第17話 皮肉とか言うな




「……で、どちらが尊神の神子なのかね?」


 中年の、白が混じった立派な髭を生やした男が、冗談交じりにそう言った。視線は確かにオワリちゃんを捉えている。それを諫めようともせず、隣の中年女はオワリちゃんを睨んでいる。歓迎されてねえな。


「私です。彼は私のお手伝いさんですね。カワセミさんと言います」

「よろしく」

「そいつは喋るのか。そんな格好をしているのに」


 愉快そうに中年男は笑った。気を利かせて『フシュー……!』とか息を漏らした方が良かったかな?


 しかし笑ったのは中年男だけで、中年女はオワリちゃんを睨んでばかりだし、若い男女は俺を上から下まで見つめて警戒するような顔を見せている。そりゃそうだとしか言いようがない。


「改めまして」カクさんが口を開いた。「そういやアラタメって変な名前だよね」「可塔花月様、急な人員の増加を快く許諾して頂き、誠にありがとうございます」視線は中年男を向いているが拳が握られている。怒った?


「いや、いいさ。こちらが頼む側だからな。それに生で尊神の神子を見られて嬉しいぜ。おい錦、客人を座らせないか」

「はっ」


 そう言ってオワリちゃんに椅子が出される。俺は? 車椅子だから必要ねえか。


 中年男こと花月は、そのまま部屋に腕を広げて「紹介しよう」と言った。


「これが俺の妻、古だ。で、そっちが息子の風来。あっちが娘の綾草。こいつが召使いの錦な」

「よろしくお願いします。尊神終と申します」


 示し合わせたように互いに頭を下げ、「さて」とオワリちゃんは言った。こうしてみると、彼女にも貴人の礼節という物が身に染みついていると分かる。余計に殺したくなってくるから困るな。


「早速、時計塔の解決に移りたいのですが、よろしいでしょうか?」

「まあ慌てなさんな。空旅も疲れたろう。それにアンタはあれだ、普段はロトゥムの監獄に押し込まれているんだろう? ここで羽を伸ばしたって、そこの召使いにも文句は言わせねえさ」

「尊神様の為に一室を用意しております。よろしければ、私がご案内致しましょう」


 何だか妙な心遣いだな。視線はさっきから歓迎してねえのに振りをしていやがる。


「なあ古よ」そう言って花月が妻に肩を回せば、彼女は「そうですね」とぶっきらぼうに答えた。


「一日一夜で終わるような物でもないでしょうし、宿泊は当然のことでしょう。どうぞ我が家をお使いなさって下さい」

「な? お前達も良いだろう? どうせ他にも客人がいるんだ。少し増えたって構わないよな?」


 その言葉に、風来は神経質そうな笑みを見せた。対して綾草は柔らかく微笑んだ。


「父さんが決めたことなら。それに、他にも居るのは、そうだしね」

「私は構わないわ。折角、遠くから来たんだもの。少しくらい休んでいかれても、ね?」


 へえ、へえ。歓迎していると。「ほら、皆がそう言っているんだ」花月が満足げに笑った。


 いやらしい、卑しい、含みのある態度。顔にも指先にも出やしないが、空気で分かるだろ。こういう殺して殺して殺し尽くしたい人間の性根って奴は。


 しかし羽を伸ばすという言葉は魅力的だ。俺だって羽を伸ばしたい。こう、柔らかなベッドにごろごろ転がってうたた寝をしたい。監獄のベッドも悪かねえけど、こういう高級住宅のベッドって気にならない?


 オワリちゃんも何かを感じ取ったのか、ふと振り返って俺を見つめ「そうですね……」と呟いた。


「カワセミさんはどう思います?」

「おいおい尊神のお嬢さんよ、俺はアンタに聞いているんだがな。なんでその囚人の意見を聞く必要がある?」

「それは俺がスペシャリストだからだよ。そうだろオワリちゃん? 分かるよ、分かる。嫌だよな、こういう奴等」


 彼女は小さく頷いた。視線が俺に集まる。その上で俺は言った。


「朝食の時間だってのに飯も出さねえからな。客人を舐めていやがるぜ」

「……はん。それは悪かった。おい錦、すぐに案内しろ」

「直ちに」


「グルメなんだよ俺は。不味い飯出したらただじゃおかねえからな」と、明らかに不愉快そうな視線に押されて部屋を出る。無理矢理ハンドルを握ったカクさんの苛立たしげな歩行に押されるまま、俺達は食堂に案内された。


 食堂には気取ったことにシャンデリアが吊り下げられていやがる。そんな物が点っていなくとも、大型の長テーブルには三つの大窓からの自然光が入り、テーブルクロスを白々と明るませている。立派な物だよ。カーペットの柔らかさをこの足で感じられないのが残念だ。


「カワセミさんは、ここに留まっても良いと思われたのですね」


 錦が飯を用意してくる間、オワリちゃんは言った。


「正直なところ、私には伏魔殿としか感じられませんが、カワセミさんにとっては穏やかな洋館でしょうか」

「穏やかだろ。鳥は飛んでいるし、空気は澄み切っている。別荘としては最上だ。あいつらが居なきゃなあ」


 帰りたさと留まりたさを天秤に掛けて、留まることを選択した。俺一人だったらとっくに帰っているが、オワリちゃんには事情がありそうだしなあ。


「実際、ここは別荘なのでしょう? カクさん」


 オワリちゃんに目を向けられて「そうですが、単なる別荘でもありません」と彼女は言った。


「可塔一族が有する別荘地の一つにして、古来からの本拠地です。現代はその居住地を東京に移していますが、魔導の一族としての本拠はこちらにあるようです」

「おっ、やっぱりあいつら碌でもないわけ?」

「……碌でもない、などという、失礼な言葉を、今後一切吐かないで下さい。終様の品位にも関わりますので」


 怒りを押し殺すように彼女は言った。こうしてみると、カクさんの中には確かにオワリちゃんへ向けた敬意というか、仕える先としての畏敬の念があるように思われる。


 それなのに素っ気ない対応をしているものだから、その分のショックと怒りが俺に向いているような気がする。いやーモテ過ぎちゃって困る事ってあるんだね! 代わって欲しいくらいだよ。こんな役目、誰にも代わらせないけどな。


 いや、もう終わったんだった。そうだよな。うん。


「はあい」と返事をすれば、彼女は溜息を吐く代わりに唇を噛み、訥々と話し始めた。


「……可塔一族は、古来より続く魔導の名家であり、現代においても有力な資本家です。十年前からの戦争を契機とし、その名を広く世に知らしめております」

「成り上がりにしちゃ古臭い時計塔だったが」

「あれは可塔一族の象徴にして、その魔導の結晶です。私も詳細は存じませんが、莫大な資金と年月を投入され、明治の辺りに建設された物と聞き及んでおります」

「まあ、そのせいで家は傾いたんですけどね」


 そう背後から声がした。見れば、食堂の扉口に一人の男が佇んでいる。長身の、細身の男である。スーツ姿にネクタイを締めて、一見してお堅いビジネスマンのようでありながら、薄笑いの下に獰猛な気配が感じられる。


 カクさんが何かに勘付いたように右手を動かしかけ、しかし手を止めた。お知り合いかな?


「可塔一族の命題とは時間です。しかし時間を手に入れるのに時間を掛けるとは皮肉ですね。秒を戻すのに年を掛けてしまえば、それは全く無価値な物だ」

「唐突な登場ありがとう。アンタの名前は?」

「奴等に聞いていませんか。やはり私は歓迎されていないと見える。貴方達の来訪は事前に通達されていたというのに」

「な、ま、え」

「工藤大全と申します。お見知りおきを」


「で、どちらが尊神終さんですか?」工藤はオワリちゃんを見つめながら言った。分かり切っている質問を投げ掛けるのは当世での流行なのだろうか。


「そっち」

「こっちです」

「初めまして。以前から噂は聞いていましたが、まさかこんな形でお目に掛かるとは思ってもいませんでしたよ」

「オワリちゃんって有名人なんだね」

「らしいですね」


 工藤は我が物顔で椅子に腰掛け、オワリちゃんの対面に陣取った。当然のように卓上に肘を付ける辺りマナーには明るくないのだろう。俺だって食卓に肘を付けていけないことくらいは知っている。そう考えるとこの拘束具はマナーに則した物だった……?


 工藤が口を開きかけたのを、遮るようにして錦が皿を運んできた。トーストとオムレツとサラダがワンプレートとして供され、コーンスープとコーヒーが後から運ばれてくる。錦は恭しく礼をし、「食後はそのまま置いておいて下さい」と言い残して去って行った。


 食卓に供されたのは俺とオワリちゃんの二人分だけである。さて、どうやって食おうか。中々の難題である。


「貴方が何故、その様な格好をしているのかは分かりませんが、よければ食べさせてあげましょうか?」

「おお、思ったより優しい奴。本気にしても良いのかい」


 オワリちゃんに食べさせて貰うのは絵面がヤバいし、カクさんはフォークで口を抉ってきそうである。なので割と好都合だったのだが、「いやまさかあ!」と工藤は笑った。失礼な奴だな。本気で困っているってのに。


「その人に頼まずとも、私が全てをお世話してあげますのに。さ、お口を開けて」

「いえ、やはり終様にその様な手間を取らせるわけにはいきません。私が、仕方ないので、世話をしましょう」

「ここはカクさんにお頼みしよう。いやあすみませんね。何だかよく知らねえけど手足封じられているもんですからね。度重なる失礼申し訳ありませんね」

「いえ」


 今更ながらに礼をした。それにカクさんは気をよくするでもなく、機械的にオムレツを切り分けて俺の口に運んでいく。流石に手つきは丁寧である。そして美味いのだった。食事に関しては帰還してからずっと良いもの食っているよな。


 工藤はそれをじっと見つめていた。何が興味深いのか、笑みさえ潜めて俺達の、正確にはオワリちゃんの食事を見つめている。本当にマナーに欠けた奴である。虫みたいな目をしやがって。


「その様に、時計塔に巣くう魔も食らうのですか?」

「何か皮肉っぽく言っていますけどそうですよ」

「ナイフとフォークを使って?」

「手掴みで食事をするなんて」

「それはまるで、人のように?」


 オワリちゃんは手を止めて工藤を見つめた。代わりに俺が「うわ性格悪っ」と言ってあげた。それに、彼は何故か嬉しそうに笑った。キモッ。


「確かに貴方は一見して人に見える。その努力は実を結んでいますよ、尊神終さん」

「一見してじゃなく人だから。目玉腐ってる?」

「成程、この異様な彼の存在意義も分かってきましたよ。これは貴方の人間性の発露ですか? その身に纏った枷と同じく、お父上に付けられた首輪と」

「見当違いすぎて笑っちゃった」

「……いや、全然笑ってなくて気持ち悪いですよ、カワセミさん」


 ヨビソン爺さんの真似をして、ようやくオワリちゃんは笑った。カクさんが凄まじい目で工藤を睨んでいる。それを受け流すように彼は笑った。


「安心しました。あくまで人の真似をするのなら、私が死ぬ心配はなさそうだ」

「ねえカクさん、一方的に喋らせるだけだとムカつくからなんか言ってやってよ」

「そこはカワセミさんが華麗に皮肉を言うのではないのですか?」

「俺こいつのこと知らねえし。そうなると外見を弄くるだけの悪口になるだろ。虫みたいな目をしやがっているなあとか」


「ねえ?」と投げ掛ければ「そうですね」とカクさんは冷たく言った。その同意はどの言葉にかな?


「工藤大全、名の知れた異能者です。もっとも、その名は表社会ではなく裏でのみ轟いていますが」

「何だ、ただの雑魚か。本当に格好いい奴は表でも裏でも有名なのさ」

「言いますね、軛さん」

「はは、皮肉! 皮肉を言いやがったよこいつ。一体、皮肉という奴はどうして人間性を無視するんだろうな。その点で言えば俺は皮肉の代名詞かも知れん」


 げらげらと声だけで俺は笑う。胡乱げな目を工藤は浮かべる。オワリちゃんが食事を再開した。


「勇者とは皮肉そのものだ。それは圧倒的な暴力と言う名の皮肉だ。あらゆる事件を暴力だけで解決する。意図も理念も感情も、全てを踏みにじって解決するんだ。これはもう名探偵と言って良いな」

「っフフ、暴力とは! まさか貴方が? そんな格好で? 皮肉の代名詞とはその格好の事でしょうか?」

「言いやがるね。おいカクさん追加の説明を投入だ!」


 俺の言葉に、彼女は嫌そうな顔を浮かべながらも口を開いた。そんなに言うとおりにするのが嫌か。


「……工藤大全は、推定、瞬間移動の異能を保持する暗殺者です。破壊者と言っても良いでしょう。大企業の研究施設や工場に狙いを定め、破壊して回るテロリストです」

「そう、たとえば尊神財閥の研究施設とかですね」

「異能者が世に溢れてから、世は混沌の一途を辿っています。個人が簡単に暴力を行使できるのですから」

「最初に暴力を行使したのはそっちでしょう? 世に隠れ潜んでいた魔法使いと人外共ですよ。企業も統一政府もその上も、殆どが貴方達で占められてしまっている。こうなっては、我々も同じ手段で対抗するしか無いというものです」


 工藤はにやついた笑みに隠しきれぬ感情を見せ、そう語った。俺は一つ、「成程」と呟いた。


「カクさん、もう良いでしょう。何を呑気に皮肉なんかを言っているんだ。これは犯行の自白だ! 今すぐ警察を呼びなさい!」

「……可塔一族が客人として迎えているということは、事は極めて高度な政治的問題になります。私が処理できる範疇を超えています」

「そういうことですね、はい」


 ニコニコと工藤は笑みを浮かべ、しかし害意がないことを示すように両手をプラプラと振った。


 だが、振った手にぱっとコーヒーカップが掴まれる。俺の飲みかけである。手元にあったはずが一瞬で移動し、そして再び戻ってきた。


 コーヒーはテーブルの上にゆらゆらと揺れている。「どうでしょう?」工藤は挑発するように顎をしゃくった。


「どうです? これに、警察ですか? 随分と前時代的な事を言いますね。異能者を相手に警察などと。やはり貴方は道化でしょうか? 神子に捧げられし芸人ですか」

「こんなの捧げられたら腹壊すだろ。ねえオワリちゃん」

「ふふ、美味しそうではありますよ。狂おしいくらいに」

「やっべ、藪蛇だったわ」


 オワリちゃんがナイフとフォークを持って俺を見つめる。この簀巻きにされた姿だとハムみたいに切り分けられそう。


 が、彼女は揃えてそれらを皿に置き、「ごちそうさまでした」そう手を合わせた。


「さ、別腹の時間です。ゲテモノでお口汚しと参りましょう」

「ちょっと待ってね、まだ俺の方残ってるから……って一気に突き付けてこないで下さいよカクさん」

「終様が食事を終えたのです。さっさと食べなさい」


 半分残っていたオムレツを丸ごと口に押し込まれる。美味い! と思った次にはトーストの塊が入ってくる。美味い! だけど水をくれよ。 


「愉快ですねえ」


 俺が咀嚼中には物を言わない性分だと見越してか、工藤は笑ってそう言った。


「食事という行為は、人間的な、あまりに人間的なものです。ええ、私の目にも人間と見えました」

「ふほほ」

「黙りなさい。早く食べなさい」

「いや、水を下さいよ」

「黙りなさい」

「えぇ……」

「……しかし、私はともかく、彼女はそう見ないでしょうね。私と同じく客人と迎えられた、高踏という名の忌まわしき魔法使いは」


 その名前に、口の中に押し込まれたフォークがピタリと止まった。本気で水を下さい。そこのサラダでも良いから。


「気を付けて下さいよ。彼女は悍ましい。何せ奴は死体を使う。死体収集家なのです。貴方達は愉快ですからね、出来れば忠告を」

「……あれまで、終様を付け狙うのですか」

「いいえ? 尊神終の来訪は寝耳に水でした。私の本命も、彼女の本命も、別の所にあります。そして、恐らくは可塔一族もね」


 そうやって全てを言い終えたとばかりに工藤は席を立ち、去って行った。言うだけ言ってさっさと消えるのがこの世界で生きていくコツなのだろうか。


 俺は、サラダまで無理矢理押し込まれ、口内に完成したワンプレートを楽しみながら、って水で無理矢理流し込まれた。オワリちゃんもまた席を立ち、車椅子が動かされる。向かう先は玄関である。本来の目的を果たしに行くのだろう。


 ようやく呑み込んで、俺は言った。


「何だか面倒臭そうだし、もう帰る?」

「ふふ、カワセミさんが守ってくれるのでしょう? 私、守られてみたいんですよね」

「なら任せとけ」

「任せずとも私が守ります。安心して下さい終様。第一、こんな狂人に何が出来るというのです」

「世界を救うこと」


 ドヤ顔で言った俺にカクさんは馬鹿らしそうな顔を浮かべた。いやいや、これだけは事実だぞ。他の全てが嘘だとしてもな。



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