんだい?』
「それが分からないんだよ。東京都の海に浮かんでいる島らしいって話だが、それが本当かどうかは知らん」
『冗句じゃなく本当に監獄に居るのか。そこに腰を落ち着ける君も君らしいが』
はは、と軽い笑いが電話口から漏れる。同じく俺も笑った。それにメルニウスが物珍しそうな顔を見せ、「貴様にも友が居たのか」と大変失礼なことを言った。
「で、何か用事か? 今から酒を調達して酔っ払おうと思っていたんだが」
『用事がなければ電話しちゃいけないのかい? 酷い奴だな、君は。まあ用事があるのは本当だ』
「何さね」
『地球の状況が、君が言うところのファンタジーになっていることはもう知っていると思うが、そちら側で動きがあってね』
「お前知ってたのかよ」
『知っていたが、まあ別に良いだろう? それでどうやら聖女様が君の存在を嗅ぎつけたらしい。だから僕を捜し回って面倒な事この上ない。どうしてくれる』
「お前愚痴を言いに電話掛けたのか」
というか室戸の野郎喋りやがったな。と言うよりも、思ったより室戸と聖女様の関係が容易い物だったのか。毎日問い質すくらいは聖女様ならやりそうである。迷惑掛けてるなあ。何だか申し訳なかった。
『そちらよりはこちらの方が手を回しやすいと言うことで、魔法使い総動員で大陸中を駆け回っているよ。熱心なことだ。恋文の一つでも出してやったらどうだい』
「んなもん送ったらお姫様がブチ切れるわ」
『……あの女に気を遣う必要はもうないだろ。まあいいや。休めば気も変わるだろう。それで、そちら側でも接触はあると思う。面倒だったら僕が隠してあげようか?』
「いや、いいや。何かここ手を出すのが面倒な場所らしいし、漫画もゲームもあるからギリギリまで居るわ」
『どんな場所に腰を落ち着けたんだよ君は。気になってきたよ。僕も、こうして声を聞いていると君が恋しくなってきた。今から会いたいな』
人嫌いのくせに孤独は嫌いとは面倒な奴である。しかし今から会うと言っても準備も何もしていないだろう。
と思ったら『丁度良いのがそっちにあるね』という言葉と共にプツリと電話が切れた。相変わらず勝手な奴である。
「あれ、もう終わりですか? 会話を楽しんでいたようですが」
「何か知らんが切りやがりました。そういう奴なんです」
マムロ先生に電話を返し、その電話がにゅるにゅると触手に吸い込まれるのを見て奇怪に思いながら、さてアラタメに酒でもねだろうか、と思ったら何かカナナナくんが叫びだした。
「うわ何この人!? えっ逆に!? 逆に入ってくるの!? うわ凄いよ。うん良いよ!」
「えっ、どうしたのカナナナくん」
「何かね、カワセミお兄ちゃんと会いたい人が居るんだって! それで僕を通じて──」
バタンとカナナナくんが倒れた。「マムロ! 医者を呼べ!」「ここに居ますよメルニウスさん!」と慌ててマムロ先生が身体を抱え、みそぎさんも何故か体温計を取り出したが、しかしその心配は要らなかった。
カナナナくんの目は直ちに開き、黄金の瞳で俺を見定めたからである。その表情は常の快活なそれではない。見覚えのある柔らかな物だ。
それは、先程まで電話をしていたユラウであった。どんな手段を使ったのかは知らんが、カナナナくんを乗っ取って現れやがった。
「やあ、来たよ。なんだいこの少年は。界を超えて万物を見定めるなんて人の手には余る物だろう。まあ、おかげで来られたのだから悪くは言わないけどね」
「おいおいカナナナが乗っ取られたのじゃが。カワセミよ、お前の友人は精神兵器か何かなのかのう」
「失礼なことを言わないでくれよお爺さん。僕は魔法使いさ。しかし君、肌艶が良くなったね。安心したよ」
「おい貴様、我が臣民の身体を乗っ取るとはどういうつもりだ。客将の友という立場は決して高くはないぞ」
「変な人ばかり居るねここは」
ユラウは威圧的に睨み付けるメルニウスに苦笑し、オワリちゃんに目を向けて「うわ」と嫌そうな顔を浮かべた。露骨である。
「……カナナナくんの顔で、そんな表情を浮かべられると、嫌なんですが」
「嫌なのはこっちだよ。なんで君みたいな奴がカワセミの傍に居るんだよ。うわあ嫌だな。ここから出ようよカワセミ」
「本人に罪はないし」
「……悲しいです。カワセミさんは中々心を開いてくれません」
「開くわけないだろ。君みたいな奴に」
そうユラウは冷たい目でオワリちゃんを見つめる。というかカナナナくんの顔と声でやっているから違和感が凄いな。何か見ているだけで精神的ショックがあるんだが。
「というか、客人が来たのにお茶も出ないのかい? いや監獄だったっけここは。だったら看守はどこに居るんだい。こんなにくつろいでさ」
「ここは監獄ではなく病院です。貴方はカナナナくんではありませんね。今すぐ出て行きなさい。患者の精神に入り込むなど最低の行いです」
「うん? なんだいこの悍ましい声──」
「あっ」
振り返り、マムロ先生の姿を真正面から見つめたユラウがぶっ倒れた。精神防壁は十分なはずだが、マムロ先生の姿はそこまで悍ましい物だったのだろうか。
と、マムロ先生が再び電話を取り出して不機嫌そうに俺に投げた。「もしもし」と取ればユラウである。
「どうしたお前、弱くなった?」
『いや君ね、あんなのが居るなら最初に言ってくれよ。あの子の目のせいで全部理解しちゃったじゃないか。勘弁してくれよ』
どうやら組み合わせが悪かったらしい。カナナナくんはすぐに目を覚まして「またねー!」と虚空に向けて手を振っている。みそぎさんは「検査しましょうかあ?」と心配そうに見つめているが、大丈夫だろう多分。
『またね、カナナナくん。それでさあ、ちょっと今の衝撃で居場所がバレそうなんだけど、どうしてくれるんだよ。君のせいだよ』
「勝手に来たお前が悪いだろ。こっちだって時間がありゃ危険性を伝えられたってのに」
『まあそれはそうだけどさ。でも今すぐに君に会いたいという僕の気持ちを汲んでくれたって良いじゃないか。酷い奴だな、君は』
「あー、その酷い奴っての止めてくれ。神経が苛立つ」
『……悪い夢でも見たかい』
「まあな」
その言葉に少しの沈黙が下りた。舌打ちはなかったが、溜息にも似た短い吐息が聞こえ、ユラウは言った。
『……僕が旅路を共にしたのは、世界を救うためじゃなかった』
「知っているが」
『大人しく聞けよ。愛の告白なんだから』
「すまんな」
『……何時か、あの女を殺してやる』
「そうなる前にお前を殺すよ」
『酷い奴だな、君は』
乾いた笑い声が聞こえて、電話が切られた。
さて、アラタメに酒をねだりに行こうか。
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