第26話 二日酔い語り
「聞きやしたよ旦那ぁ」
「んあ? 何?」
二日酔いの残る頭でスケッチをしていると、妙に不機嫌そうなアラタメに絡まれた。というか全然上手く行かないなこれ。メルニウスの真似をしてみたが俺に絵心はないらしい。
「へったくそな絵は止めて話聞いて下せえよ旦那。お嬢さんから聞きやしたがね、何でも旦那には昔の女がいるとか」
「率直に言いすぎだろ……。いや昔の女って言うか何というか。どうなんだろうな頭痛え」
「けーっ世界ごと捨ててきたのは事実でしょうが男らしくねえの未練がましい男は嫌いですぜ。んな女さっさと忘れちまえば良いのに自分で捨てたんでしょうがねえ?」
「まあ事実ではある」
しかし捨てたというか、俺とお姫様の関係は一言では言い表せないし言い表す意味もないし言い表したくもないので黙っていることにする。その内にオワリちゃんまで耳聡く聞きつけたのか寄ってきた。
「……カワセミさんの、昔の女の話ですか!」
「なんでえ何時になく語気が強えなお嬢さん。ちょっとびっくりしやしたぜ」
みそぎさんが洗濯物を干しているので、オワリちゃんは片腕だけでがっしがっしと車椅子を回してきた。見た目に似合わずパワフルだよなこの娘。
「……実は私、まだ実在を疑っているんです。もしかしたら体の良い断り文句、イマジナリーな彼女なのではないかと」
「ええー俺ぁあり得そうな話だと思いやすがねだってそうじゃねえとインポじゃねえですか旦那俺が居るのに」
「お前ら好き放題言ってくれるな」
というかオワリちゃんは苦手だしアラタメも正直言って苦手なのである。血に酔った戦闘狂はもうこりごりなのだった。昔の自分を見ているようでな。
「じゃあ、信じられないなら語ってやろう。存分に惚気てやる。覚悟しろよ」
「うへえ今の女に昔の女語りやがるとかどういう神経してやがるんですかい旦那。俺じゃなかったら百年の恋も冷めてやすぜ」
「……今の女でもないでしょう。あと、私も冷めません。ちょっと軽蔑しますが」
蒼天を見上げて俺は過去を思い出す。十年前の事である。
「黄金の目に髪色をした、大層美しい少女だった。最初から彼女は俺に惚れていてな、まあ嘘だったんだが。俺も彼女に惚れたのさ、まあ思考誘導されてたんだが」
「へへっ、開幕から雲行きが怪しくなってきやしたぜ」
「そこからは王道の物語さ。連合国家の支援を得て、ばったばったと魔物を薙ぎ倒し、盗賊を討伐し、戦争に介入したのさ。途中で『なんで魔王倒さずに戦争してんだよ』とは思ったんだが、その時には首輪が完全に締まっていてなあ」
「……王道? それって王道なんですか?」
オワリちゃんが不思議そうに首を傾げるが、実際そこまではまだ王道だった。何せ民衆は口々に俺の活躍を褒め称えていたからな。
十の魔王を撃滅せんと異界より現れし神使。人類守護の救世主と、凱旋の度にパレードが開かれ、随分気をよくした物だ。
「で、一年くらい経ってようやく魔王を一体殺したんだが、その時に出た被害が馬鹿に出来なくてな。大陸の中でも有数の山脈を丸ごと潰しちまったもんだから、お偉いさん方はカンカンよ」
「何とやり合ったんです山脈とか」
「でっかい象。というか獣? 殺すまでは上手く行ったんだけど死体の処理がなぁ……」
すっげえ臭かったのを良く覚えている。そして試しに食った肉がクソ不味かったのを良く覚えている。
「で、その祝福というか報酬としてお姫様と結婚したんだが、まあお姫様が俺を恐れてな。魔王殺した影響か首輪も緩み始めてたし、もう完全に使い潰す方針よ」
実際、王様は女神のクソに新しい勇者をくれないか頼んでいたらしいが。そうポンポンと救世主は作れないらしく続行と言うことになったのだった。
「しかし! ここが俺の偉いところでな、恐れ敬うお姫様に向けて必死に人間アピールの日々さ。これが上手く行った。初めは思考誘導でも恋は出来るって事! 蜜月の日々は美しく、我が青春の時代は輝かしい……」
「くせー。絵だけじゃなく詩も下手なんですかい旦那」
「うるさいな。恋文に関しては勉強する暇がなかったんだ。全部口頭で伝えていたからな」
で、どうなったんだっけ。ああそうだ。結局連合国家を裏切って世界中を荒らし回り、お姫様を利用してお偉いさんの首全部切り飛ばしたんだった。聖剣ちゃんをものにしたのがデカかったな。彼女が居なきゃ女神のクソに対抗できなかったし、マジで良い子。
それでお姫様は王女様となり、いやお姫様はお姫様なんだが、彼女の下で魔王を殺しまくって戦争を起こす奴等も殺しまくって、女神も殺してそれで終わりだ。俺の十年間を大幅に簡略化するとこんな感じである。
いや端折り過ぎたかな。実際には国々の緩衝とか秘宝探索とか色々あったんだけど、大事なのは俺とお姫様だからね。俺ってばお姫様がいないと駄目な男だから。
そういう事を良い感じにまとめて二人に伝えると、「えー」と微妙な反応である。
「いや肝心な別れたのか別れてねえのかの話がねえじゃねえですか旦那。そこが重要なんじゃないですか愛想尽かした女にナシ付けるか放っておくか決めなきゃいけねえんですぜ俺ぁ」
「そこは曖昧に残しておくのが綺麗だろ?」
「……もしかして、別れ話を切り出す勇気がなかっただけでは? 私が代わりに言ってあげましょうか?」
「そんなお母ちゃんみたいな真似しなくていいから」
いやまあうだうだ言っているがオワリちゃんの言葉は図星であった。俺が壊した女にどう接すれば良いんだよ。もう彼女のことは分からない。いや、分からないと決めつけて逃げているだけだった。
青春の日々は美しく、青年の日々は苦かった。政治と流血に彩られたそれは、思い出と呼ぶには生々しく、痛みを伴って疼く。
客観的に見れば二十六にもなって何を下らねえ恋愛ごっこしてんだとは思うが、しかし、思うに俺の内心は、この十年間を大した成長も過ごしてきた。未だに好物はステーキとラーメンだし、アニメとゲームと漫画が大好きだ。
大人という物は何だろうな。十年前に俺にそう問いたい。まあ返ってくる言葉は『恥ずかしいこと言ってんじゃねえぞおっさん』だろうが。そういう奴だったよ俺は。
「オワリちゃんはこんな大人になるなよ。なんて、それこそおっさんそのものな警句だな」
「……ふふ、安心して下さい。私は大人になれませんから。その前に父に殺されるでしょう」
「そういうことを言うと、後になって枕に叫びたくなるから止めておきなさいよ。何を馬鹿なことを言っていたんだってな」
「……カワセミさんが、私をそうしてくれますか?」
「君が望むなら、多分ね」
子供を守るのが大人の役目なら、俺は十分に大人である。その点で言えば文句は言わせない。世界だって救ってやろう。君が生きるための世界を。
なんて、世界のために一人をぶっ壊した俺が言えた義理ではないが。だから言わない。今の俺は責任を負わないと決めているのだ。救世主は一度やれば満足だ。
その内心を押し留めた沈黙に、オワリちゃんは腕を伸ばした。「……顔を」指先に目を合わせれば、細く白い爪先が頬を撫でる。滑らかに肌を撫でていく。
「……ふふ、何故でしょうか。偉いですねって、褒めたくなってしまいました。カワセミさんは、とても偉いです」
「ありがとう。誰かに褒められるのは何時だって嬉しいよ」
「……そういう、捻くれているのに、時々素直になるのが好きですよ」
オワリちゃんは微笑んで「私も、私もね」と左腕を伸ばした。生身の右腕と、包帯に包まれた左腕が、俺の存在を確かにするように撫でていく。
それは祝福するようだった。存在の意味を確かにし、生存の理由を証立てるように、彼女は俺を抱いていく。
と、その抱擁を横から掻っ攫うように鼻先が摘まれた。アラタメが半目でつまらなそうに俺の鼻を摘まみ上げていた。
「なんでえなんでえ良い雰囲気じゃねえですかよ俺は無視ですかいええー? けっこのロリコン野郎がやっぱり口から出任せ言ってんじゃねえのか浮気野郎」
「そういや今の俺って結婚してんのかな。どうなんだろ。誓いを立てた国も女神もいなくなっちまったし、ひょっとしたら国ごとなかったことになってるのかもしれん」
「おっ遂に観念して女遊びの言い訳作りですかい。だったら俺と逢い引きしやしょうぜ旦那ぁお嬢さんだけ狡いですぜ」
「島を散歩するだけなら一時間もせずに終わるぞ」
小さな島だからな。人が歩けるのはグラウンドかその先の船着き場ぐらいしかない。監獄がある小山の向こうも歩いたことがあるが、とてもではないが港にもならない断崖があるばかりである。
出来るとしたら虫取りか釣りくらいである。童心に返っても良いだろうが、しかしアラタメは「いやいやきっちりデートしやしょうぜ男と女なんですからよぉ」と懐から一冊の本を取り出した。
見覚えのある、じゃんじゃん東京マップである。各ページに色取り取りの付箋が貼られ、アラタメは「魔都は外せやせんよねぇ」と楽しそうに眺めているが、行けるわけないだろ虜囚の身なんだから。
しかしアラタメは自信ありげに笑った。
「なあに、他はともかく旦那なら外出ぐらいは出来やすよ。俺が触手先生に掛け合ってみせやさあ。だから上手いこと行った暁にゃ頼みやすぜ」
「おう、期待せずに待ってるぜ」
「言いやしたね確かに言いやしたね旦那ぁ! ひひひ楽しみだなぁ旦那との久々の都会巡り!」
ひゅうひゅう口笛を吹いて上機嫌にアラタメは去って行った。「……無理じゃないですか?」とオワリちゃんは言うが、確かに無理そうである。
しかし、もし外出できるのならばそれはそれで嬉しい物だ。たとえそれがアラタメとの二人旅でもな。
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