第14話 車椅子探偵、尊神終 上
刀剣の美とは不安の美である。それは刀身の美と言い換えても良いだろう。剣と言われて鋼ではなく拵を思い浮かべるのは奇人か通人である。刀剣の第一は刀身にあるのだ。
その刃は始終不動にして鋭利にある。一体、生命においてここまで露骨に殺傷性を剥き出しにしたものがあるだろうか。異世界にはあるのだが。そこは置いておいて、これが牙持たず爪研がぬ人類にとって、牙と爪の延長上にある事は奇異である。
元来、動物が持つ武器とは自らの肉体である。牙も爪も自らであり、肉体とは決して分かちがたい物であろう。しかし人類が生み出した武器という物は肉体とは無関係なところにある。
その素材が鋼であれなんであれ、自らの肉体とは全く別の場所から出現した存在を、我々は手足のように扱い、腰に提げている。鞘から取り出し月光に掲げる刀身の煌めきは、柔らかな肉体とは隔絶した輝きだ。人体が金属光沢を放たぬ以上、我々は剣に親近感を覚えない。
故に不安が生まれるのだ。それは我々とはまるで異なる存在であり、手足のようでありながら肉ではない。指先のように自由自在に扱えこそすれ、鋼鉄の硬さを関節のように折り曲げることは出来ない。
刀身の美とは、そういった不安の上にある。剣とは、存在から何かを斬り殺すためにあるのだ。
だからこそ、剣は戦場において最も美しく輝く。いやさ、一体敵を斬り殺すことに快感を覚えぬものが居るだろうか。殺意と共に振われる刃を弾き、驚愕の顔を切り落とすあの快楽! 『中には居る』と語る者には敵が居なかっただけだ。彼や彼女の戦場がどんなに絶望的なもので、敵がどんな悪逆者であろうとも、柄を握る掌に躊躇を覚えればそれらは敵ではない。
戦場を初めて経験する者は往々にしてこう告白するだろう。『初めて人を殺した』と。その内には高揚と達成感と生理的嫌悪がある。姿形の似た存在を斬り殺すことに嫌悪を覚えるのは、生命として真っ当な反応である。我々は我々で在るが故に、我々を殺す事は本義ではない。
猛々しき猛獣を、弱々しき小動物を殺す事もまた同じである。我々とは生命である。血が通う生きた動物である。視点を広げれば世界とは二つにある。即ち生きているか死んでいないか。その二つを飛び越えさせるのが剣である。自らの手で片方を片方に追放するのである。そこに嫌悪を覚えぬものは生命ではない。死の匂いに取り憑かれた、生より死に近い者だ。
そこで改めて刀剣を見るに、その存在は非常に奇異なるものとして映る。物を殺す武器が、これ程美しいのは如何なる事か。
いいや、生命を殺す物は美しくなければならない。俺はそう確信している。美とは自ら立つ物でなければならない。そう在って欲しい。そうでなければならない!
生命という雄弁を無言へと、生命という温度を冷温へと。不可逆に変貌させる武器とは、これ以上なく美しくなければならぬ。刀剣とは、牙ではなく爪ではなく、肉体からは乖離した道具なれば、容易く扱わぬ扱えぬ、至上の美と信仰の結晶でなければならない。
故に、不安の美という語がここに現れる。それは自らをも殺す道具だ。自らも殺すと確信して振わなければならぬものだ。剣は道具として我々に近く、存在として我々から遠い。だからこそ信仰が生まれる。それは不安を源とした信仰である。
不安の美とは信仰である。それが絶対なるものと願う信仰である。自らの首もまた容易に断ち切れるだろうと、そう信仰する上で、敵の首を狩りに行くのだ。
「──では、改めて依頼品を見てみよう」
「長っ。なっが。いきなり語り出したかと思ったらクソ長いんじゃが」
「……依頼品って、カワセミさんに送られた物ではないのですが」
そう言ってオワリちゃんは一振りの刀を白皿に置いた。直刀の西洋剣である。刃渡り七十センチほどの刀身は冴え冴えと輝いて、十字型の鍔と柄は見事な装飾と黒で飾られている。そして置いているだけでどす黒い想念が吹き上がっている。まーた碌でもない物が送りつけられたな。
一見して綺麗に見えるが、恐らくは人の血を食らい尽くしてきたのだろう。怨嗟は鋭く荒れ狂い、見た者の精神を抉っていく。まあ効かないが。
「不安の美ってそういう事じゃねえんだけどな。こりゃもう剣じゃなくて呪物という存在だ」
「存在美を語る上で主観は避けられぬとは思うが、カワセミよ、貴様特有の哲学が多分に含まれすぎて一般論になっていないぞ」
「ぼくは特に不安とは思わないからよく分からなかったよ」
折角の勇者様のご高説に随分と失礼な奴等である。講演会を開けば涙を流す奴らもいるのにな。『これから自分達は殺されるんだ』ってな。
そして聖剣ちゃんがうるさい。というより不安げに自分の存在をアピールしている。うんそうだね、君は絶対に俺を斬り殺さないね。そのくせして敵は絶対に斬り殺すね。なんだ理論が破綻してんじゃねえか。
「まあ、ちょっと特殊な一般論としてよろしく。あの子はちょっと違うからさ」
「まーたあの悍ましい剣と話しておるのか。ありゃ聖剣なんて立派なモンじゃなかろう。前の傷まだちょっと痛いんじゃぞ」
「それは爺さんが邪悪だからだろ」
そうだそうだと聖剣ちゃんも言っている。そして寂しそうに刀身を震わせている。子犬か。最近会っていなかったからすぐに剣気を飛ばしてきてああもうヨビソン爺さんがまた真っ二つに!
「真剣に止めて欲しいんじゃが。これ飼い主の責任ではないのかの?」
「聖剣ちゃんはお手もお座りも出来る良い子だぞ。飼育放棄とかでは断じてない。首輪は付けてねえけど」
「猛獣を概念の海に放し飼いにするな馬鹿」
その言葉が断末魔になった。いや死なないから断末魔じゃないんだが。それを見つめつつ、俺はよしよしと聖剣ちゃんを宥める。今度ゆっくりと時間を取るからさ、流石にサイコロ状に切り刻むのは止めてあげて欲しい。ほらお爺ちゃんもう減らず口も叩けなくなっちゃったから。
「……カワセミさんが急に語り出したと思ったら、ヨビソンさんがバラバラになったんですが。これって私が悪いんですか? 私、剣をお皿に取り出しただけですよ?」
「誰が悪いかと言えば、聖剣ちゃんの好感度を稼ぎまくった俺が悪いかな。あの子嫉妬深くってさあ」
「……はあ。まあ私も流石に剣と喧嘩するつもりはないので別に良いんですが」
そう言ってオワリちゃんは剣に指を重ねた。左の人差し指が、虚空を切り分けるようにつうと動く。しかし「む」と彼女は眉根を寄せた。
「……これはまた、随分と生々しいですね」
「そりゃあそんな悍ましいなら生々しくもあるだろ」
「……そうではなく、うるさいんですよ。ここまでうるさいのは初めてです」
剣がうるさいとは感覚的な話だろうか? しかしオワリちゃんも食材に対して繊細である。この間だってマムロ先生のマグロ解体ショーをワクワクしながら見守っていたくせに。あれ楽しかったな。
「……いや、本当にうるさいんですよ。明瞭に物を話すのは初めてです。聞いてみます? 聞こえるようにしますので」
「では、改めて依頼品の話を聞いてみよう!」
「……なんですかそのテンション」
知らないのか鑑定団。と思っている内にギャアギャアとした叫び声がラウンジに木霊した。成程こりゃうるさい。被害者と加害者の叫び声を一緒くたにして蠱毒させたような声である。
しかしその内に声色は一つになり、『何故だ何故だ何故だ』という連呼に変わっていった。「何が何故なんだよ」と聞けば、剣はヒュンと飛び上がって首を狙ってきた。白刃取りして床に叩き付け、足で踏みつけて動かなくする。
「……あ、高そうなので折らないで下さいね」
「自在に動く刃物とは便利だな。我が帝国の調理場に一振りは欲しいものだ」
「こんな物騒な物が調理場にあったら肉には事欠かねえだろうな。異物混入で営業停止にはなるだろうが」
しかし剣は『何故何故』とうるさい。「だから何が何故何故なんだよ赤ちゃんか?」そう問い質せば剣はふと大人しくなり、追想を浮かべた。魔法的な力だろうか。脳裏に一つの追想が浮かんだのである。
浮かび上がった光景は豪壮な洋館である。場所は日本では無いのだろうか、広間では儀式めいた場が開かれ、その中央で鼻の高い西洋人の男が、この剣を受け渡されて嬉しそうに微笑んでいる。その前には男の父親だろうか。難しい顔をしながらも、男と剣を見守るように見つめていた。
場面は変わって明かりの点らぬ夜である。強盗にでも押し込まれたのだろうか、屋敷の中は騒がしく、剣の視点と思しき部屋の出口に、使用人と思しき男女の死体が転がっていた。下手人は覆面を被った数名。それに追いかけられ、先程の男はその部屋に逃げ込み、鍵を掛けた。
逃げ込んだ先は男の自室だろうか。高価そうな貴金属や骨董品、肖像画や家族写真と共に、壁にこの剣が架けられている。それと同じく大小様々な剣に槍、盾とメイスに銃もあった。それも猟銃やマスケット銃のみならず、近代的な拳銃である。思ったより最近の出来事らしい。
男は背後から響く扉を蹴破ろうとする音に、脂汗を流しながら咄嗟にこの剣に手を伸ばし、しかし何かを躊躇するように別の剣を手に取った。刀身も同じほどの西洋剣である。男は剣を手に取り、身を翻して部屋を飛び出し、出口に屯していた強盗達に斬りかかった。
その瞬間に浮かんできたのが『何故』である。どうやらこの剣の思念らしい。
『私はこの家の守護剣として代々受け継がれ、先日正式にこの嫡男のものとなった。しかし彼は、何故敵に対し私を使わなかったのだ』
『銃ならばまだ分かる。あれは用途が違う物だ。しかし彼は剣を取った。私とよく似ていながら劣化品の剣を! 彼は確かに剣の名手であった。使い慣れぬ銃よりも、使い慣れた剣を手に取るのは道理である。しかし、ならばこそ何故私を手に取らなかった!』
『私を手に取っていれば、彼が死ぬこともなかったのに! みすみす奴等を取り逃さず、この剣の錆にしてくれたというのに!』
その声と共に光景が切り替わる。葬式だろうか。先程の親父さんは悲しそうに葬儀を取り仕切り、斬殺死体と共にこの剣を棺の中に入れ、土を被せた。しかし死体とは異なり、この剣は眠らなかった。
『次代の当主を守り切れなかった守護剣を蔑み、伝統に土を被せるのはまだ良いだろう。彼も私が好きだったから、共に永遠の眠りに就くのも悪くない。しかし納得できないことが一つある! 何故、彼は私を選ばなかった! 何故、敵に向けて私を振わなかった! 私の力に関しては、彼が一番よく分かっていたのに……』
そうして追想が終わった。剣は先程とは打って変わって悲しそうに震えている。どうやら語り終えたらしい。
「え、何? お前こんな悍ましい気配発してるくせに忠義者だったの? 人は見かけによらねえな」
「いやカワセミよ、人はどれだけ尽くそうと人生八十年が関の山だが、物は百年二百年と家に国家に仕えてくれるものだ。帝国全土に行き渡った上下水道などその最たるものよ。化身と化して供物を求めたときには困ったがな」
「ダムとかも付喪神になるのかね。凄い強くなりそうだな」
「……それで、カワセミさんは何故だと思います?」
脱線しかけた話をオワリちゃんが戻した。彼女はちょっと楽しそうに微笑んでいる。何で俺に聞くの?
「何故も何も、カナナナくんに聞けば一発だろ。カナナナくん、この事件の犯人は?」
「えっとね! 犯人は──」
「ちょっと待って下さいねカナナナくん。カワセミさん、いきなり答えを求めるなんてつまらないじゃないですか。ここは考えてみましょうよ!」
「こんな状況で君が出てくるのか」
包帯の下の左目が青白く輝いている。彼女は非常に楽しそうで、両手で握りこぶしを作っている。そうして床に転がった剣を再び皿の上に載せた。
「謎を解かなければ、私が落ち着いて食事できません。踊り食いは趣味ではないのです。さあ、謎を解きましょう!」
「オワリちゃんって推理小説好きだったりする?」
「ホームズは一通り読みました! これはホワイダニットの一種ですね。何故男は、この剣を手に取らなかったのか!?」
「ノリノリじゃねえか」
「とりあえず、カナナナくんは沈黙です!」とオワリちゃんはカナナナくんを指差した。カナナナくんは「はーい!」と楽しそうに手を挙げた。答えが分かっている時点で謎も何もあったもんじゃねえと思うがな。
「いや、何故も何も、この剣は家宝だったんだろ? それも結構金持ちそうな家の。傷付いたり折れたりしたら大変だと思ったんじゃない?」
それを壁に掛けておくというのも雑な扱いだと思うが、男の嬉しそうな顔からしてみれば、それは代々続く家の跡取りとなった象徴に思えたのかも知れないな。嬉しそうに剣を見つめていたし、並々ならぬ執着がありそうである。
しかし『違う!』と剣が声を荒げた。
『彼は私の力をよく知っていたと言っただろう。私は魔剣である。凡百の剣とは違う! 私を握れば活力が湧いて出、強盗の十も二十も斬り殺せたはずだ。もっとも、その力は彼の血族にのみ発現するがな』
「やっぱ元から碌でもねえんじゃねえか。魔剣とか。使ったら呪われるとか思ったんじゃねえの?」
「ふむ、しかしカワセミよ、代々受け継がれていたのならばその推察はおかしい」
メルニウスは顎に指先を添えてそう言った。皇帝様がこういう格好をすると絵になるな。
「人に害を成す魔剣であるのならば、男の振る舞いはますます奇妙であろう。咄嗟の場に厭うくらいならば、何故普段から封印せず自室に置いていた? 加えて男の死後の扱いよ。害を成す魔剣をどうして棺の中に入れる。嫡男の死だぞ? 魔剣の呪いを恐れるならば、人の目に付かぬ場所に封じこそすれ、土を被せるなどおかしなことだ。扱いとしては雑すぎる」
「割合真面目に考えるなメルニウス」
「我も読書が趣味でな。こういう状況には心が躍る」
お前もかよ。
オワリちゃんは目を輝かせて俺達の会話に聞き入り、ややあって「こほん」とわざとらしく咳をした。
「さて……では、私の出番です。アームチェア・ディテクティブ、尊神終の推理を始めましょう」
「安楽椅子探偵っていうか車椅子探偵だけどな」
「探偵のカテゴリ分けに使うにも車椅子要素が強すぎるぞ。我ならば推理などせずに病院に行けと言いたくなる」
「病院にはもう入ってます。あと邪魔しないで下さい」
そうしてオワリちゃんは息を整え直し、再び「さて……」と言い直した。それ必ず言わなきゃ駄目な奴なの?
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