第12話 頑張れマムロ先生




「ちょっとアラタメさん、職務怠慢ですよ! そりゃ貴方の主な業務は病人の皆さんの監視ですがね、侵入者を防ぐ事も立派な業務の一つなんですからね!」

「いやあへへへ面目ねえです。しかしですねそいつの相手をするのはちいと面倒なんですよいや技量がどうとかじゃなく政治的にですね。こないだまでは俺ぁどこへ行こうと根無し草気取れたもんですが今ぁ旦那がいるんで離れたくないんでさあへへへっ」

「成る程、彼女は病院も捜査できる権限を持っている人間だと。下手に揉め事起こせば、解雇の話も出てきてしまうと……。全く、縦割り行政の弊害ですね」

「ええそう多分そう恐らくそうですぜ」


 アラタメはへらへらと笑って受け答えをしているが、その視線は決してマムロ先生を捉えず、その足下をじっと見つめている。賢明な事である。耐性がない状態で真正面から見つめるとどうなるか、その答えはすぐ傍に転がっていた。


「星……星が……星が見える……」

「これじゃあ暫く戻ってこれないね。だから言ったのになあ」


 ラウンジの片隅には臨時でベッドが設置され、その上には件の流星ちゃんこと葛城が寝転がっている。瞳を閉じて脂汗を長し、苦しそうに寝返りを打っていた。


「うう……可哀想に……どうしてこんな事に……悲しい事故ですねえ……」

「これを機会にマムロ先生の全身を覆う筒でも作ったら良いんじゃねえの?」

「そんなもの付けてたら日常生活の邪魔じゃないですかあ! マムロ先生が可哀想ですよう!」


 いや本気で付けた方が良いと思うのだが、というかこんな触手の化け物が行政に参加しているという事実に不安しかないのだが。


 前から気になってはいたが、俄然この人の上司とやらが気になってきた。或いはそんな人は存在しないのかも知れないがな。イマジナリー上司である。俺達はもしかしたら狂った触手に飼われているだけなのかもしれん。怖っ。


「で、彼女の上司には連絡が付いたのかい? 何時までも置いとくのも邪魔だ。呻き声がうるせえんだよ」

「私の上司に相談したところ、すぐに回収部隊が来るそうです。というか第六調査局って何なんでしょうかね? 軍なんですか? 警察なんですか? どこに掛けたら良いのか分からなかったんですが」


 んなこと言われても知らんがな。ただ葛城は何か偉そうだったので偉い権限くらいは持ってそうである。それこそ謎の施設に単身飛び込めるだけの奴。


「チンピラ以上、軍人以下ってところか? あいつらはここを知っていたよな」

「三年間で軍制も変わったのう。儂が現役の頃はまだまだ異能者も少なかったというのに」

「つか何それ。異能者ってなに? 異世界にもそんな奴等居なかったぞ」


 いや魔王の概念的な力は異能と言っても良いようなものだったが。というか権能? 海を司る鯨とかな。内海一つ蒸発させて殺したもんだから普通にブチ切れられたっけ。


「あーそりゃ、あれじゃよ。何か知らんが魔法じゃなく変な力を使える奴じゃ」

「説明が曖昧すぎるだろ」

「儂は学者ではなく煽動者……じゃなく魔王じゃ魔王。魔王じゃから知らん」

「カナナナナナナナナナくーん」

「ナが多すぎるよカワセミンミンミンミンミンゼミお兄ちゃん!」

「子供の頃のあだ名を思い出すから止めてくれ」


 カワセミンミンゼミとは俺の幼少のあだ名である。木登りと虫取りが得意だったからな。セミ取りセミ君とも呼ばれたことがあるぞ。


「それで、異能者について? それは大体ヨビソンお爺ちゃんのせいだよ! 世界そのものが異常を認知したから、人間も異常を内に含むようになったんだよ!」

「おい爺さんのせいじゃねえか」

「じゃあ知らぬ存ぜぬではなく、これからは計画通りという事にしておくのじゃ」

「てきとう~」


 いや今の説明も簡潔すぎてよく分からないが。まあそう言うのが存在するというだけで別に良いか。どうせ魔法みてえな物と思えば良いし。


「何より、魔法使った結果、異能って言うか化け物になった事例がそこにあるしな」

「べべべべべべべ」

「うるせえな黙ってろ布でも食っとけ」


 葛城のベッドの横に置かれているのは生首の化け物である。彼女が片手に掴んだままマムロ先生と出合ってしまったものだから、彼も触手の化け物を直視してしまったらしい。完全に気が触れていやがらあ。


 髯なんてもう欠片もない筋肉禿頭の口にタオルを入れれば大人しくなった。食おうとしているが噛み切れないし消化できないらしい。


 全く、気が休まるはずのラウンジが、すっかり狂気の光景である。発狂者を二人も横にしてゲームをする気分にもなれん。カナナナくんは気にした様子もなくレースゲームを楽しんでいるがな。


「しかしさっきはああ言ったが、本格的にマムロ先生の姿に関してはどうにかした方が良くねえかい? この娘の上司が来てもミイラ取りがミイラになっちまったらどうすんだよ」

「だとしてもどうしろというのだ。こんな不可解な触手生物など。いっそ我らで通訳でも買って出るか?」

「いやいや、こういうのは本人が出ないと話が収まらぬ物じゃ。即ち姿を隠す方針で行けば良いのではなかろうかの?」

「皆さん本人を前に好き勝手言ってくれますね!」


 そう言ってマムロ先生は怒ったように触手を動かす。葛城の表情が険しくなり、肉塊の震えが止まらなくなる。冒涜的だぁ……。


 実際、こうしてまじまじと見てみると、どうしてこんなのと日常生活を送っているのか分からぬ外見である。


 一言にどす黒い触手とは言っても、その詳細な外観を述べてみれば、まず目に付くのは触手の塊の内に輝く七つの眼球だろう。これが増えたり減ったりする。色も黄色だったり赤色だったりと、時に綺麗に明滅してイルミネーションみたいで悍ましい。


 その眼球の周囲を蠢くのが直系三センチから十センチまで大きさがバラバラな触手である。表皮は突起もイボもなく滑らかで、先端部は鋭く尖り、そして柔らかく床を撫でる。その触手がドロドロとした黒色の粘液を纏い、四六時中濡れ輝いているのだが、決して床を濡らしたり、跡が残ったりしないのだから不思議だ。


「詳細を見るから狂うのじゃ。モザイクでもかけておけばマシになるじゃろ」

「R-18GがR-18になっちまうだろそれじゃ。カーテンで遮ってシルエットだけ見せるとか?」

「それはそれで恐怖を煽りそうだがな。こう、蠢くのが気色悪いのではないか? よしマムロ、彫像のように静止しろ」

「えぇ……無茶を言いますね皆さん……というか酷いですね皆さん……」


 しかしマムロ先生は律儀に従い、ぐっと力を込めるように佇んだ。それで大多数の触手は静止したが、却って先端部がピチピチ動くのがゲロ吐きそうなほど気持ち悪い。どうして細かく震え出すんだよ。


「もう殺処分した方が良いだろこんな化け物」

「生理的嫌悪感というレベルではないのう。生きているだけで精神を掻き乱す哀れな化け物じゃ。介錯してやった方が世の為じゃ」

「寧ろまともに見つめてまともに改善案を出そうとしている旦那方に俺ぁ驚きって言うか正気を疑いまさぁ。俺ぁ今でもまともに見られねえってのに凄えですね」

「あのですねえ! 黙って聞いていれば酷いですよう皆さん! マムロ先生だって頑張っているんですよう! それをこんな、こんなあ……!」


 あっ、やべっ。みそぎさん泣いちゃった。しかし不思議なことにマムロ先生は動かない。ピチピチと跳ねる触手は速度を増し、粘液を泡立たせている。


「あっ、ごめんなさい。怒らせちゃいましたか。いやごめんなさいね、みそぎさん。触手だからって素直な感想を言いすぎてしまって」

「そうですよう! 幾らマムロ先生が触手の化け物で、見るだけで発狂するような怪物でも、言って良いことと悪いことがありますよう!」

「そうだな。国外は知らんが、我の領土内ではマムロにも人権は認められている。安心しろ。医者を首になろうとも、我が臣下を路頭に迷わすことはしない」

「ちなみに再就職するとしたら何になるの?」

「掃除夫だ。細かいところまで手が届くだろう」

「わあ! 素敵ですう! メイド服とか似合いそうですねえ!」

「それでいいのか」


 と、上機嫌になったみそぎさんは置いておいて、マムロ先生は黙ったままである。「おい爺さん、あんたも謝れよ」と言えば、「すまんのー」と気の抜けた返事が返ってきた。意固地な爺さんだな。こういう老後は送りたくねえ。


 しかし、ふと「むんっ!」と声が聞こえたかと思うと、それまでピチピチ跳ねていたマムロ先生の触手はピタリと静止した。完全な静止である。粘液も泡立たず、まるで彫像のように凝り固まったままだ。


「ふふ……どうですか。皆さんがあんまり言う物ですから、私は進化してしまいましたよ」

「凄え。蠢かない触手ってこんなに奇妙なんだな。これなら奇怪なオブジェ程度にはなるんじゃねえの?」

「うむ。大義である。これなら人前に出ても良かろう」

「ほー。肉体の一片にまで意識を通すとは、やってることそのものが化け物じゃの。しかし努力できる化け物じゃ。嫌いじゃないぞ」

「凄いですう! 流石ですう! よっ、天才!」


「万歳万歳!」と皆でマムロ先生の努力を褒め称えた。彼は少し照れくさそうに触手を動かし、「いえいえ、皆さんの助言のおかげです」と謙虚に頭を下げるのだった。立派な人である。


「俺には狂気の儀式にしか聞こえねえんですがね、そろそろ帰って良いですかい?」

「……というか、そこの頭だけの人、脳味噌が茹だりそうになっているんですけど、良いんですか?」

「葛城お姉ちゃんも死んじゃうよ! マムロ先生はさっさとどっかに行った方が良いよ!」

「あ、はい」


 カナナナくんの悲しい言葉に、マムロ先生はすごすごと帰って行った。しかしこれで心配は要るまい。今日この場で身に付けた静止があれば、相手を発狂させることは無いのである。いやあ心配事が一つ片付いたな。


 しかし翌日、訪れた偉そうなスーツの人に、マムロ先生は自慢げに静止を披露して、見事に銃弾で撃たれたのだった。かわいそ……。



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