第16話 時計塔へ




「……そういえば、カワセミさん。明日はお暇でしょうか?」

「そうとも言えるしそうでもないとも言える」

「……では、お暇と言うことで。準備をしていて下さいね」


 そんな事をオワリちゃんが言ったのがつい昨日の事である。何か気の利いた遊びでもするのかな、とその日の朝もヨビソン爺さんとメルニウスとの三人で三麻をしていたところ、不意に「……来ましたよ」と言われた。


「いや全然来てねえんだけど。何? 俺って呪われたりしてる? そういうの全部聖剣ちゃんが断ち切っているはずなんだけどな」

「寧ろ断ち切っているからじゃろうが。流れも運もお前には何もないのじゃ」

「死ねカワセミ! 国士無双!」

「ぐああああああああ!?」


 メルニウスに殺されたところで「……いいですから」とオワリちゃんがせっついてくる。その傍にはみそぎさんがにこにこと笑みを浮かべており、その手には……何あれ? 拘束具? 物々しい何かを持っていた。


「ハロウィンの仮装にはまだ早いだろ。それとも何、ここはオーストラリアだったのかな?」

「……お願いですから、着替えて下さい」

「しょうがないな、頼まれちゃあ。元勇者とか関係なくな」

「ふっ、逃げるかカワセミ」

「うっせバーカ」


 逃げるのである。メルニウスのバカヅキには勝てる気がしないので、オワリちゃんの謎の誘いにホイホイ着いていった。


 空き部屋の中で俺は白い衣服に手を通した。良い生地使っているな。シルクか? というか黒いベルトがじゃらじゃら付いていて、これじゃあ本当に拘束服みたい。


「じゃあ締めますからねえ」

「え?」


 そう言ってみそぎさんは俺の両腕を畳み、ベルトを巻き付けた。それと同様に前進をベルトで固定され、腕も足も動けなくなったところで車椅子の上に乗せられた。


 極めつけは、顔の下半分を覆う鉄製のマスクである。息も吸えるし声も出せるが、動き辛いことこの上ない。


「みそぎさん、何なんですかねこれ」

「ごめんなさいねえカワセミさん。でも、今のカワセミさんが外に出るには、これくらいはしなくちゃいけないんですよう」

「えっ、外に行くんですか俺」

「外の景色に興奮して暴れちゃったら、一番傷付くのはカワセミさん自身なんですよう! それをどうか、分かって下さいねえ」


 よよよ……と悲しそうに涙を流すみそぎさんからはまるで情報を得られない。そもそも得られる情報に信頼がない。何せ推定邪神の眷属である。そんな気配が全くしないのが本気で異様だが。


 カラカラとみそぎさんに車椅子を押され、ラウンジに戻った俺を出迎えたのは爆笑の渦だった。メルニウスでさえ大口を開けて笑っていやがる。カナナナくんなど涙さえ流していやがる。おう爺さん、写真を撮るな。


「おいおい逃げた罰にしちゃ気合いが入りすぎておらんかの! 傑作じゃ!」

「もうそれ絶対笑わせようとしているじゃん! あー見なくて良かった! 急に拘束されて出てくるんだから!」

「褒美を取らせてやる。今後も急にそれを着て我を楽しませる役目をくれてやろう」

「好き勝手かお前ら!」


 まあ確かに、俺もたとえば爺さんが「なんじゃなんじゃ」とか言って出て行った数分後、思い切り拘束されて出てきたら大爆笑するだろうが、それにしたって態度が酷い。こっちはまだ何も状況が掴めていないんだぞ。


 と、その爆笑の中から不意にコツコツと硬質な靴音が聞こえた。ここは土足厳禁だってのにふてえ奴である。しかし誰だ。マムロ先生はそんな音を立てやしない。


 そう思ってみれば、そこにはオワリちゃんが立っていた。


「……確かに、仕方がないこととは言え、ちょっと面白い格好ですね」

「オワリちゃんも面白い格好してんじゃねえか」


 その言葉に彼女は微笑む。右目が柔らかく閉じられる。左半分の顔は、これまた拘束具のような黒い眼帯で覆われて見えない。


 彼女は普段の白い病院着とは正反対の、黒い、ひたすらに黒い服を纏っていた。それは衣服でありながら金属めいており、やはり拘束具の感を覚えさせる。


 両手には黒い手袋を付け、軍服のような硬い上にズボンの下と、顔以外の肌の露出はない。彼女は「さて」と艶やかな革靴を鳴らし、白髪を靡かせて俺に近付いた。


「代わりましょう、みそぎさん。私がカワセミさんを押してあげるのです」

「気を付けて行ってらっしゃいねえ!」

「えっ、どこに行くの? ねえ俺まだ何も聞いてないんだけど?」

「外です」


 爆笑しながら手を振ってくる皆に「首を洗って待っていろ」と返し、三つの鉄扉を抜けて外へ出た。こんな服を着て散歩かよ、とは思わなかった。何せグラウンドには一台のヘリが留まっていたためである。


 静止したヘリの前には一人の女性が立っている。厳しい表情を浮かべた、年若の女である。といっても俺と同じくらいだろうか。何故か、本当に何故か、丈の長いメイド服を身に纏った彼女は、俺達の姿を認めると一礼して言った。


「お待ちしておりました、終様。そのお方が、件の」

「ええ、元勇者のカワセミさんです」

「では、お手を代わりましょう」

「いえ、触れないで下さい。噛み付きますよ」


 そんな人を猛犬みたいに言うなよ。メイドさんは厳しい目を俺に向けている。その首筋には古傷が見えた。戦闘者の気配か。単なるメイドさんという訳ではないらしい。なにそれ格好良い。


 ガタガタと音を立てて車椅子ごとヘリに乗り込む。運転手さん……ヘリも運転手さんで良いのかな? ともかくその人の姿は見えない。何せ操縦席との間には壁があり、窓も無いため、何も見えないのである。


 ひゅうひゅうとプロペラが回転し始める。「申し遅れました」オワリちゃんの向こう側に腰掛けたメイドさんが言った。


「私は終様に仕える者。名を革と申します。短い間ではありますが、よろしくお願いします」

「カクさんか。じゃあ見えない運転手さんがスケさんかい?」

「違います」

「この人は単なるパイロットですよ、うっかり八兵衛さん」

「風車の弥七の方が良いな。だって俺ってイケメンだろ?」


「ふふ」とオワリちゃんが笑った。


 バラバラと音を立ててヘリは飛ぶ。退屈な空の旅である。動けないし。


 オワリちゃんはカクさんに差し出されたお菓子を「あーん」と差し出してくるが、口元に開けられた呼吸用の穴からじゃ食い辛過ぎる。ぼろぼろと膝元にこぼれ落ちた。


「それでも美味いなこのクッキー。どこのバター使ってんの? それと喉も渇いてきた。お茶くれ」

「ふふ、どうぞ」


 立派な陶磁器に注がれた紅茶にストローを差して飲む。熱い。「そして美味い」その言葉にオワリちゃんは微笑んで、それをカクさんが冷たい目で見つめていた。


「終様が世話をせずとも、私が務めます」

「駄目です。カワセミさんの飲食は私が管理します」

「……私は信用できませんか?」

「父から差し向けられた全ては、私を殺すように出来ているので」


「妹さんは違いますけどね」オワリちゃんの言葉にカクさんは顔を顰めた。


「改は……あの子は、支離滅裂です。終様も、あれと親しくし過ぎませんように」

「おっ、なになに。あいつのお姉ちゃんなのカクさん。じゃあアラタメがスケさんな訳だ」

「カワセミさんは水戸黄門が好きなんですか?」

「別に」


 子供の頃に見たドラマが元の世界を懐かしむのに丁度良かっただけである。今となっては紋所を出しただけで悪人共が平伏すとは、どれだけ権力者が強い世界なんだとは思うが。


 それも平和な証なのだろうか。いや逆に戦乱の残滓を色濃く残した時代だからこそ、権力は強く作用するのだろうか。


 分からん。政治は何も分からない。だから投げ出してしまった。


「まあとにかく、そろそろ事情を説明してくれ。どこに何をしに行くのさ」

「時計を食べに行きます」

「おっと、異世界言語に慣れすぎたかな? 日本語が分からなくなっちまったようだ」

「事実ですよ。今度の食事は時計塔です。大きすぎて動かせないので、私の方から出向くことになったのです」


 あの宝石や魔剣と同じような物が空に向けて聳え立っているというのか。どんだけファンタジーになっているんだこの世界は。


「フライトのスケジュールは?」

「出発時刻が八時十五分。到着は九時三十分を予定しています。到着後、終様には可塔花月様と面会して頂き、追って儀式を行って頂きます」


 ヘリで一時間となると関東圏か。さほど遠い場所ではないようで何よりである。


 そうして暫くを機内で過ごして、到着した。ガタガタと車輪を震わせてヘリを降りる。数歩離れてすぐに飛び去っていった。これで帰宅方法は徒歩だけになったな。そして俺は歩けない。即ち詰みである。


 踏み入ったのは山中の村である。いや、村といって良いのか。深山の中、数軒の家が建つそこは、村と言うよりも個人的な別荘地のようにも見える。


 豪壮な洋館の周囲に、ぽつぽつと家屋を散らして、その中心に佇むのが時計塔だ。成程、碌でもない。オワリちゃんに依頼を向けるだけはある。少なくとも全てが虚偽の騙し討ちという線は消えたな。


「では、向かいましょう」


 そう言ってカクさんが俺達を先導する。洋館の前には出迎えもいやしない。時計塔の長い影が覆い被さり、陰鬱な印象を覚えさせる。


 件の時計塔はざっと二十メートルほどだろうか。文字盤は九時三十分丁度を指し示しており、巨大な短針に小鳥が近寄って地に落ちた。生命の全てが吸われて死んだのだ。


「ゲテモノだな」

「だからカワセミさんを連れ出したのですよ。私一人では、大きすぎて顎が疲れてしまいます」

「時計塔の解体ショーか。腕が鳴るな」


 しかし大物は大味で美味くないのが相場だが、そこは料理人の腕の見せ所だろうか。料理なんてしたことないけどな。肉を切って焼いたり煮ただけの物は料理とは呼ばないのである。


 カクさんは豪壮な両開きの扉に取り付けられたドアノッカーを鳴らした。それを待っていたかのように扉が開いた。迎えたのは白髪の老人である。それも執事服を着ている。何時から日本はメイドと執事が我が物顔で闊歩するようになったんだ。


「お待ちしておりました、尊神終様」


 老人はそう言って俺達を案内した。外観もそうだが、中もまあ陰鬱な気配で満ち満ちている。何らかの邪法や悍ましい術式がそこかしこから感じられるが、数が多すぎて判別が付かん。細かいの苦手なんだよな俺。全部吹き飛ばせば事が付くから。


 応接間が一階にあったのは幸運である。今の俺は背負って貰う必要があるからな。老人は扉の前で「尊神終様がいらっしゃいました」と恭しく言った。そうして返事を待たずに扉を開いた。


 革張りの椅子に腰掛けているのは四人である。中年の男女が二人に、若い男女が二人。顔つきが似通っているところを見ると家族か。


 彼らは睥睨するような目をオワリちゃんに向け、次いで拘束姿の俺を見てぎょっとした顔を浮かべた。


 うん。ドン引きだよな俺の格好。お前らにそう思われたくはねえけど。



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