第10話 戦慄! 怪奇みそぎ
ヨビソン爺さんが「儂も久しぶりにゲームがしたいのう」とか言うので、渋々代わってやった。そろそろクリアできそうな頃合いだったので不完全燃焼である。
暇になったので施設の中をぶらつく事にした。と言っても、数分もせずに一周することが出来る。マムロ先生の部屋も覗いてみたが、触手がのたうち回った文字で報告書らしき物を書いているだけで、特に面白味はなかった。みそぎさんの部屋は「乙女の部屋に入れるわけないじゃないですかあ」と素気なく断られてしまった。
「ので、訪れた。物が多いなこの部屋は」
「貴様の辞典の中には遠慮の文字は存在しないのか」
「辞典を作った事がないからな。あらゆる文字が存在しないぜ」
メルニウスの部屋は本や画材などで溢れていた。と言っても、雑然と散らばっているのではなく整然と整理され、床には塵一つない。几帳面な性格をしているようである。
何故かベッドには天蓋が付いており、それが部屋を狭苦しく見せているが、次いで目を引いたのはその側に在るキャンバスだった。鉄製のイーゼルに架けられた絵はまだ途中のようで、絵の具は使われておらず、鉛筆の線だけが残されている。
「オワリちゃんか」
「否。その内に在る天よ」
「お前は彼女をそう分けるのか」
「ふむ」と革張りの椅子に座ったメルニウスは不思議そうな顔を浮かべた。
「本人が分けているのだから、本人の意志に従うべきだろう。事実、別種の存在な訳であるしな」
「俺はそう思わん」
「我に言うことでもあるまい」
「そりゃそうだ。というか言ったんだがな。中々頑固だぜ」
メルニウスは思案するように顎先に指を置いている。その目は部屋に置かれた棚の上、無数の画材を見つめていた。
「貴様はあれに何色を見た」
「蓄光の青を」
「我は白と黒の対比よ。故にこそ、どちらが影か、と言う話になるのだがな」
「翻って、尊神終とは何者か?」そうメルニウスは俺に問う。
「神の子と、子たる神と、本人はそう語るが、我には正体が掴めん。カナナナの様に、深淵と繋がっただけならばともかく、あれは紛れもなく本体だ。生まれて十六年のな」
「神だろう。紛れもなく神だ」
「では、神とは何か?」
「存在として万物の上に在る物。概念の体現にして、唯一性の化身だ」
因果が絡み合う現世から乖離した、唯一にただ在る存在。信仰すらも必要なく、概念の内と外に自らを偏在させる超常の者である。
という小難しい説明は置いておいて、つまりはシステムの違いである。二次元の小説を三次元の手はぐしゃぐしゃに丸めることが出来るって感じ? 同じ土俵に立っていない、土俵の外でトントン相撲をする手が神である。
「まあ、そんな存在がなんで中途半端に肉に収まっているのかってのは俺も疑問だが。神の卵って矛盾してない? 神とはそう在るものだろう。神の始まりは存在し得ない」
「貴様はどうなのだ、カワセミよ。貴様もまた、存在として上にあるどころか、存在格を自在に操れるだろう」
「ああ、それは呪いみたいなものだ。或いは証明? 神と魔王をぶっ殺したという事実が、唯一性の証明になっている……ような……」
「よく分からん。簡潔に話せ」
「俺だってよく分かってねえんだから仕方ねえだろ」
しかし存在格を表出させる際の感覚に関しては言える。あれはスイッチを入れるような感じだ。かつて世界を救った頃のように、勇者としての自分を表出させる。普段は覆い隠しているものの正体を露わにするのだ。
だからこそ、オワリちゃんには自分を分けるなと言っているのだが。幾ら分けようとしても繋がっているのが自己である。俺の延長線上に勇者はあり、勇者の根源に俺はある。隔てようもなく、互いに互いを肯定している。加えて聖剣ちゃんで三位一体だ。
しかし、故に俺は元勇者だった。延長線上に存在する事を認めながらも、それを表に出すことはない。勇者はもう死んだのだ。俺とお姫様に殺されて。
「まあ、神や魔王と言っても大したものじゃない。お前の鎧だって神に届くだろう。概念の体現であるが故に、概念的な殺し方が良く効く。俺はそうやって魔王共とババアを殺したのさ」
たとえば魔王の一体、大陸を踏み潰す馬鹿みたいにデカイ象は大地という概念を司っていた。しかしわざわざ概念を解析したり矛盾を突く必要などないのである。概念を概念でぶった切ってやれば、後に残るのはメチャクチャ強くてデカくて硬い象の化け物だった。やっぱ簡単じゃなかったわ。
こう考えると神と魔王との違いは無いように思える。というか無い。どっちも化け物だった。救済という概念を望まれ生まれた俺も含めて。
しかしメルニウスは難しい顔をして押し黙っている。ふと呟いた。
「あれは殺せるのか」
「殺せるとも。本人がそれを望んでいるのなら、ババアよりずっと簡単だ」
なあ、と遠く聖剣ちゃんに呼びかける。嬉しそうに身を震わせて、うん別に呼んだわけじゃないから子犬か君は。
「む」とメルニウスは天井を、正確には遥か天空を超えた先を見つめ、「確かに、その剣ならば殺せるか」と呟いた。
「ならば良し。実の所、気がかりではあったのだ。オワリが報酬として死を望んだとき、我には用意することが出来ないのではないかとな。だが貴様がいるのならば問題はない」
「おいおい、処刑人になる気は無いぞ」
「ふむ? 随分と好かれているようだが、共に死ぬ気はないのか? 民の流行の中に、愛する者と共に美しく死を選ぶというものがあったはずだが」
「何だそのとち狂った流行は」
古代謎帝国の文化に軽く引きながら、俺は棚に纏められたスケッチを眺めていった。どれもこれも正確に写し取られている。「貴様は元勇者ではなく元盗賊ではないのか」などとメルニウスは言ってくるが、勇者なんて盗賊よりも嫌われていたんだから上等だろ。
その内に、不思議な一枚を見つけた。真っ青な看護服を着た、キツい表情を浮かべた女性である。見たことのない人である。誰だろうか、と言いかけてその下に書かれた題名に目を留めた。
「『鎌倉みそぎ』……なに、みそぎさんって襲名制だった?」
「一月前まではその姿だったのだ。その前は、そこだ」
と、メルニウスが棚の中から引っ張り出したスケッチブックには、今度は真緑の看護服を着た柔和な表情の女性が描かれている。その題名もまた鎌倉みそぎ。更には紫に黄色に赤にと、様々な顔つきの女性が、同じ題名で描かれている。
「へー、みそぎさんって整形が趣味だったんだな。ちょっとショック」
「成形ならば合っている。人体がこねくり回されるのを見るのは中々に新鮮な体験だったぞ」
「比喩?」
「物理だ。ちょっと吐きそうだったぞ」
皇帝様にここまで言わせるとは、みそぎさんも中々に悍い生態をしているものである。
パラパラと順番に捲ってみてもパラパラ漫画にすらなりゃしない。その顔つきも詳細に書かれているものだから、目付きや鼻筋の形の違いなど、明確に分かるようになっている。
「今のみそぎさんとも何時かは別れが来るのか……」
「我はさっさと変わって欲しいがな。流石にショッキングピンクは趣味が悪いとしか思えん」
「まあ確かに。正気の沙汰じゃないよな」
それで俺達は、今のみそぎさんにはどの色が一番合うのかを話し合い、結果として薄緑色が似合うと結論付けた。というよりも、どぎつい原色はやっぱり看護服には合ってないというのが、俺とメルニウスの出した結論である。
「では、それで一つ描いてみるか」とメルニウスはイーゼルにスケッチブックを架けた。下絵は書かず、初めから絵筆に薄緑を付けている。
その筆遣いに迷いはなく、見る見るうちに人物画が完成していくものだから見ていて飽きが来ない。よく分からない線を書いたと思った次には、その線が腕の肉に、関節の影になっている。非常に上手いのではないだろうか。
「本来ならばもっと時間を掛けるのだがな、あくまでこれは遊戯よ。貴様も見ていて楽しいだろう」
「めっちゃ楽しい。上手いねえ」
「ふん。そういう心からの賞賛ばかりを口にしていれば良いのだ。もっと褒めろ」
メルニウスの後ろから、薄緑色の看護服を着たみそぎさんが出来上がっていくのを眺めていく。こうして服を代えてみると、随分印象が変わって見えるのだから不思議である。
普段のショッキングピンクでは騒々しいイメージだが、良く良く見ればその目は垂れており、口元も柔らかな印象を残している。柔和な顔なのだ。ちょっと間抜けてすらいる。
「完成だ」
メルニウスがそう言い、最後に『鎌倉みそぎ空想図』と絵の下に記した。完成したのは見事な油絵である。服を買えただけではなく、その印象自体も変わっているように思える。
「見せに行こうか?」
「贈ってやろう。皇帝からの下賜だ。泣いて喜ぶに違いない」
でも、もしかしたら『あんた何時も同じ服を着てるな』って嫌味に見えるかもなあ。何てことを思いながら、しかし俺達だって毎日同じ服を着ているし、何よりマムロ先生なんかは服すら着ていないので別に良いかと思った。
そうしてみそぎさんを見つけたのは数分後、廊下での事である。姿が見えないと思ったら、どうやら外に出て洗濯物を干していたらしい。鉄扉を閉めながら大きな籠を持っており、少し汗をかいていた。
「あれ? カワセミさんにメルニウスさんじゃないですかあ。珍しい組み合わせですねえ」
「メルニウスがみそぎさんの絵を描いたんですよ。で、本人に贈ろうということになりましてね」
「普段より業務の遂行、大義である。ありがたく受け取れ」
「わあ! ありがとうございますう!」
みそぎさんは嬉しそうに絵を受け取って、しかし不思議そうに見つめた。首を何度も捻り、難しい顔を浮かべている。
「あれ? この私、服の色が違いますよう?」
「どの色が今のみそぎさんに合うかって話になりましてね。結果として薄緑色が良いだろうって」
「今の私ですかあ? 服の色が違いますよう?」
「我はやはり白かとも思ったのだがな、カワセミが薄緑が良いだろうと」
「服の色が違いますよう?」
「ふむ」とメルニウスは俺を見た。俺もまた、メルニウスを見つめた。
みそぎさんの首はねじ曲がり、人体では不可能な角度になっている。目は絵に集中したまま一ミリも動かず瞬きすらしない。そして看護服の下の肉体はうぞうぞと蠢き始めている。
「服の色が違いますよう。服の色が私じゃないですよう。私は私なのに私じゃないですよう」
「どうやら不味いことになったな」
「そのようだな。貴様が悪いのか、我が悪いのか。それともみそぎの生態が悪いのか」
そんな事を言っている内に、みそぎさんの首はぐるぐると回り、遂には弾けて飛んでしまった。加えて身体の方はどろどろに溶けて廊下に崩れた。どうすんのこれ。
「あーっ! 何をやっているんですか二人とも! 鎌倉くんが大変なことになっているじゃないですか!」
「何をやっているって、何をやっちまったんだろうな?」
「知らん」
破裂音を聞きつけたのか、マムロ先生がぬるぬると現れて心配そうに肉塊を見つめた。そうして「ああもう大変なんだから」と溜息を吐くように触手を動かし、肉塊を自分の内に取り込んだ。
「なに? 冒涜的な儀式でも見せられてる?」
「邪神が眷属を生み出すのかもしれん。ちょっと吐きそうだぞ」
「お二人とも反省して下さいよ! これ結構体力使うんですからね!」
やれやれと、触手のくせに肩をすくめるようにしてマムロ先生は言った。そうしてぐちゃぐちゃ蠢いたかと思うと、ぷっと外に何かを吐き出した。
現れたのは、薄緑色の看護服を着たみそぎさんである。ぬるぬると粘液に塗れてエロティックというかゲロ吐きそう。行為の狂気が過ぎるだろ。
「あれ……あっ、マムロ先生ぇ! どうしたんですかあ?」
「なあメルニウス、ちょっと頬を引っ張ってくれ。俺の正気を証明するためにな」
「良いだろう。その後に我も頼む。まさかみそぎの生態がここまでだとは思っても見なかった」
頬を引っ張り合う俺達をみそぎさんは不思議そうに眺めていた。しかし「あっ!」となにかを思い出すように手を叩き、服の下からぬめぬめの絵を取り出した。
「メルニウスさん、私の似顔絵をありがとうございますう! 嬉しいですよお、こんな美人さんに書いてくれるなんてえ!」
「喜んでくれたのならば何よりだ。これからも励めよ」
「美人というか、人かどうかは怪しくなったがね」
「えーカワセミさん酷いことを言わないで下さいよお。怒っちゃいますよお」
「ねーマムロ先生ー」「全くです。カワセミさんにはデリカシーがない、と……」などといつも通りにマムロ先生はカルテに何かを書き付ける。触手がのたうち回ったような文字である。
全く解読できないが、解読しない方が良さそうだなと思った。こんなもの読んだら精神がやられそうだわ。
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